短編:儚きもの
──藤四郎は、強き剣士になることに憧れていた。いつしか無双の剣豪と呼ばれる日を夢見ながら。
長く続いた戦乱の世が、ようやく治まりかけていた時代。
日本一の剣客と名を馳せた武士たちの集団があった。
彼らは「雄刃組」と名乗り、主君の守護と領内の警護を任されていた。
だが、ある時よりその役目は変わった。人ならざる者──妖魔の出現によって、その襲撃から人々を守る組織へと移行していったのである。
妖魔はおぞましい異形の姿をしていた。自然の力を操るもの。怪力で人の三倍ほどの体躯を持つもの。怪しげな術で人の心を惑わせるもの。その能力も姿も、実に様々だった。
初めは誰もが思った。
──そんな化物に、敵うわけがないと。
だが、雄刃組隊士の剣の腕は凄まじかった。七つに分けられた隊の隊長ともなれば、その剣技は神の御業とさえ称えられるほどである。
強靭な精神。磨き上げられた剣技。鍛え抜かれた体術。「心技体」の三拍子が揃った彼らは、剣豪の名を欲しいままにし、妖魔とも互角に渡り合ってきた。
藤四郎は、その雄刃組五番隊の末席に配属されたばかりの駆け出しだった。まだ、一度も妖魔と戦ったことはない。
崇拝する五番隊隊長の不知火と、副隊長の鳴神は神速の剣の使い手である。
鞘から抜かれた太刀を目でとらえることは不可能に近く、斬られた相手は何が起こったのかわからないまま絶命すると言われていた。
他の隊長格にも、金剛の剣、演舞の剣、隠者の剣などを極めた強者たちがいる。
そんな隊長たちの強さを目の当たりにすることで、妖魔など恐れるに足りないという士気が湧き上がっていた。
その一角を担える剣士になること。それが藤四郎の想いだった。傷だらけになりながらも厳しい鍛練を欠かさず、来る日も来る日も夜ふけまで、隊士仲間と模擬戦を繰り返す日々を送っていた。
ある日の未明、緊急の召集がかかった。
万全の警護で最も安全だったはずの、主君・南条将重の居城、義根城が妖魔の手に落ちたという。
逃れてきた者の報告では、数体の妖魔がいきなり天守に現れ、雄刃組隊士が次々と討ち死にしていったらしい。
その中には、雄刃組最強と言われた一番隊隊長と二番隊隊長、その配下の隊士たちも多く含まれていた。
主君一族の生死は不明。戦いを目撃した者は皆、これまで対峙してきた妖魔とは桁違いの強さだったと口を揃えた。
さらに信じがたいことに、その妖魔たちを従えているのは、年端もいかない娘らしい。
かつての同盟国であった盛後国の大名、来栖忠政の娘、徳姫の姿に酷似していたというのだ。
徳姫は三年前、わずか三歳にして、両国の不可侵誓約時の人質として、来栖家嫡男の忠興と共に南条家に差し出されていた。
だが、その誓約を来栖家が破ったため、嫡男の忠興は斬首。来栖家はお家取り潰しとなった。皇族の血を引く徳姫は、南条家の許嫁として、来栖家で唯一生き永らえた悲劇の姫君である。
事の真相を掴むため、全隊士をもって城を包囲した。
三番隊、四番隊、五番隊が大手門から、六番隊、七番隊は東の京橋門から入城し、妖魔を討つよう命令が下された。藤四郎にとっては、これが初陣だった。
薄暗い回廊は、しんと静まり返っている。暗がりに潜む妖魔の気配を探りながら、隊士たちは白刃を構えて歩を進めていった。
藤四郎は行灯を持たされていた。先頭と中間、そして最後尾にも数人の行灯持ちがいる。戦力外と見なされている証拠だった。
最後尾にいた藤四郎は、背後からの襲撃に備え、後ろ歩きで辺りを照らしていた。
手柄を逸る同期の隊士たちの背中を見て、胸の奥がざわつく。この機会に、自分も参戦して名を揚げるつもりでいたのだ。
やがて各隊が城内で合流すると、前方で鈍い音が響いた。何かが叩きつけられるような音。
「怯むなーっ! かかれーっ!」
隊長たちの鼓舞する声が、回廊にこだまする。妖魔が現れたのだ。
