短編:選択と結果
◉風まかせ文芸部【選択】参加作品
金曜の夜の繁華街は、人通りが多かった。居酒屋の暖簾が揺れ、路地には酔客の笑い声が流れている。そんなざわめきの中で、私は聞き覚えのある声を聞いた。
「おい、頼む……やめてくれ!」
野太いが、少しかすれた声。見れば、会社の上司だった。いつも職場で私に嫌味を言い、些細なことで怒鳴るあの人だ。
顔は真っ赤で、かなり酔っている様子だ。数人の若者たちに囲まれ、胸ぐらを掴まれていた。
若者たちも酔っているのか、口調は荒い。今にも殴りかかりそうな空気が漂っていた。
私は立ち止まった。この状況で自分にできることを、頭の中でいくつか並べてみる。
1、直ちに助けに入る。
2、少し離れて警察を呼ぶ。
3、通りがかりの人に助けを求める。
4、見なかったことにしてその場を去る。
どれも、現実的な選択肢だと思うが、どれも選ばなかった。
ただ、少し離れたところで立ち止まり、様子を見ていた。誰かが止めに入るかもしれない。警察が通りかかるかもしれない。若者たちが飽きて立ち去るかもしれない。そんな、どこか他人事のような気持ちで。
それでも心のどこかで期待をしていた。若者たちが上司を痛めつけてくれるのを。
結局、近くの交番から警官が駆けつけて仲裁に入り、騒ぎはそれ以上大きくならなかった。若者たちはぶつぶつ言いながら離れ、上司は強い味方を得たとばかりにこう叫んだ。
「覚えてろよ! クソ野郎!」
つばを吐き、ふらつきながら夜の街へと消えていった。
私はそのまま家路についた。歩きながら、ふと思った。あの時、自分は何も選ばなかった。助けることも、逃げることも、誰かに頼ることも。
ただ、成り行きを見守っただけだ。上司の災難を期待していたことも理由だが、それもやはり選択のひとつなのだ。
人はいつも、何かを選択して決めている。行動するか、しないか。関わるか、関わらないか。
そしてその夜、私は確かにひとつの選択をしていた。
──何もしない、という選択を。
翌週の月曜日。会社に行くと、上司が私を呼び止めた。いつものように嫌味な笑みを浮かべてこう言った。
「金曜の夜は、助けてくれなくてありがとう」
私は返事ができなかった。上司は肩を軽く叩き、声を落として続けた。
「知ってたよ。少し離れたところで、ずっと見てたろ」
背筋が冷えた。上司はにやりと笑った。
「安心しろ、人事評価にはちゃんと反映しておくよ」
再び肩を叩かれ、最後にあの夜と同じ言葉を言った。
「覚えてろって言っただろ? クソ野郎」
