短編:真夜中の扇風機
◉風まかせ文芸部【真夜中の扇風機】参加作品
梨花は窓辺に置いた古い扇風機の前で膝を抱えていた。窓の向こうには、夏の夜空。
星が滲むその向こうには、肉眼では見えない数多の銀河が広がっている。そう思うだけで、不思議な気持ちになった。
扇風機は、ゆっくりと首を振る。そのたびに風が頬をなでる。まるで「まだ起きてるの?」と誰かが話しかけてくるようだった。
二十二歳。大学を卒業した春、梨花は東京での就職を断った。ずっと夢見てきた仕事だったが、断るしかなかった。
母の病気が見つかり、父一人では家のことを回せなくなっていたからだ。
「後悔してない?」
友人は何度も聞いた。梨花は笑って「うん」と答えた。だけどその答えは、自分に言い聞かせるためのものだった。
本当は知りたかった。もしあの日、違う道を選んでいたら、私は今、どんな夜を過ごしていたんだろう。
遠くで犬が吠えている。静かな住宅街は、世界から切り離された島みたいだった。
梨花は窓の外を見上げる。遥かなる銀河の光は、何万年、何百万年という旅の果てに、ようやくここへ届く。
今見えている星のいくつかは、もう存在していないのかもしれない。それなのに光だけは、旅を続けている。
「……私も、そうなのかな」
夢は消えたと思っていた。でも、本当は違う。夢へと向かっていた光は、まだ自分の中を飛び続けている。
形は見えなくても、届くかどうかも分からなくても、諦めたと思っていた夢は、まだ終わっていなかった。
そのとき、扇風機はまるで何かを見つめるように首を振るのを止めた。風はまっすぐ、窓の向こうへ流れていく。レースの薄いカーテンがふわりと持ち上がる。梨花は、誰かに背中を押された気がした。
宇宙は何も語らない。何十億年もの時間を静かに抱えたまま、そこにあるだけだ。だからこそ、人はその沈黙に、自分の答えを映してしまうのだろう。
梨花はスマートフォンを手に取った。画面には、半年前に途中まで書いて保存したメール。宛先は、就職を辞退した会社だった。
「もし機会があるなら、もう一度挑戦させていただけませんか」
書きかけのまま、送れなかった文章。「お久しぶりです」と、ひと言だけ書き足して送信ボタンを押す。
扇風機は、再び静かに首を振り始めた。その風はもう、部屋を冷やすためだけに吹いているのではない。
はるか宇宙の彼方より、何万光年もの旅をしてきた光のように、人の想いもまた、遠回りをしながら未来へ届く。
真夜中の扇風機は、宇宙と同じように何も語らない。ただ、その風に吹かれていると、自分の中にあった答えは、少しずつ輪郭を帯びていくような気がした。
