娘へ贈られた、不器用な父の「おめでとう」
佳奈の父、健一は寡黙な人だった。幼い頃から、言葉よりも背中で語るタイプ。褒められた記憶も、叱られた記憶も、鮮明な言葉としては残っていない。大人になってからも会話は最低限。「元気か」「ああ」で終わるのが常だった。特に感情を露わにすることはなく、佳奈の結婚の際も、「おめでとう」の一言はあったものの、その声には特段の抑揚もなかった。
そんな父が、つい先日、初孫の誕生を控えた佳奈に、新しいスマートフォンを贈ってきた。特に理由も言わず、ただ「持っておけ」とだけ。佳奈は戸惑いながらも受け取ったが、その意図は分からなかった。
そして、陣痛から十数時間。小さな命がこの世に生まれた。元気な女の子。佳奈は疲れと感動で、涙が止まらなかった。病院から夫が健一に電話を入れた際も、返ってきたのは「そうか。お疲れさん」という、やはり淡々とした声だったという。
出産から数日後、佳奈が病室でスマホを触っていると、見慣れないアプリのアイコンに気づいた。「レコーダー」と書かれたそのアプリを開くと、一つだけ音声ファイルが保存されていた。日付は、佳奈がスマホを受け取った日。
好奇心と、少しの不安に駆られながら、再生ボタンを押した。
まず聞こえてきたのは、微かな呼吸音と、ゴソゴソと何かを探る音。やがて、咳払いが一つ。そして、健一の声が響いた。
「ええと…これは、お父さんだ。佳奈」
その時点で、佳奈の心臓は高鳴った。父が、自分の名前を、こんなにも優しく、そして震えるような声で呼ぶのを初めて聞いた。
「お前が…小さい頃から、お父さんは不器用で、何を話したらいいのか、分からなかった。いつも、もっと話しかけたい、と、思ってはいたんだがな」
沈黙。マイクに近すぎるのか、父の息遣いがやけに大きく聞こえる。
「出産。大変だと聞いている。お前が、お腹に子を宿したと聞いたとき、正直、怖かった。あの小さかった佳奈が、もう、母親になるのかと」
父の声は、時折途切れ、言葉を探しているようだった。
「…無事に生まれてくること、ただそれだけを、毎日祈っている。お父さんは、何もしてやれないが、この、この新しいスマホで、生まれた子の、産声でも、何でもいい。その、幸せの音を…一番にお父さんに聞かせてくれ。聞かせてほしい」
そして、最後に、絞り出すような「佳奈、頑張れ。おめでとう」という言葉。それは、佳奈が知っている父の「おめでとう」とは全く違う、魂のこもった、震える声だった。
わずか2分ほどの音声ファイル。再生が終わった瞬間、佳奈は声を出して泣き崩れた。
今まで自分が感じていた父との距離は、父の愛情の欠如ではなく、ただ父が言葉を尽くす術を知らなかったからだと、初めて理解した。このスマートフォンは、父にとって、直接は言えない想いを託すための、唯一のメッセージボトルだったのだ。
父の不器用な愛の証明。佳奈は、自分の顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになるのも気にせず、その場で何度も何度も「ありがとう」と繰り返した。 そして、愛娘の可愛らしい寝顔を見つめながら、決心した。この音声を、娘がいつか成長した時、必ず聞かせてあげようと。そして、自分は、言葉を惜しまない、愛情豊かな母親になろうと。
佳奈にとって、初孫の誕生以上に、この音声こそが、人生で最も感動的な「産声」となった。
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