短編:半分、過ぎて
◉風まかせ文芸部【半分、過ぎて】参加作品
四十五歳になって、健一は歳を数えることをやめようと思った。何歳になったのかは覚えていても、昔のように誕生日を楽しみに待つことはなくなったからだ。
仕事を終え、ひとり暮らしのアパートに帰る。冷蔵庫には昨日の残りの惣菜。テレビをつけて、無言のまま夕飯を済ませる。六月の湿った風が、少しだけ開いた窓から入り込んでいた。
日曜日。今日は父の日だった。幼い娘からプレゼントをもらっていた頃を思い出す。
とはいえ、健一にはもうあまり関係のない日だった。妻とは十年前に別れ、娘は大学進学を機に遠くへ行った。
元気にしていることは知っている。たまに連絡も来る。それだけで十分だと思うようになっていた。
テレビから流れる父の日特集をぼんやり見ながら、健一はふと思った。人生も、もう半分は過ぎてしまったなあ、と。
子供の頃、四十五歳は大人を通り越して老人のように思えた。だが実際になってみると、老人と呼ぶにはまだ若く、若者と呼ぶには遅すぎる。
人生の折り返し地点。いや、もう少し先まで来ているかもしれない。そう考えると、胸の奥が少しだけ冷えた。
若い頃は忙しかった。仕事を覚え、結婚し、家を買い、娘が生まれた。毎日が慌ただしく過ぎていった。
いつか旅行に行こう。いつかギターを弾こう。いつか小説を書こう。そう言いながら、二十年以上が過ぎたが「いつか」は来なかった。
いや、来なかったのではない。自分が迎えに行かなかっただけなのだ。
食器を洗い終えたあと、健一は押し入れの奥のものを引っ張り出した。埃をかぶったギターケース。大学時代に買ったアコースティックギター。娘が小さい頃、休日になるとよく弾いていた。弦は錆びていた。
「お互い、歳を取ったな」
思わず苦笑する。その時だった。
テーブルの上のスマートフォンが震えた。画面に表示された名前を見て、健一は少し目を丸くした。娘からだった。
「父の日だから連絡してみた。元気?」
短い文章。そして、続けてもう一通。
「小さい頃、お父さんがギター弾いてくれるの好きだったな」
健一は思わず、目の前のケースを見つめた。忘れていた。いや、忘れたつもりになっていた。娘は覚えていたのだ。
休みの日、狭いリビングで下手なコードを鳴らしながら歌ったこと。肩車をしながら笑い合ったこと。あの頃の自分を。
胸の奥に、小さな灯りがともる。涙が出るほどではない。しかし、長い間閉じていた部屋のカーテンを少しだけ開けたような、そんな温かさだった。
窓の外を見る。六月の夕暮れ。海沿いの真っ白な展望タワーが、雲の切れ間からこぼれる夕陽に赤く染められていた。
若い頃のように、人生が無限に続くとは思わない。失ったものもある。取り返せないものもある。後悔だって、いくつもある。
でも、半分を過ぎたということは、終わりに近づいたという意味だけではない。ここまで生きてきたということでもある。
泣いた日も。笑った日も。別れも。出会いも。全部を抱えて、ここまで歩いてきた。
そして、まだ少し先が残っている。人生は、若さを失う旅ではなく、少しずつ、自分という人間を知っていく旅なのかもしれない。
健一はスマートフォンを手に取った。
「ありがとう」
そう打ち込んでから、少し考えた。
「久しぶりにギターを弾いてみようと思う」
送信すると、すぐに返事が来た。
「いいじゃん。お父さん、まだ四十五でしょ?」
「人生、半分過ぎたくらいじゃない?」
「ここから後半戦だよ」
健一は思わず笑った。静かな部屋に、自分の笑い声が響く。
そうか。半分か。でも、まだ終わりじゃない。若い頃のように、何者かになろうと焦る必要もない。誰かと比べる必要もない。
ただ、好きだった自分を、もう一度迎えに行けばいい。
健一は通販サイトでギターの弦を注文した。
指は痛くなるだろう。忘れたコードも多いだろう。それでもいい。もう何かを始めるのに、遅すぎることはない。
窓ガラスに映る自分の顔には、少し白いものが増えていた。だが、悪くない顔だった。四十五年、生きてきた顔だった。
六月二十一日。父の日の夕暮れ。人生の折り返し地点に立った男は、ようやく気づいた。 半分過ぎたからこそ、これから先の時間は、自分のために使ってもいいのだと。
夕焼けの向こうで、一番星が静かに光り始めていた。
