【鈴木詩織】後編:画面の向こうの君と、中庭のベンチで。
放課後のチャイムが鳴り響くと同時に、
教室の空気が動き出す。
「詩織、準備はいい?」と、
高橋さんが私の机に駆け寄ってきた。
真面目な佐藤さんも、
私の肩をポンと優しく叩いてくれる。
「私たちはもう帰るのだ。あとは自分の力で掴み取るのだ」
音楽室の渡辺さんも「応援してるね」と、
手を振ってくれた。
三人の頼もしい親友たちは、
私にウインクをして教室を出ていく。
誰もいなくなった静かな教室で、
私は大きく深呼吸をした。
二列斜め後ろの前田くんの席を見ると、
すでに彼の姿はない。
彼は今、
どんな気持ちで中庭へ向かっているのだろうか。
私はブレザーの裾をきれいに整え、
ゆっくりと歩き出した。
階段を一段ずつ下りるたびに、
心臓の鼓動が耳の奥で激しく響く。
「一番よく見ている場所の、すぐ近く」
私が残した最後のメッセージの意図を、
彼は気づいてくれただろうか。
中庭に出ると、
校舎の影が長く伸び、
すべてがオレンジ色に染まっていた。
昨日の賑やかさが嘘のように、
そこには静寂だけが広がっている。
私は誰もいない木製のベンチに、
そっと腰掛けた。
前田くんに背中を向ける形で座り、
ただじっとその時を待つ。
もし彼が来なかったら、
もし彼が私だと知って落胆したら。
ネガティブな思考が頭をよぎり、
胸の奥がキュッと締め付けられる。
その時、
背後からザッ、ザッという、
躊躇いがちな足音が聞こえた。
足音はベンチの手前でピタリと止まり、
静かな沈黙が流れる。
私の背中に、
彼の真っ直ぐな視線が突き刺さるのを感じた。
「鈴木さん」 掠れた、
だけど温かい彼の声が、
私の名前を呼んだ。
心臓が跳ね上がり、
私は肩をビクッと震わせてしまう。
ゆっくりと振り返ると、
そこには夕日に照らされた前田くんがいた。
彼は驚きと、
どこか納得したような表情で私を見つめている。
私は猛烈な緊張に襲われ、
いつもの癖で左の髪を指でいじった。
「気づいて、くれたんだねなのだ」
緊張のあまり、
佐藤さんに教わった口癖が口をついて出てしまった。
あ、と声を漏らして顔を赤くする私を見て、
前田くんの目が丸くなる。
だけど次の瞬間、
彼の表情がふわりと和らぎ、
優しい笑顔に変わった。
「ルイ、やっと会えたね」
その言葉を聞いた瞬間、
私の目の奥が熱くなるのを感じた。
画面の向こうの文字だった「ルイ」が、
現実の私と繋がった瞬間だった。
私は恥ずかしさに耐えながら、
でも嬉しくて、
何度も大きく頷いた。
「ごめんなさい、直接話す勇気がなくて」
私は俯きながら、
胸に溜め込んでいた本当の気持ちを話し始めた。
クラスで一人でいた彼を、
私がずっと気にかけていたこと。
話しかけたくて、
ネットを通じて不器用なアプローチをしたこと。
友達のみんなは、
弱気な私を助けるために作戦を立ててくれたこと。
一気にまくしたてる私に、
前田くんはそっと近づき、
隣に腰掛けた。
「僕の方こそ、すぐ近くにいた君に気づけなくてごめん」
前田くんの優しい声が、
私の不安をすべて消し去っていく。
「だけど、すごく嬉しかったよ。探している間、楽しかったから」
そう言って微笑む彼の横顔は、
私が画面越しに恋した彼そのものだった。
文字だけのルイを好きになってくれた彼が、
今の私を見てくれている。
「これからは、スマホじゃなくて、ここでたくさん話そう」
彼の真っ直ぐな言葉に、
私は顔を上げ、
最高の笑顔で頷いた。
ポケットの中で、
私たちのスマホは静かに眠っている。
もう、
画面の向こうの文字に頼る必要はどこにもない。
初夏の爽やかな風が、
夕焼けに染まる二人の間を優しく吹き抜けた。
「よろしくね、前田くん」
私の本当の声が、
彼の手元へと届き、
二人の距離を確かに縮める。
二列斜め後ろからの視線は、
もう過去のものになった。
ここから始まる私たちの新しい日常が、
鮮やかに輝き始めている。
鈴木詩織編 おしまい
#とらねこ
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#創作大賞2026
