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わたしが沢山のnoteを読み漁っている、たった一つの理由。

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2/7 上級編「あなたは与える人?それとも奪う人?」
2/5 中級編「あなたがネットで稼げない本当の理由」を公開
2/3 初級編「note副業を成功させる基本的なマインド」を公開



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夜の底で、
私はスマートフォンの青白い光に顔を照らされている。

指先が画面をなぞる。

他人が書いた、
体温の宿る言葉を求めて、
noteの海を泳いでいる。

気づけば一時間、
二時間が過ぎる。

「読み漁る」という言葉が、
今の私には一番しっくりくる。

なぜ、
私はこんなにも他人の言葉を欲しているのか。

それは、
自分一人では見つけられない「私」のかけらを探しているからだ。


正直に言えば、
私は自分の感性に自信がない。

真っ白なキャンバスを目の前にして、
一から傑作を描き出せるような天才ではない。

私の心は、
放っておくとすぐに凪いでしまう。

何を見ても「へえ、そうなんだ」で終わってしまう。

そんな、
感受性の乏しい自分が時々怖くなる。

だから、
私は他人の視線を借りる。

誰かが日常の些細な出来事に心を揺らし、
それを言葉に紡いでいるのを見て、
初めて「あ、私もこれを知っている」と思い出す。

道端に咲く名もなき花に感動した誰かの文章を読んで、
ようやく昨日自分が見た景色の色に気づく。

私の読書体験は、
忘れていた記憶の呼び出し作業に近い。


noteを読み漁るのは、
単なる暇つぶしではない。

それは、
自分の中に眠っている「隠れた気づき」を探すための、
必死の採掘作業だ。

誰かの痛切な失敗談を読んだとき、
胸の奥がちくりと痛む。

その痛みこそが、
私が書くべき材料になる。

「なぜ今、私は痛いと思ったのか?」

「同じような経験が、私にもあったのではないか?」

そうやって自問自答を繰り返す。

他人の文章は、
私の心の奥底にある暗い部屋を照らす懐中電灯だ。

光が当たって初めて、
そこに埃を被った大切な感情が転がっていることに気づく。

私はそれを丁寧に拾い上げ、
自分なりの言葉という布で磨き上げる。

それが、
私の「noteを書く」という行為の正体だ。


私は、
自分が空っぽであることを以前は恥じていた。

独自の意見がなく、
他人の影響ばかり受けている自分が嫌いだった。

けれど、
今は少し違う。

空っぽであるということは、
それだけ多くのものを受け入れられるということだ。

誰かの言葉に素直に感動し、
影響を受け、
そこから自分なりの解釈を見つけ出す。

それは、
一種の才能だと思えるようになった。

私の文章は、
純度100%のオリジナルではないかもしれない。

けれど、
無数の素晴らしい誰かの言葉をフィルターにして、
私という人間を通り抜けて出てきた「混合物」だ。

その混ざり具合にこそ、
私という個性が宿る。


私がnoteを読み漁る理由。

その明確な答えは、
「自分を更新し続けるための燃料補給」だ。

自分一人の思考の檻に閉じこもっていては、
言葉は腐っていく。

外の世界に触れ、
他人の魂に触れることで、
私の心は初めて動き出す。

読み漁ることで得た「気づき」は、
私を動かすエンジンになる。

書く材料がないのではない。

まだ、
気づいていないだけだ。

だから私は、
今夜も画面をスクロールする。

誰かの言葉に、
私の心の弦を震わせてもらうために。


もし、
あなたが今「書くことがない」と悩んでいるなら、
まずは誰かの言葉を浴びるほど読んでみてほしい。

嫉妬してもいい。

落ち込んでもいい。

その揺れ動いた感情こそが、
あなただけの「材料」になる。

私はこれからも、
弱さを抱えたまま、
誰かの言葉を道標にして書き続ける。

読み漁る時間は、
私が私を取り戻すための、
最も贅沢な時間なのだ。



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