ラヴィアンローズ(薔薇色の人生) 4
4. リインカーネーション
それからもユキオさんは、いつも通りに花の買い付けに行き、淡々と作業をこなしていた。あの会話は夢だったのではと思うほど、変わらない日常だった。
太陽は今日も昇り、私たちは花の手入れに精を出す。店の扉を広く開け、外の空気を体いっぱいに迎え入れるのだ。
店内へ足を踏み入れた人の
わあきれい!いい香り!
それを何度でも聞きたい。
花たちは容易く人の心に入り込み、作用し、笑顔を引き出してゆく。私が生み出す花たちもそうなれたらいいのにと、無理なことだとわかっていても望んでしまう私がいた。
*
日が傾いて、通りを行く人たちが長い影を作る時間。
先ほどから店の前を何度も行き来する少年がいた。
店のなかを覗き込んでは、すぐに踵を返す。たまたま私と目が合うと、慌てて逃げる逃げる。思わず苦笑いしてしまった。
私がブーケを作っていると、少年はようやく緊張した面持ちで店に入ってきた。
「いらっしゃいませ。お花を探しているの?」
少年はこくん、と頷く。
「誰かへのプレゼントかな?」
少年の目線の高さにしゃがみ込んで聞くと、体がねじれそうなくらいたっぷりもじもじした後、小声で教えてくれた。
「お母さんにあげたいの」
なんて可愛らしいのだ。
私は嬉しくなって、少年の決意を応援したい気持ちでいっぱいになった。
「お母さんのお誕生日?」
「ちがうよ」
「お母さんは、どんな色が好き?」
「赤」
「どんなお母さんかな?」
「やさしくて強くてポテトコロッケを作るのがじょうずなの」
「それは素敵だね」
少年に似た女の人が、じゃがいもを潰したり、サクサクのパン粉をまぶしたりして、コロッケを作るところを思い描いた。揚げ油がぴちぴちとはねる音が聞こえそうだ。
私はすっかり和んだ気持ちになった。
何かいい赤い花はないかと、少年とともに店のなかを見てまわる。
「そうだ、カーネーションはある?赤いやつ」
少年は良いことを思いついたという顔をして私を見上げた。
「お母さんにあげるなら、カーネーションだよ。ぼく、赤いカーネーションがいい」
「ごめんね。今日はカーネーションはないの」
今日に限って赤いカーネーションを仕入れていなかった。
「明日なら用意できるよ」
「明日じゃだめなんだ」
少年の瞳に丸い涙の粒がぷくりぷくりと膨らんだ。それは頬の上を転がって、顎の先からぽたりと落ちた。
「今日の夜、お母さんのお棺に入れたいの」
そういうと、小さな手に握りしめていた五百円玉を作業台の上にそっと置いた。
私は浅はかな自分を心のなかでなじった。
店に来る人が皆、明るい気持ちで花を求めているとは限らないのだ。
私の心の底で、竜巻のような渦が鋭く回転し始めていた。激しく吹き荒ぶ音が、体の外側にまで聞こえてしまいそうだった。
ちょっと待っててと少年に言い置き、私は大きなアレカヤシの木の陰に急いだ。
私は現実にはあり得ない花しか生み出したことがなかった。口から出るのは私の感情をまとった奇妙な花ばかりで、そんな私は驚くほど非力だった。
花屋に匿われていながら、人が本当に望む花を渡せないなんて。
私は本当の花がほしい。今生み出すなら赤いカーネーションでなきゃ嫌だ。赤いカーネーションにしかできないことがあるのだ。
この先私が私でなくなってもかまわないから、今すぐに赤いカーネーションをください。
何かわからない神様に、私は必死に祈った。
低い耳鳴りがした。寒くもないのに震え出し、私は両腕で自分を抱きしめた。心の竜巻は、相変わらずびゅるびゅると回転し続けている。体と心のまんなかが重苦しい。
少年が母親らしき女の人と楽しく会話する場面が頭をよぎる。少年のつやつやな髪を、愛おしそうに撫でるやさしい手。見上げる少年の瞳は、尊く澄んでいる。ころころとした笑い声。
ねえお母さん、お母さんったら。
こっちを見て。お返事して。
視界が外側から暗くなる。
喉が埋まるのが苦しくて涙目になる。
赤いカーネーションを生みたい。
赤いカーネーションをください。
難産の末に私が口から吐き出したものは、手のひらに乗るくらいの、とても小さな赤いカーネーションだった。何度目をこすってみても、それは邪なところのまったくない、三本の深紅のカーネーションだった。
とにかくこの花を信じるしかない。
私は呼吸を整えると、なんとか両手で花を握りしめ、少年のもとへ歩いていった。
「これはどうかな?」
拒まれるかもしれないと思いながら、私は赤いカーネーションを差し出した。
「わあ、カーネーションだ。ぼく、これがいい。これにする」
少年は、涙の流れた跡の残る顔のままで微笑んだ。私は安堵のあまり膝のちからが抜けてしまい、作業台に手をついて大きく息を吐いた。
「生まれ変わりって、あると思う?」
花をラッピングしている私の手元を見つめながら
少年が聞く。
「どうだろう。あるかもしれないね」
「お母さんが生まれ変わっても、またぼくのお母さんになってほしい。それでおいしいコロッケを作ってもらうんだ。ねえ、生まれ変わったらさ、
お母さんはぼくのことを忘れちゃうと思う?」
私は首を大きく左右に振った。
「忘れるはずないよ。何度生まれ変わっても
きみのことはすぐに見つけられると思うよ」
棺の蓋が閉められて、あの世とこの世がくっきりと分けられる時がきても、この花は亡き人をひとりぼっちにはしない。少年の想いが込められているのだから。
花は人とともに焼かれ、白い骨に染み込んでゆく。亡き人は、遺した人の心を抱きしめたまま、空へと昇ってゆくだろう。
カーネーションよ、この人たちを永遠に繋いでいてよ。
こわれものを抱くように花を持つ少年の、後ろ姿が見えなくなるまで店先から見送った。
少年の小さな影が長く伸び、大きく見えた黄昏時だった。
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5.モンステラの夢へ続く
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紙媒体の本を創りたい。という目標があります。
