短編:祖父の書斎
◉風まかせ文芸部【書斎】参加作品
それは祖父が亡くなって、五日目のことだった。
誰もいなくなった家の二階。扉の前でしばらく息を止めて立ち尽くした。
──祖父の書斎。生前は誰にも入らせなかった部屋だ。
扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。窓際の机の上には、三つのものが並んでいる。
古い万年筆と書きかけの原稿。そしてもう一つは、小さなスノードームだ。
窓から差す薄明かりの中で、スノードームのガラスが光ったように見えた。
原稿には、たった一行。
『ある日、少年は書斎に隠された扉を見つける』
僕は息をのんだ。まるで祖父が、この瞬間を予言していたかのようだったからだ。
その言葉に導かれるように、僕は部屋の奥を探ってみた。
本棚と壁の間に、小さな継ぎ目を見つける。
押すと、軋んだ音とともに扉が開いた。
中は狭く、奥の壁には曇ったガラス窓がひとつだけはめ込まれていた。僕は近づいて覗き込んだ。
すると、窓の向こうでは雪が降っていた。降り積もった雪で真っ白な世界。
そばに立つもみの木にも、粉雪が音もなく積もっていく。
──なぜ?
季節は春、外に雪なんて降っていなかったはずだ。そして僕は、雪景色の向こうを見てまたもや息をのむ。空一面に、巨大な祖父の姿が映し出されていたのだ。
幼き日に見たまだ若い頃の祖父。書斎の机に向かい、万年筆を走らせているようだった。インクが紙に触れるたびに、ひとひらと雪が舞い落ちる。
目の前の雪は、まるでガラスの内側から降っているように見えた。
──まさか!
僕は気づいた。ここはスノードームの中だ。しかもここから見えているドームの外の書斎は過去のものだ。
ガラス越しに見える祖父の視線が、ゆっくりとこちらを見た。
「見つけたね。続きを頼むよ」
そう言って祖父がペンを置くと、雪は光に変わり、景色が揺らいだ。
僕の視界も白く染まり、何もかもがやさしく遠ざかっていく。窓があったはずの場所は何もない壁に変わっていた。
僕は隠し部屋を出て書斎に戻り、机の上の原稿に新たな一文を書き足した。
『少年が扉をくぐると、世界は静かに巻き戻り、雪の積もる家の中から空を見つめた。その空は、書く者の心を受け継ぐ鏡であり、言葉をしたためると雪が降り積もる』
そばにあるスノードームを揺らすと静かに雪が舞い上がった。その中には、小さな家、もみの木、そして窓の明かり。
だがよく見ると、窓辺に人影があった。窓に張りつくようにして、その小さな影はゆっくりとこちらを見上げた。
その顔は、どこか僕に似ている気がした。僕の子供だろうか、それとも孫だろうか。
時の流れの中、遠い未来で、まだ見ぬ誰かが書斎の隠し部屋を訪れたのだ。
僕は彼に祖父と同じ言葉を投げかけた。
「見つけたね。続きを頼むよ」
もう一度スノードームを揺らす。雪が舞い、スノードームの中の窓の灯が、静かに瞬いた。
──物語の灯は、まだ消えていない。