ぐしゃり、と何かが潰れる音。それに続いて悲鳴が上がった。
前方を見ると、鬼のような妖魔に体を掴まれた隊士たちが、次々と壁に押し付けられ、一太刀も浴びせることなく、命を潰されていた。
藤四郎は戦慄した。あれほど訓練された隊士たちが、赤子のようにあしらわれている。頼みの綱の隊長たちですら歯が立たず、無造作に投げ飛ばされていた。
そんな修羅場の中を、事も無げに歩く娘の姿があった。徳姫だ。
藤四郎も、かつて何度か拝謁したことがある。顔立ちは、記憶の中にあるものと変わらない。
だが、その様相は、南条家への怨嗟が具現化したかの如く、恐ろしいものへと変貌していた。
頭には大小四本の角。血に染まった頬は、透き通るように白い。瞬をしない瞳は、着ている着物と同じ紅色だった。
無表情に、ただ前だけを見つめて歩いている。それだけのはずなのに、言い知れぬ不気味さが漂っていた。
瘴気でも放っているのだろうか。徳姫に近づくだけで呼吸困難になる者や、意識を失う者が続出した。
そして妖魔たちは彼女を守るように囲んでいる。彼女が妖魔を従えていることは、疑いようもなかった。
──あんな化物を、城の外に放ってはいけない。大丈夫だ。隊長たちと一緒なら、勝てる。
藤四郎は恐怖を振り払い、己を奮い立たせた。今日まで培ってきた剣の腕を試す絶好の機会だ。
剣豪になり、立派な剣士として生きるためには、ここで退いてはならない。隊長たちから教わってきた不屈の信念を、今こそ貫くのだ。
行灯を床に置き、覚悟を決めて抜刀した、その瞬間だった。藤四郎の目の前に、五番隊隊長の首が転がってきた。
「ひっ!」
思わず声が漏れ、尻もちをつく。藤四郎の不屈の信念とやらは、その瞬間、いとも簡単に折れてしまった。
恐怖に縛られたまま、後ろ手をついて後ずさると、背中が壁にぶつかった拍子に、壁が回転した。
気づくと、藤四郎は壁の裏側へと落ちていた。城の内部には、こうした仕掛けがいくつもあった。敵に攻め入られた時、伏兵を置いたり、身を隠したりするためのものだ。
幸いにも、落ちる瞬間を誰にも見られてはいない。
壁板の隙間から回廊を窺うと、仲間たちが命を賭して戦っていたが、やがて断末魔の叫びが途絶えた。
──雄刃組が、全滅したのだ。
藤四郎は思った。今さら自分が出ていったところで、何ができるというのか。このまま、騒ぎが収束するまで隠れていよう。この惨状を報告する責務が、自分にはあるのだから。
──報告する? 誰に?
主君の居所もわからず、隊長たちもいない。誰に、何を伝えるというのか。
城下へ逃げた役職のある者に告げ、領民を妖魔から守れとでも言うのか。
──守る? 誰が?
雄刃組は、もういないのだ。
死んでいった仲間たちへの負い目や、自己嫌悪を一生引きずることになっても構わない。もはや藤四郎の願いは、この場から何としてでも逃げ延びることだけだった。
もう一度、壁板の隙間から回廊を窺う。藤四郎が置いた行灯を、徳姫が拾い上げる。そして、そのまま目の前を通り過ぎていった。
妖魔たちがその後に続く。長い回廊の先を曲がって見えなくなれば、ひとまず安心だろう。
日が高くなるまで、ここに隠れていよう。今後は刀など持たず、どこか遠くの国へ行って静かに暮らせばいい。
あと数歩で、妖魔の一行が曲がり角に差しかかろうとしたその時、徳姫の足が止まった。
心臓が、早鐘を打つ──全身を、絶望の闇に包まれた気がした。
徳姫が、振り返ったのだ。
──藤四郎は、強き剣士になることに憧れていた。いつしか無双の剣豪と呼ばれる日を夢見ながら。
されど、哀れなり藤四郎。
憧れは憧れのまま、夢は夢にして、儚くも潰えてしまった。
その若き命の灯火までも、道連れにして。
このお話は「鬼胎」の後日譚となっています。
↓併せて読んでいただけると幸いです。
