短編:水無月の夜
◉風まかせ文芸部【6月の寝言】参加作品
うつつとも 夢とも知らず 寝言にて
祭りまだかと 水無月の夜
──大島蓮司
祖母が寝言を言ったのは、六月の雨の夜だった。祖母はリビングの隣の部屋で、横になっていた。窓の外では雨樋を伝う水の音がしている。梅雨らしい、しっとりとした夜だった。
私は麦茶の入った湯呑を片付けようとして、その言葉を聞いた。
「祭りはまだかね」と。
はっきりした声だった。起きているのかと思ったが、覗いてみると眠っていた。口元をゆるめ、まるで楽しみなことを待っている子どものような顔をしていた。
この辺りの祭りは七月の初めだ。だから祖母の寝言はおかしくはない。子どもなら、祭りが待ち遠しくてそんな夢を見ることもあるだろう。
でも祖母は九十二歳だ。ここ数年は足も弱り、祭りに出かけることはない。それなのに、どうしてそんなに嬉しそうな顔をしていたのだろう。
翌朝、私はその話をしてみた。
「昨夜、祭りはまだかねって寝言で言ってたよ」
祖母はきょとんとした。
「そうかい」
「祭り好きなの?」
「好きだよ」
祖母は笑っただけで、それ以上は語らなかった。ただ、どこか遠くを見るような目をした。気になった私は、後日、母に聞いてみた。
「おばあちゃん、昔から祭り好きだったの?」
すると母は少し考えてから言った。
「祭りそのものというより、人を待ってたのかもしれないね」
「人?」
「戦争に行った人」
祖母には戦死した兄がいたそうだ。出征する日、提灯の片付けが始まった神社で別れたという。
「また一緒に夏祭りに来よう」
兄はそう言い残したまま帰ってこなかった。戦死の報せだけが届いたそうだ。私は初めて聞く話だった。
祖母はその後、長い人生を生きた。それでも、心のどこかには、あの頃へと続く道が残っていたのかもしれない。
六月の終わり。私は仏間の掃除をしていて、仏壇と壁の隙間に封筒を見つけた。色褪せて煤けた封筒は年月を感じさせた。中には一枚の写真。若い兵隊姿の青年と、その隣で浴衣を着て笑う少女が写っていた。
裏には墨で「祭りの日に」とだけ書かれていた。
その夜も雨だった。私は写真を祖母に見せた。祖母はしばらく黙っていたが、やがて小さく微笑んだ。
「懐かしいねえ」
そう言いながら、指先で写真をなぞった。窓の外では雨が降り続いている。
祭りにはまだ少し早い。だけど祖母の目は、どこかその先を見ていた。
神社の参道に提灯が並び、夕暮れの風に揺れている。浴衣姿の人々が行き交う。その向こうに、一人の青年が……そんな遠い昔の夏の日の幻影を。
──待たせたな。
そんな声が聞こえたのかもしれない。祖母は静かに目を閉じて微笑んだ。祭りの日を待ちわびている少女のように。
その夜、祖母はもう一度寝言を言った。
「祭りはまだかね」
うつつとも、夢とも知らず、水無月の夜は、静かに更けていった。
