短編:鬼胎
◉風まかせ文芸部【鬼】参加作品
米問屋、喜多屋の幸助は、盛後国への道すがら、街道脇の桜の下で弁当を広げていた。
竹の皮に包んだにぎり飯をひとつ食べ終わろうとした時、ふいに後ろから声をかけられた。
「あの……」
振り返ると菅笠をかぶった女が、何やら訳あり顔で幸助を見下ろしていた。
「なんでございましょう?」
残りのにぎり飯を竹の皮に包み、体の向きを変えた幸助に、女はしゃがんで目線を合わせた。
「盛後に向かわれるのでございますか?」
百合の花を思わせる白い肌と、整った顔立ちの女を見て、幸助はいささか動揺してしまった。
「はあ……ええ、いかにも。御用聞きで波多のお城までいくところにございます」
幸助は商人然とした人当たりの良さそうな笑顔で答えた。
「では、少しばかりお時間をいただいてもよろしゅうございますか?」
女は申し訳なさそうな表情で幸助の手を取った。浮いた話とは無縁の幸助にとって、小躍りしたくなるような出来事だ。
「どのようなご用向きですかな?」
「この先の林の中で奇妙なものを見かけましたもので……」
「奇妙なもの……で、ございますか?」
「はい。一人ではどうにも恐ろしくて、ご同行してもらおうかと」
少し警戒はしたものの、幸助の心は柔らかな女の手の感触に絆されてしまっていた。
「さて、その奇妙なものとは一体……」
「一見は獣の死体のようにも見えましたが、鬼の首のようでもありました」
「鬼の首ですと!」
幸助は手に持った包みを落としそうになった。
近頃になって鬼のような大男を見ただとか、牛のような頭の鬼を見たという話を聞くようになった。
信じてはいなかったが、もし本当なら近寄りたくはない。だが一方で、商人としての見識が頭の中で素早くそろばんをはじく。
本当に鬼の首なら持ち帰り、見世物として興行すれば儲かるに違いない。一説には鬼の角を砕き、煎じて飲めば、精力が漲るという。その煎じ薬を作れば、こちらも飛ぶように売れるだろう。
幸助は話半分のつもりで女についていくことにした。
峠の道を少しばかりそれた林の中にそれはあった。明るい光が降り注ぎ、時が止まったような静けさを纏った場所に。
ひと目でこの世のものではないことがわかるそれは、微塵も動くことはなく、ただ静かにこちらを睨んでいるようだった。
「こ、これは……どうやら本当に鬼の首のようですな」
「そうでございましょう? 奉行所に届け出た方がよろしゅうございますか?」
「そうですな。ですがここは私にお任せください。盛後に着きましたら奉行所にお伝えしておきますので」
幸助は下心を女に気取られないよう、平静を装って続けた。
「ですが、このことは誰かに話しちゃなりませんよ。騒ぎになれば、こんな所で何をしていたのかと女子の身で要らぬ詮索を受けますからな」
幸助はこの女が用を足しに林に入ったと踏んでいた。もし違っていたとしても、そのように言っておけば、この女は誰にも喋らないだろうと考えた。
「ええ、話しませんとも。恐ろしいものに関わるのはごめん被りますから。ああ、くわばらくわばら」
「ささ、そうと決まればここから早く立ち去りなされ」
女は何度か頭を下げて街道の方へと消えていった。
「さて、どうしたものか……」
幸助はまず鬼の首をよく観察した。首だけでも猪ほどの大きさだ。二本の大きな角と、閉じた口からはみ出す牙は身震いするほどに禍々しかった。
周囲の枯れ木や葉を集め、それを被せて鬼の首を隠した幸助は、波多の城への御用聞きを取りやめ、店へと戻った。
次の日、幸助は数人の丁稚たちを連れ、鬼の首を持ち帰るため、大八車を引いて峠へと向かった。昨夜のうちに主人や番頭には経緯を話してある。
蔵の中を片付け、当面の隠し場所までこしらえていた。
峠に着くと、大八車を置いて、林の中へと入った。鬼の首のあった場所まで来ると、不思議なことに鬼の首は消え、角だけが残っていた。
