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北海道の廃線跡探訪 第63回 幌内線(2/3)三笠~幾春別間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます

北海道の廃線跡探訪第63回 幌内線その2 三笠~幾春別いくしゅんべつです。

三笠駅跡は「三笠鉄道の村 三笠ゾーン」となり、保存車輌があります。
終点幾春別には駅の痕跡はないものの、元の駅前通りからは、幾春別の主力炭鉱だった住友奔別すみともぽんべつ炭鉱の竪坑櫓が見えます


なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.三笠

1960(昭和35)年6万人を超えていた三笠市の人口は、相次ぐ炭鉱閉山により大幅に減少、ついに2012(平成24)年10月、市としては歌志内市に次いで1万人を割り込んでしまった。その後も減少はとまらず、今年6月末では7,300人あまりになっている。

三笠は三笠幌内川の沢が幾春別川と合流するところにあり、幌内鉄道開業時には岩見沢~幌内間で唯一の中間駅だった。

幾春別までの開業当初は、幾春別から幌内へ直行する線路もあり、デルタ線を形作っていた。

①旧三笠駅跡のクロフォード公園の解説板 2016年8月撮影

市の中心地でもあり、幌内線随一の大きさだった三笠駅舎は撤去され、三笠鉄道村三笠ゾーン、クロフォード公園となっている
公園名は、幌内鉄道建設の第一功労者ともいうべき、アメリカ人ジョセフ・ユリー・クロフォードを記念している。

①元のホームに留置された保存車輌 2022年10月撮影

跡地には幌内太ほろないぶと(三笠駅の旧称)と名づけられた、三角屋根の洒落た建物が造られている。
いかにも現代のレトロ調建物なので、伝統的な鉄道駅という感じは乏しいが、内部には幌内線の資料が展示されており、展示施設としてはもちろん有益なものではある。

①三笠駅跡に建つ「幌内太駅」 2012年2月撮影

ホームや跨線橋、上屋の一部も残っているが、跨線橋は古レールの骨組みだけ活かして、駅舎に同調したものに造りかえているように思える。

①再生された?跨線橋 2012年2月撮影

ホームも駅舎寄りは再整備されて、鉄道のホームという雰囲気はあまりなく、そのまま利用されているところは痛みが目立つ。

車輌はキハ82系6輌編成やDD51 546を先頭にしたホキ2341・ホキ746・ヨ8006が保存されている

①DD51 546+ホキ2341+ホキ746+ヨ8006 2016年8月撮影
 

キハ82系は食堂車キシ80とクリーン車キロ80も連結され、現役当時の雄姿を偲ばせるが、車体には痛みが目立ってきている。
幾春別方のキハ82は、ライトのガラス類がところどころ失われ、ヘッドマーク取付部や特急シンボルマークもなくなっていた。

①キハ82系6輛編成 2016年8月撮影

以前、貫通ドアなどが盗難にあった(犯人逮捕後、返却)から、あらかじめ外して保存してあるのならいいのだが。

終日自由に立ち入りできる場所では、盗難対策はどこでも悩ましい問題であろう。

3.三笠~唐松とうまつ

1/5万地形図「岩見沢」昭和60年修正に加筆

キハ82系の先で線路は途切れ、路盤は作業道になっているところもある。

②キハ82系編成の先、唐松方を望む 2016年8月撮影

新幌内附近の踏切には予備遮断竿入れが残っているが、唐松までの路盤はほとんどヤブになっている。

③踏切跡から唐松方を望む 2016年8月撮影

唐松は住友坂すみともばん炭礦唐松礦のため、1929年12月貨物駅として開業、翌年8月旅客営業も開始している。
その後、のちの新幌内炭鉱も開坑、駅も最盛期を迎えるが、1973年を最後に炭鉱はすべて閉山している。

④ホーム側から見た唐松駅舎 右(三笠方)に復元駅名標がある 2021年6月撮影

屋根の形に特徴のある唐松駅舎は近隣住民の手できれいに整備され、開放されている内部には幌内線の写真などが掲げられている。

④唐松駅舎 2016年8月撮影(タイトル写真は2020年9月撮影)
④唐松駅舎内部 2020年9月撮影

石積みの長大な旅客ホームと貨物ホームや駅名標の枠(近年、駅名板も復元されている)、列車停止位置目標も残された構内の草はきれいに刈られ、幌内線のなかでは最もよく営業当時の面影が残っている

④ホームと復元された駅名標 2021年6月撮影

4.唐松~幾春別

1/5万地形図「岩見沢」昭和60年修正に加筆

ここから次第に丘の斜面を上っていく道道917号に対し、幌内線は幾春別川に沿い、道路からはかなり下になる。

やがて道道917が道道116号に合流するあたりで道路は大きく改変され、幌内線の滝見川橋梁のあったところに新しく道路橋をつくり、その前後の路盤も道路築堤の下になっている。

新しい道道から見ると、唐松方の路盤は幾春別川に沿って続き、弥生方はすぐ旧道にぶつかっているのがわかる。

⑤道道(左上にわずかに見える)と幾春別川に挟まれた区間の路盤 2019年4月撮影

旧道と新道が合流するあたりからは、かなり下に路盤が見えたが、急斜面なのでちょっと降りられない。唐松方から迂回すると、新しい道路の築堤下から現れた路盤が薄暗い切り通しのなかを弥生方に延びていた。

⑥切り通しになった路盤 弥生方を望む 2019年4月撮影

1948年1月仮乗降場として開業した弥生は、1951年12月駅に昇格、立派な駅舎が建てられていた。

今では駅の痕跡はなく、幾春別や萱野と共通するデザインの記念碑があるだけになっている。
近くには住友弥生炭鉱があったが、1970年閉山している。

⑦弥生駅跡の記念碑 2012年7月撮影

弥生からも路盤は道道と幾春別川の間のヤブになって幾春別まで続いている。

5.幾春別

幾春別は開業半年後の1889(明治22)年5月、郁春別から改称(漢字変更)されている。

駅跡にはバス待合所や郵便局・幾春別消防センターなどが建ち、駅舎やホームはおろか、廃止後もしばらく残っていた構内を跨ぐ人道橋もなくなり、駅の面影はまったく感じられない

⑧幾春別駅跡 左がバス待合所 右端は消防センター 2012年2月撮影

待合所などの建物が余裕をもって建てられていることが、広かった構内を偲ばせる。

⑧幾春別駅跡 終端方を望む 2023年10月撮影

ちょうど駅本屋のあったあたりに建つ待合所の弥生方に、三笠市の手になる幾春別駅跡を示す記念碑がある。

⑧幾春別駅跡の記念碑 2023年10月撮影

記念碑の表面には駅舎の絵と開業年月日、裏面には幌内線の歴史がまとめられているが、文頭の「北海道最初の鉄道として明治15年に完成した幌内線」というのは、ちょっと引っかからないでもない。

⑧同裏面の碑文 2023年10月撮影

郁春別まで延びたのは、記念碑表面にもあるとおり明治21年だから、ちょっと整合性がない。
これは弥生・萱野の記念碑と同じ碑文(駅名だけ変更)だからだろう。

駅跡から駅前通りを望むと、住友奔別炭鉱の竪坑櫓が見える。

⑨元の幾春別駅前通り 遠方に住友奔別炭鉱の竪坑櫓がそびえる 2012年2月撮影

幾春別地区は、かつては奔別炭鉱や北海道炭礦汽船(北炭)幾春別礦で栄えた街だったが、ともに閉山して数十年を経た今では商店や民家がかなり減っている。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

今回はここまでです。次回は三笠から幌内へと向かいます。

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