【恋愛小説】前編:画面の向こうの君と、中庭のベンチで。
画面の向こうの彼女は、
いつも小さな嘘をつく。
「今日は満月が綺麗だよ」と、
彼女はメッセージを送ってきた。
カーテンを開けると、
空にはぶ厚い雲が垂れ込めている。
僕は苦笑しながら、
キーボードを叩いて返事を出した。
「君の街からは、雲を突き抜けて月が見えるんだね」
すぐに既読がつき、
笑っている絵文字が画面に揺れる。
彼女のハンドルネームは「ルイ」。
僕の唯一の話し相手だ。
高校に入学して三ヶ月、
僕はまだクラスに馴染めずにいた。
周囲の賑やかな会話に、
どうしても入っていくことができない。
そんな僕の救いが、
毎晩のルイとのチャットだった。
ルイの声は知らないが、
文字から温かい人柄が伝わってくる。
ある夜、
ルイが突然「同じ制服の人を見たよ」と言い出した。
添付された写真には、
僕が毎日着ている制服の袖が映る。
心臓が跳ね上がった。
ルイは同じ高校の生徒だったのだ。
「私、実は君の近くにいるのかもね」と、
文字が踊る。
僕は急に、
画面の向こうの彼女をリアルに感じ始めた。
翌朝、
僕はいつもより早く教室の席についた。
すれ違う女子生徒の誰もが、
ルイである可能性を秘めている。
ルイの手がかりを思い出す。
彼女にはいくつかの特徴があった。
まず、
文章の端々に「〜なのだ」という少し古い口癖が出る。
そして、
クラシック音楽が好きで、
特にピアノが得意らしい。
さらに、
柑橘類の香りが好きで、
いつもレモンの飴を携帯する。
最後に、
緊張すると左の髪を指でいじる癖があると言っていた。
これだけの手がかりがあれば、
きっと見つけられるはずだ。
僕は胸を高鳴らせながら、
まずは自分のクラスを見渡した。
休み時間、
僕は手がかりを元に女子たちの観察を始める。
まず一人目の候補は、
クラスの委員長を務める佐藤里奈だ。
彼女は真面目で、
いつも背筋をピンと伸ばしている。
佐藤さんが教壇で「提出物は明日までなのだ」と言った。
心臓がドキリとした。
あの特徴的な口癖そのままだ。
しかし、
彼女の机の上にあるのは、
お茶のペットボトルだけ。
レモンの飴らしきものは、
どこにも見当たらなかった。
二人目の候補は、
隣のクラスの元気なギャル、
高橋唯だ。
彼女が廊下を通り過ぎた時、
爽やかなレモンの香りがした。
思わず振り返ると、
彼女は友達と大声で笑い合っている。
「マジでウケる」と言う彼女の声は、
かなりハスキーだ。
ルイの文字から想像していた、
静かなイメージとは少し違う。
それでも、
あのレモンの香りは決定的な証拠かもしれない。
三人目の候補は、
図書室でよく見かける大人しい鈴木あゆみだ。
彼女はいつも窓辺の席で、
熱心に本を読んでいる。
僕が近づくと、
彼女は緊張したように左の髪を指でいじった。
その仕草は、
ルイがチャットで教えてくれた癖と完全に一致する。
鈴木さんは僕の視線に気づき、
恥ずかしそうに俯いてしまった。
四人目の候補は、
音楽室から聞こえるピアノの主、
渡辺麗奈だ。
彼女が奏でるショパンの調べは、
繊細でとても美しい。
ルイは「ショパンのノクターンが好き」と語っていた。
音楽室の窓から覗くと、
彼女は真剣な表情で鍵盤を叩いている。
放課後、
僕は屋上のフェンスに寄りかかり、
溜息をついた。
四人の候補者は、
それぞれルイの特徴を一つずつ持っている。
口癖の佐藤さん。
香りの高橋さん。
仕草の鈴木さん。
ピアノの渡辺さん。
一体この中の誰が、
毎晩僕と話しているルイなのだろう。
全員が魅力的で、
そして全員がどこかルイらしく思える。
スマホを取り出し、
ルイに「学校で君を探している」と送った。
すぐに「見つかるといいね」と、
いたずらっぽい返事が来る。
ルイは僕が自分を探していることを、
楽しんでいるようだ。
「ヒントをちょうだい」と、
僕は少し甘えるように頼んだ。
「明日の昼休み、中庭のベンチにいるよ」と、
ルイは言う。
心臓が激しく鼓動を刻む。
ついに明日、
彼女と会えるのだ。
画面の文字が、
急に現実の重みを持って僕に迫ってくる。
僕は嬉しさと同時に、
大きな不安に襲われるのを感じた。
もし、
実際の彼女が僕の想像と全く違う人だったらどうしよう。
いや、
それ以上に、
彼女が僕を見て失望したらどうすればいい。
ネットの海で繋がっていた僕たちの関係が、
現実へと動き出す。
もう引き返すことはできない。
僕はただ、
明日を待つだけだ。
夕焼けに染まる校舎を見つめながら、
僕は深く息を吐いた。
明日の昼休み、
中庭で全ての謎が明らかになるはずだ。
僕はスマホをポケットにしまい、
決意を胸に家路へとついた。
つづく
#とらねこ
#とらねこ村
#画面の向こうの君と 、中庭のベンチで
#創作大賞2026
