【アメリカ生活】「かわいそう」を吹き飛ばした、最強ママ友
中学生の親は「窓口」が狭い。暗闇での情報収集
新しい土地では、「誰と出会うか」が、その後を大きく左右する。
特に海外では、その重みを何度も痛感した。
以前、書いた記事、これにつながる話である。
自分のことならなんとかなる。だが、海外では、自分が経験したことがないため、子どもの学校についてどう進めていけばいいか、情報がないと本当に困るものだ。
それでも子どもが小学生以下の場合だと、駐在員人口も多いので、比較的出逢う機会も多い。だが、中学となると途端に窓口が狭くなる。
中学生になると、進学を考えて子どもを日本に残す家庭が一気に増える。
しかも中学生ともなると、一般的にはやることなすこと全て子どもベース。親が参加するような行事もないので、保護者と出逢う機会も減る。
そのため、中学生高校生の子連れの駐在員家庭にとっては、困っているときに、どれだけ同じ境遇でもある日本人のママ友に出逢えるか、またその相手がどんな人か、それ次第で子どもの学校生活が大きく変わるのだ。
少なくとも私はそうだった。
玄太の行く中学校には日本人が数人いたのだけれど、なんせ知り合うきっかけがない。
ESLに行っても日本人で知り合うのは子どものいない人か、いても小学生というのが数人ほど。
ホント困ってしまった。
「かわいそう」という一言で、止まってしまった息子の時間
上の記事にも書いた通り、唯一いた知り合い。
その人が、教えてくれた学校情報の中に放課後のクラブ活動というのがあった。
じゃあ早速入れてしまえっ!と思ったのだが、そうするとその人に言われた。
「えっ?もう入れちゃうの? いきなりかわいそうじゃないの?」
はい、それは確かに一理あります。きっと玄太も嫌だというだろうし、そもそもクラブといっても、日本のそれとちょっと様子が違うようで、概要は教えてもらったものの、経験していないから見えてこない。
「かわいそう」と言われたら、なんだか私がヒドイ親みたいな気がして、
で、あきらめてしまった。
そして、その学期が終わり、次の新学期。
またクラブへ入るチャンスが巡ってきた。
それでも私は、「かわいそう」という一言から抜け出せなかった。
それからほどなくして、学校に新しい日本人が入学してきた。
衝撃の出逢い。入学即入部、そして「Close Your Eyes!」の喜劇でなくて悲劇
そのお母さんとは、ESLでの出逢いだった!はい、まさに偶然の出会い。
もちろん一気に仲良くなった。
今まで蓄積されてきたうっ憤や悶々とした気持ちが全て消滅。どれだけ私は解放され、うれしかったことか。
半年ですよ、半年。信頼できるママ友と出逢うまでの半年間は、まるで見えない霧の中を玄太の手を引いて歩いているようだった。
驚いたのは、その人の娘ちゃん、なんと入学していきなりクラブに入っていたのだ!!
彼女は、こちらに来てすぐに先輩の会社奥さんたちから、懇切丁寧にいろいろと中学校の情報を教えてもらっていて、アドバイスを受けてすぐに
クラブに入れたとのこと(きっといいママたちだったんだろう)。
いやあ、私、それを聞いた時、バシッと頭を殴られた気がした。
最初に「かわいそう」と言った人が悪いわけではないし、それは子どもの性格によっては、正論だ。
でもこの経験のない読者の方に言い訳させていただくと、本当に、こちらの学校生活は全く想像がつかなかった。
だから日本人先輩親の助言はものすごく左右されるのだ。
そして私が言いたいのは一行目にも書いたとおり、コレ。
出逢う相手は、すごく大事。もうメチャクチャ大切。
そのママ友との出逢いをきっかけに、あれよあれよと日本人ママ友の輪が広がった。
子どものことだけじゃない。私は彼女から他にも影響されたことが色々あった。
(これ読んでくれていたら怒られそうだけど)彼女の英語はせいぜい私並み。決してペラペラではない。
でも彼女曰く、
「私の言ってること、アメリカ人には通じないことが多いんだけど、私、気にしない」
そう、さらりと自然体で言ってのける。それからこの一言も忘れられない。
「ヨガのクラスに入ったのは大失敗だった」と言うので、「そんなの、みんなのマネしたらいいだけじゃないの?」と聞いたら、
「だってね、一番最初に、『Close Your Eyes!』って言われちゃったのよ!」

と、彼女はケロッと笑った。
背中を押すのは「正論」ではなく、軽やかな「挑戦」
全く呑気でお気楽でチャレンジャーなところ、スバラシイ!
海外生活は、トータル私の方が長いのだが、とにかく私が躊躇していることでも、彼女はポンとやってしまう。
彼女がそうすると、立ち止まっている私も、玄太の背中を押しやすくなる。
そしてお陰で玄太のアメリカ生活が充実していく。結果、私のアメリカ生活も!
彼女の出逢いに感謝しつつ、その恩返しに、私は中学生のお母さんで情報不足で困っている人がいたら、すぐにお節介をする人になった。
その後、玄太も、その頃に渡米してきた子どもたちも、少しずつチャレンジャーになっていった。
人は、人に背中を押されて変わっていくのだ。
十年前に書いたこの記事を編集しながら、この頃の気持ちを久しぶりに思い出した。
