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28歳で突然社長になった僕に、経営の準備なんてなかった。

父が急に倒れたとき、僕はまだ作業服を着たまま現場にいた。

「来てほしい」という連絡を受けて、工具を置いて病院に向かった。
頭の中にあったのは、今日中に仕上げないといけない車のことだった。
現場の段取りのことが気になっていた。
父の容体がどれほど深刻か、まだわかっていなかった。

その数週間後、僕は会社の「社長」になっていた。28歳だった。

第1話では、父が一代で築いた職人の会社の話を書いた。
第2話では、下請けの仕事だけで回っていた当時の経営の実態を書いた。
この第3話は、何の準備もないまま「社長」という肩書きを背負うことになった、あの頃の話だ。



父の急死と、引き継ぎのない事業承継


準備も引き継ぎも、なかった


病気のことは知っていた。

でも、「まだ先のことだ」と思っていた。
父自身も、そう思っていたんじゃないかと思う。引き継ぎの話はなかった。経営の数字を教えてもらったこともなかった。
「会社のことは追い追い」という雰囲気が、なんとなく続いていた。

急死だった。

葬儀の翌週から始まった現実


葬儀が終わった翌週から、僕は会社の代表として動かなければならなかった。

銀行口座の名義変更
メインの取引先(ディーラー)への挨拶
従業員への説明
税理士との打ち合わせ
各種許認可の確認
何ひとつ「知っていた」ことがなかった。全部、初めてだった。

そのとき感じたのは、「悲しみ」よりも、もっと原始的な「恐怖」だった。

会社が止まれば、従業員の給料が払えなくなる。取引先に迷惑をかける。
父が何十年もかけて守ってきたものが、
自分の手で終わってしまうかもしれない。
そのことだけが頭の中をぐるぐるしていた。

2025年版の中小企業白書によると、
後継者不在率はいまだ54.5%あるという。
準備のある承継でさえ難しいのに、
突然となればその何倍もの負荷がかかる。
あの頃の僕は、その重さをまともに受けながら、
ただ倒れないようにしていた。


「社長」という肩書きだけが先に来た


名刺と、空っぽな自分


社長になって最初に気づいたことがある。

社長という名前は、すぐにやってくる。
名刺に印刷され、取引先から「社長」と呼ばれる。
役所の書類にも、銀行の書類にも、
自分の名前が「代表取締役」として並ぶ。

でも、経営者としての中身がついてくるのは、ずっと後の話だ。

経営のことは何もわからなかった


現場のことはわかっていた。
父のそばで仕事を覚えていたし、塗装や鈑金の技術的な話はついていけた。でも「経営」は別だった。

売上がいくら必要で、コストがいくらかかっているのか
どの仕事が本当に利益になっていて、どれが赤字スレスレなのか
資金繰りの考え方、銀行との付き合い方
何ひとつわかっていなかった。

父はどうやってこれを回していたのだろう、と何度も思った。
聞けなかったことが、死んでから次々と出てきた。

社長になったからといって、すぐに経営者になれるわけではない。


当時の僕には、現場を動かすことが精一杯だった。
工場を止めないこと。従業員が毎日仕事をできる状態を保つこと。
それだけで、一日が終わっていた。



職人の会社が持っていないもの


動いているのに、余裕がない


父が作った会社には、確かな技術があった。

腕のいい職人が揃っていた。長年の取引先もあった。
ディーラーからの仕事は、途切れることなく回ってきた。

でも、少しずつ気づいていったことがある。

工場は動いているのに、お金の余裕が増えない。仕事はあるのに、自分たちで何かを決めた気がしない。頑張れば頑張るほど、誰かの仕事を丁寧にこなしているだけで、自分の会社の未来が変わっていく感覚がなかった。

下請け構造が持つ、静かな限界


技術があっても、それを「売る力」がなければ、会社は受け身のままでいるしかない。


下請けの仕事は、待っていれば来た。
価格は相手が決めた。
「もう少しいただけませんか」と言える立場ではなかった。

職人の会社に足りなかったのは、こういうことだったと思う。

お客様と直接つながる力
自分たちで価格を決める力
仕事を自ら取りに行く力
父の時代は、それがなくても回っていた。
長年の信頼関係と人脈で成り立っていた。
でも、その信頼と人脈は「父個人」のものだった。
父がいなくなったとき、それは一緒に消えてしまう部分があった。


二代目経営者へ ── 最初から経営者でなくていい


「社長らしく」しなくていい


もし今、同じような立場でこの記事を読んでいる人がいるなら、
一言だけ伝えたいことがある。

最初から「経営者」でなくていい。

社長になったばかりの頃、僕は「社長らしく振る舞わなければ」と思い続けていた。数字が読めないことを恥じていた。
従業員の前でわからないことを言えなかった。

でもそれは、ただ自分を追い詰めていただけだった。

継ぐことは、すでに十分な覚悟だ


経営は、少しずつ覚えていけばいい。
わからないことは、正直にわからないと言えばいい。
二代目だからといって、最初から完成した経営者である必要はない。

父から受け継いだ会社を守ろうとすること、そこで働く人たちの生活を守ろうとすること。それだけで、十分すごいことだ。


大切なのは「このままでいい」と思わないこと、それだけだと思う。



まとめ:真面目に働くだけでは届かない


一生懸命だった、でも


あれから何年も経った今、振り返って思うことがある。

僕はあの頃、本当に一生懸命だった。毎日現場に出て、父のやり方を守り、下請けの仕事を丁寧にこなした。従業員と一緒に汗をかいた。
誰よりも早く来て、誰よりも遅く残っていた。

でも、どこかでわかっていた。

このままでは、会社の未来は変わらない。

真面目に働くことと、会社に未来を作ることは、別の話だ。
下請けのままでは価格の主導権を持てない。
父から受け継いだ構造をそのまま続けていくだけでは、
じわじわと会社が細くなっていく。

次回へ ── 変えると決めた日の話


その気づきが、少しずつ積み重なっていった。

第4話では、「真面目に働くだけでは届かない」と気づき始めた日から、自分の代で変えていくと決めるまでの話を書こうと思う。
どうやって下請け依存から抜け出す一歩を踏み出したのか。
そのリアルを、次の話に書きます。



今日の話をまとめると:

- 突然の事業承継は、誰も準備できていない。だから責めなくていい。
- 「社長」という肩書きと、経営者としての中身は別物。
- 職人の会社には技術があるが、「売る力」「直客とつながる力」が育っていないことが多い。
- 最初から経営者である必要はない。大切なのは「変わる覚悟」を持てるかどうか。


読んでくださりありがとうございました。
「自分も同じだった」と感じた部分があれば、
ぜひコメントで教えてください。
同じような境遇の人と、つながりたいと思っています。



参考資料:
2025年版中小企業白書(中小企業庁)事業承継: https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/2025/chusho/b1_1_9.html
2024年版中小企業白書(中小企業庁)事業承継:
 https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/2024/chusho/b1_3_6.html

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