短編:甘い選別
◉風まかせ文芸部【チョコ】参加作品
そのチョコレートは、政府公認だった。
「摂取者の“価値基準を判断し、最適化”します」
難しい言葉だが、要するに「その人にとって最も重要なものが分かる」という触れ込みだった。
ストレス社会の特効薬として、瞬く間に普及していった。
会社員の村上も、配給所の列に並んでいた。仕事はきつい。給料は安い。家庭では居場所がない。
何を優先すればいいのか分からず、毎日が不満だらけだ。
「これで、人生の答えが分かるのか?」
半信半疑でチョコを受け取り、帰宅してひとかけら口に入れた。
──甘い。
その瞬間、頭の中が、すうっと静かになった。うるさかった思考が消え、代わりにはっきりとした結論だけが残る。
「そうか……」
村上は呟いた。
「俺にとって、一番大事なものは……自分だ」
妙に納得できた。会社も、家族も、世間体も、すべてがどうでもよく思えた。
翌日、村上は会社を辞めた。理由を説明する気も起きなかった。家にも帰らなくなり、妻と子の顔を思い出そうとしても「面倒だ」という感情しか浮かばなくなった。
街に出ると、似たような人間が増えていることに気づく。
仕事を放り出す者。
家族を捨てる者。
責任を忘れる者。
みんな、妙に晴れ晴れとした顔をしている。
ニュースでは、こう説明されていた。
「このチョコは、人間の脳から“二番目以下の価値”を感じる回路を抑制します。結果として、最優先事項だけに集中できる、非常に合理的な状態になります」
街は、急速に変化した。
医者は、自分の健康だけを守るようになり、患者を診なくなった。
警官は、自分の安全だけを守り、事件に近づかなくなった。
政治家は、自分の地位だけを守り、国のことを考えなくなった。
それでも誰も、不満を言わなかった。言う理由が、消えていたからだ。
しばらくして、社会は静かに壊れた。電気は止まり、水も出なくなり、物流も止まった。
それでも人々は、慌てなかった。自分のことしか、大事ではないのだ。
配給所の前で、チョコを配っていた係員は、ぼそりとつぶやいた。
「……やっぱり、うまくいったな。“選別”は」
政府からの報告書には、こう記されていた。
【本製品の目的:“他者や社会を必要としない個体”の抽出】
係員は、人通りの少なくなった街を見回して、満足そうにうなずいた。まるで予定通りの作業だったことを確認するかのように。
「……あとは、処理するだけだな」
チョコレートは、何も知らない人々の口の中で、今日も甘く溶けていた。
