短編:送られなかった言葉たち
◉風まかせ文芸部【未送信】参加作品
私の親ガチャはハズレだ。ずっとそんなふうに思って生きてきた。自分の人生がうまくいかないのは、全部そのせいだと、疑いもせずに。
両親が離婚したのは、私が小学生の頃。経済的な理由で、私は父に引き取られた。感情を表に出さず、厳格で正しいことしか言わない人。抱きしめられた記憶も、夢を応援された記憶もない。
家のことは家政婦さんに任せっきりで、それで娘には十分与えているつもりだったのだと思う。
確かにお金に困ったことはなかった。欲しいものは大体買ってもらえたし、小遣いも十分にもらってきた。私立の学校にも通わせてもらったし、人からは羨ましがられていた。
でもだからこそ、お金では買えないものがあることを、私は早くから知ってしまったのだ。
私には、歌手になりたいという夢があった。高校生の頃、父にその夢を話すと、芸能界は厳しい世界だからお前には無理だと言われた。
それでも、オーディションを受けること自体は禁じられなかった。身をもって知れ、という意味だったのだと思う。
そんな父を見返してやりたくて、私は何度もオーディションに応募しては、落ちることを繰り返した。カラオケ大会や素人の歌番組にエントリーしたり、動画を配信したり、やれることは全部やったつもりだ。
でも、歌うだけの私とは違い、詞も曲も書ける天才的なアーティストが台頭する世の中で、私が日の目を見ることはなく、悔しさを積み重ねるばかりの苦しい日々が続いた。
高校卒業を間近に控えたある日、韓国アイドルの新規プロジェクトで、書類審査とオンライン面接を通過した。二か月後に現地へ行き、歌やダンスの技術審査。それを通過すれば合宿でレッスンを受けながら人間性の審査が行われ、篩にかけられながら最終審査まで進む。
目指している場所とは違っていたけど、そこを足場にきっかけを掴めると思った。
問題は父だった。
エスカレーター式の学校だったため、大学進学は決まっていたが、進学しない選択を父に報告すると、案の定、聞く耳を持ってはくれなかった。
父の家系は有名大学を出ている人ばかりで、学歴には強い執着を持っていた。
私の将来を思ってのことだろうけど、それが私の未来に必ずしも幸せをもたらすとは限らないのに。
この時を境に、父には何も相談しないと決めた。自分の将来は自分で決める。夢は自分で掴む。そう決心した夜だった。
しかし、自立していない私にとって、最初の壁は渡航費や滞在費といった金銭的な問題だった。貯金をするという習慣なく育ってきた私には、とても大きな問題だった。
短期間とはいえ、海外でひとりで生活することにも不安しかない。
結局、離れて暮らす母に相談することになった。
母は再婚し、別の家庭を築いていた。年の離れた妹もいる。それでも母は私の話を聞き、力を貸してくれた。
母のおかげで、夢を追う生活はなんとかなった。渡航費も、滞在費も、生活費も。
だが、そこまでして渡航した韓国のプロジェクトも、結局は勝ち残ることはできず、失意のまま帰国したのだった。
帰国後も私は、歌手になるという夢を掲げ、父に反抗ばかりしていた。そうすることでしか、自分を保てなかったからだ。
いつしか私は母だけを頼るようになり、息苦しさを感じていたあの家を出て、父との生活に終止符を打ったのだ。
現在の私は結婚して子どももいる。夢はまだ叶っていない。
家族に支えられ、迷惑をかけながら、いまだに歌を手放せずにいる。母親としてうまく立ち回れない私の言うことなど、娘は素直に聞いてはくれない。
難しい年頃なのはよくわかっている。決して嫌っているわけではないのに、何かとイライラして辛く当たってしまうこともしょっちゅうだ。
そんなふうに、良き妻、良き母親にもなれない自分を腹立たしく思う日々が続いていた。
あの日以来、疎遠になった父には、結婚したことも、娘が生まれたことも報告はしなかった。
風の噂に聞いてはいるだろうが、父の方からも連絡がくることはなかった。
知らせを受けたのは冬の寒い朝だ。父が突然倒れて、そのまま亡くなったと。
疎遠になっていたとはいえ、戸籍上はひとり娘である私が喪主となり、葬儀も執り行った。
すべてが落ち着いた頃、遺品整理の最中に父の使っていたスマホを手に取った。古い機種で、画面には指紋も残っていた。ロックはかかっていなかった。
画面を見つめていた私は思わず息を止めた。私宛てのメッセージがあったのだ。
『元気にしているか』
『芸能に詳しい知り合いがいる。困ったら訪ねてみなさい』
『歌のことで相談できる人を紹介したい』
『無理をしていないか』
『結婚おめでとう』
『いつか孫の顔を』
メッセージはすべて未送信だった。
日付もバラバラ。私が海外にいた頃、オーディションに落ち続け、生活が苦しかった頃、結婚した頃、娘が生まれた頃……。
溢れる涙が止まらなかった。子を持つ親になった今だからこそ、父の想いが痛いほどに突き刺さる。
その想いに何ひとつ気づけなかった自分の愚かさを悔やんだが、もう遅いのだ。
後に母から聞いた話だ。
あの日の渡航費や滞在費は、父が母の口座に振り込み、私を援助してほしいと頼んでいたという。
「直接だと、あいつは逃げるかもしれない。嫌気がさして夢を放り出さないよう、黙って支えてやりたい」そう言っていたらしい。
不器用で、感情をほとんど表に出さない人だったけれど、今になって、はっきりとわかる。
父は、私の夢を否定していなかった。
私は親ガチャにハズレたのではない。私の両親が、子ガチャにハズレていたのだ。
親の気持ちを理解しようともしなかった子。感謝もせず、背を向けてきた子。
そんなふうに生きてきた私は思う。
私の娘の親ガチャは、きっとハズレなんだと。
いつまでも未熟で、夢を追い続け、完璧な親になれない。
それでも、娘がいつか夢を語ってくれたなら、私は全力で応援したいと思っている。
そして願っている。父の未送信のメッセージのように、伝えることのできなかった想いがそこにあったと、いつか気づいてもらえる日が来ることを。