足で均すように辺りを探ってみたが何も見つからず、幸助は諦めざるを得なかった。
残されていた角を、幸助は持ち帰った。砕いて煎じ、薬に仕立てたのは、最初は半ば戯れのような気持ちからだった。だが、その煎じ薬は、思いのほかよく効いた。
熱に伏していた者は起き上がり、長く床についていた者は仕事に復帰した。
噂は町中に広がり、いつしか「万病に効く霊薬」とまで言われるようになった。
数ヶ月後、波多の城下は姫ぎみの誕生にわいていた。立ち並ぶ商店は皆、国の繁栄と姫の健やかな成長を願い、紅白の幕や提灯を掲げ、町全体が祝祭の空気に包まれていた。
領主の来栖忠政により、町人に酒や餅が振る舞われ、仮装した子どもたちも歌や踊りで町を練り歩いた。十歳になったばかりの藤四郎も木刀を腰に差し、侍の仮装をして喜びを分かち合った。
しかし、徳姫と名付けられたその姫君は、それから間もなく重い病に伏してしまう。医師も手を尽くしたが、小さな命は風前の灯だった。
そして、そのことは瞬く間に城下へと伝わっていった。それを知った幸助は、恒例の御用聞きの際、鬼の角の煎じ薬を波多の殿様に献上することにした。見舞いの品を携え、店の者数人と城へ向かった。
その道中で怪しげな老婆と出会った。
「その薬、鬼の角から作ったのではあるまいな」
唐突な言葉に、幸助は足を止めた。
「何のことで?」
「よく効いたであろう。人々は救われたであろうな」
老婆は、笑っているのか、それとも憐れんでいるのか見分けのつかない顔で言った。
「だが、それは“薬”であると同時に“種”でもある」
「種……?」
「憎しみや恨みが、深く深く根を張ったとき、その種は芽吹く。人は、人ならざるものへと変わってしまう」
幸助は苦笑いした。
「縁起でもない。そんな話で人を脅して、何か儲け話でもあるのですかな」
「信じるか信じぬかは、お前次第よ。ただ……」
老婆は、波多の城の方角を見やった。
「あの城の姫が、いつかすべてを失ったら……げに恐ろしき姿となろう」
「ばかばかしい」
幸助はそれ以上取り合わず、城へと向かった。その背中に老婆は尚も投げかけた。
「姫だけではないぞ。それを口にした者が憎しみを抱えた時、異形の者に身を落とし、剣を持って対峙する者たちもまた、その因果に巻き込まれるのだ」
幸助は、聞こえぬふりをして先を急いだ。
幸助が献上した煎じ薬は、最後の望みとして徳姫に与えられた。やがて、姫の容体は落ち着き、奇跡のように快方へと向かった。
城中は安堵と歓喜に包まれ、幸助は姫の命を救えたことに胸をなで下ろした。
その帰り道の城下で、木刀を振る一人の少年に出会った。
徳姫誕生の祝祭で、侍の仮装をしていた藤四郎という名の子で、幸助の店がある峰滝国の剣客集団に入り、強い剣士になるのだと目を輝かせていた。
「姫様も助かったんだ。きっと、この国は安泰だ」
少年のその言葉を、幸助が何気なく聞き流した時、ふと、あの老婆の声が脳裏をよぎった。
──それは、種でもある。
その瞬間、なぜか幸助の胸で別の姿が重なった。
春の街道で、菅笠をかぶり、桜の下で声をかけてきた女。白い肌に、整った顔立ち。
あのとき、林へと自分を導いた、あの女の姿だった。
──馬鹿な。
幸助は小さく首を振り、歩みを早めた。あの女と老婆が結びつくはずもない。旅の疲れが、つまらぬ連想を呼んだだけのことだ。
だが、その胸の奥に残った言い知れぬ寒気は、いつまでも消えることはなかった。
数年後、盛後国は滅び、妖魔が世に溢れ、徳姫は鬼となる。
剣客集団は壊滅し、藤四郎はその初陣で命を落とすのだ。
その始まりが、あの春の日に見つけた鬼の角であったこと。
そして──あの林へと自分を導いた女こそが、すでに人ならざるものであったことを、この時の幸助には、知る由もなかった。
このお話は過去作「儚きもの」の前日譚となっています。
↓併せて読んでいただけると幸いです。
