トートバッグいっぱいの呪いを。3.
♢
自分の部屋はサンクチュアリだ。ドアを閉めると僕は僕の好きな物たちに守られる。読みかけの本や地球儀や化石やスケッチブックや色鉛筆が、ここにいればいいよと囁くから、ようやく僕は鎧を外して息をすることができる。
この部屋にいる限り、僕は大丈夫なのだ。
無理に笑わなくていいし、あいつらの声ももう聞こえない。
大きく息を吐くと、すぐそばで
「おかえり」
とママの声がしたので、僕は驚いて椅子から落ちそうになった。
「いつのまに入ってきたんだよ。ノックくらいしてよ」
僕がむくれても、ママはにこにこ笑っている。
「僕にだっていろいろあるんだから」
ひとりで泣きたい時もあるのだ。
カーペットの上に座って僕を見上げているママの髪はぐっしょり濡れていて、いく筋かおでこに張りついていた。シャワーにでも入ったのだろうか。部屋に入ってくるならちゃんと雫を拭いてからにしてほしい。
「ねえ。何かいいことあった?」
「ないよ。あるわけない」
僕は声を抑えながら答えた。ママは時々デリカシーのない人になる。
「ふうん」
ママは意味ありげに頷いて、どこから持ち出したのか、小型ブロックくらいの折り紙の束を机の上に置いた。
手のひらくらいのサイズの折り紙が、赤から紫色へと分厚い虹色の層を作っている。
ママはつややかで張りのある折り紙を1枚取ると、裏返した白い面に僕のシャーペンで何かを書き込んだ。
「嫌なことがあった時は、ここにプチ呪いの言葉を書くのよ」
「プチ呪い?」
「うん、そう。流行ってるのよ、知らないの?」
ママは右斜め上に視線を漂わせてしばらく考えるそぶりをした。それから思いつくままに、折り紙に文字を書いていった。
「きみを悲しませる奴に呪いをかける」
物騒なことを言うわりには、ママはどこか楽しそうで、僕は混乱した。
「呪いなんてかけられるのかよ」
ママは首をかしげて、さあどうだろう、というように笑った。
「こんなもんでどうかな」
ママは折り紙を三枚、僕の前に差し出した。
色のない白い面に、丸みを帯びたママの文字が
こまごまと並んでいた。
赤い折り紙
「カイを傷つける人は
土砂降りの雨の中で転びますように」
緑色の折り紙
「そして1日中濡れたシャツのまま
不快な気持ちで過ごしますように」
青い折り紙
「おろしたての靴で
ぬかるみにはまりますように」
「なにこれ」
僕のひきつった顔を見て、ママは唇を横に引いて得意げに笑った。そして器用に鶴のかたちに折っていった。
「プチ呪いなんて可愛いもんでしょ。でもちょっとすっきりするじゃない」
もしかして、これは。
学校で見た折り鶴が、頭の中で飛んだ。
いや、まさかそんなことがあるはずない。
ママが作った折り鶴に、そんな力があるとは思えない。しかも面白半分のプチ呪いなのだ。
色とりどりの鶴たちは、申し訳なさそうに机の上で折り重なっていた。ママはそれを買い物用のトートバッグのなかに無造作に突っ込んだ。
「折り紙の鶴は願いを込めながら折るでしょう。
世界が平和になりますように、とか。千羽鶴なんて、誰かの願いがたくさん集まって束になって、
祈りの塊になってるじゃない。良くも悪くも、効きめがあるんじゃないかなと思ってる」
ママは赤い折り鶴のお腹の穴に唇を寄せて、ふうっと息を吹き込んだ。途端に鶴は命を宿す。
「きみを悲しませる人のまわりに、プチ呪いの鶴を撒くの。これは小さな罰ね」
「念のため聞くけど、まさかこれを学校に持っていったりしてないよね」
ママはそれには答えず、ふふんと鼻を鳴らした。
「出かけてくるね」
ママはトートバッグをガサガサゆすると部屋から出ていった。折り鶴を持ってどこへ行くつもりなのだ。
エアコンの風に飛ばされた折り紙が1枚、僕の足元にはらりと落ちた。
雨の木曜日。
朝の教室は静かなパニックに陥っていた。
田辺が全身泥だらけになって登校してきたのだ。
ワイシャツからズボンから鞄までべったりと泥にまみれた、わけのわからないぬらぬらした物体が教室に入ってきた時、教室じゅうが騒然となった。それがイケてる田辺だとわかると、小声のさざなみがさあっと広がっていった。
遠巻きにしていた仲間たちが恐る恐る田辺に近づいた。
「ずいぶんと派手にやったな」
「よりによって一番ぬかるんだところで転んだ」
田辺は何色なのか判別不可能になった制服を脱いで、ジャージーに着替えようとした。けれども泥だらけの鞄のなかにも、ロッカーにも、どこにもジャージーはなかった。
「ジャージー、忘れた」
田辺は頭を抱え、ついでに髪についた泥を手でぬぐった。
うろたえた仲間のうちの1人が体育の山田先生のもとに走り、代わりのジャージーを借りてきて
その場はなんとかおさまったのだった。
ただし、それは小柄な山田先生の私物だったので、身長180センチの田辺が着るには小さ過ぎた。とはいえ他に代わりの着替えを持たない田辺に選択肢はない。
田辺は大きな体を精一杯縮めて、居心地の悪い屈辱の木曜日を過ごした。
帰りの昇降口で、田辺は唇を歪めながら下駄箱を開けた。そこには泥でコーティングされた純白の真新しいスニーカー。乾き始めた土がかたくこびりついていた。
ああ、もう!という田辺の嘆きが昇降口に響いた。
「なんだこれ」
泥スニーカーの中に、何か入っていたようだ。田辺が手を突っ込んでみると、青い折り鶴が出てきた。
「その鶴の中にも呪いの言葉が書いてあったりして」
田辺の手元を後ろから覗き込んだ渋沢が、ぶるりと身震いした。火曜日のケチャップ事件のことを思い出したのだろう。
田辺が折り鶴を開くと、渋沢の予想通りのことが起きていた。
「おろしたての靴でぬかるみにはまりますように」
声に出して読んだ田辺の顔は、おでこからあごの先まで、怒りの炎で真っ赤になった。
「誰だよこれ書いたやつは」
「まさか、塚田じゃないよな」
「それはないだろ。あいつにそんな勇気があるわけない」
奴らは顔を見合わせて薄く笑った。
その通りだ。もしも僕が勇者なら、とっくに学校をドロップアウトする道を選んでいたはずだ。
僕の上履きが、きゅっと音を立ててしまった。
田辺と仲間たちはその音に驚いて、一斉にこちらへ視線を送った。
奴らの視線をかいくぐって、僕は校舎を出た。西の空は夕焼け色に染まっていた。僕の顔もきっと、夕焼けに照らされて赤くなっているだろう。さっきの渋沢よりも。赤い折り鶴よりも。
確信してもいいかな。
空を見上げながら僕は僕に聞いてみる。
これは偶然じゃないよね。
ねぐらへ帰ってゆく鳥たちとともに、僕は家路を辿った。
(4.へ続く)↓
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✳︎
紙媒体の本を創りたい。という目標があります。
