ラヴィアンローズ(薔薇色の人生) 8-⑴
8. ラヴィアンローズ(薔薇色の人生)
日に日に私は私ではなくなっていった。
手の甲には葉脈の筋が浮かび、髪はするすると蔓のように伸び、毛先からは霞草に似た小花がほろほろと咲きこぼれた。
母にもユキオさんにも知られたくはなかったけれど、厚塗りファンデーションでも隠せないものがあるのだ。
母は病院に相談に行ったり(植物化を止める薬はない)、神社に拝みに行ったりと(祈ることくらいしか出来ないのは本当のこと)駆け回っていた。
これは仕方のないことなのだと母を止めようとしても、母は聞き入れなかった。母は諦めてはだめだと私に言い聞かせ、何か良い方法はないかと毎日探し歩いていた。
今日も手がかりを求めて出かけてゆく母。いつでも私の味方でいてくれる強い母の背中が、実はとても細くて儚いものだと気づいてしまった。
母の必死さを見て、私はただ自分を抱きしめて泣くことしかできなかった。
ごめんね、母さん。
母がくれたこの体は、もうすぐ木になってしまう。でもこれが私なのだ。
*
「木になるなんて、冗談だと言ってくれ。学芸会で木の役をやるのとはワケが違うぞ」
ユキオさんは、ダリアの茎くらいの細さの私の手首をつかんでいった。
水仕事でガサついたユキオさんの両手が、冷えた私の手をあたためる。ユキオさんの手は、すべての植物から愛されるチャーミングな手だ。
ユキオさんの手のぬくもりに安心した私は、すべてを話せる、と思った。
「私は木になることを、悲しんではいないのです」
「どうして」
何のために生きるとか、どうでもよかった。
生まれてきたからなんとなく流れにのって、浮かび続けてきただけだった。
でもそれは以前の私だ。
この花屋で花を手にした人たちは、私がどれほど幸せをもらっていたかなんて、知りもしないのだ。
子ども。おとな。お爺さん。お婆さん。これから父になる人。誰かの旅立ちを見送る人。たくさんの人がそれぞれの理由で、花を迎えにきてくれた。
花を見たとたん、口元と目元からだんだんと顔いっぱいに広がってゆく微笑み。
悲しみのなかでさえ、花を見つめる瞳はまっすぐに澄んでいた。
花束に顔を埋めて香りを嗅ぐ横顔に、私はいつも救われていた。
花は誰かを救おうなんて思っているわけじゃない。ただ太陽の方に顔を向けたがる性質があるだけだ。花は人の心にそっと寄り添い、作用する。たとえば暗いところからようやく光の方へ手を伸ばそうとする人の腕に、やわらかな蔓を巻きつけて支えるようなこと。花をそれをひそやかにやってしまえるのだ。
私にあなたのための花を選ばせてくれた。
私が生んだ花さえ受け取ってくれた。
そうして奇妙な私がこの世に生まれた理由を教えてくれた。
人の心の声に耳を澄まし、その人のための花を生む。その花を手から手へ渡してゆく。
花に託した想いをこの手で伝えたい。
私は花が好きだ。花に触れようとする人の手も好きだ。花を求める手を握り返したい。
今の私は花のちからを信じている。現実の花も、私が生んだ花も。
これから私は、私だけの花屋になると決めた。
エリカという植物の花言葉は、孤独。
だから何だというの。
ばけもので何が悪い?
これから先も沢山の人の心に出会う私は、決して独りではない。
いつかは森に辿り着き、果てしない空を仰いで思いきり光合成する。記憶の光を養分にして根を張り、ゆったりと枝を伸ばす。葉を翻して鳥を呼び、枝にたくさんの花を咲かせる。そして人の生きやすい綺麗な酸素を出しながら眠る。
木になることは、生きるかたちとして悪くない。私だけの花屋になることも木になることも、それほどかわらない。花屋の心のままの木になって、たくさんの花を人の心にも咲かせたいと思う。
ユキオさんの瞳から、ほろりと涙が滴った。それは八の字の口髭のなかを通り、私の手に落下した。涙には体温が宿るから温かいのだなと、私は微笑する。ユキオさんの涙に触れることで魔法が解け、元通りの私になりました。などという童話的な展開はもちろん起こらない。
「変わっていくのはえりかだけじゃないさ」
ユキオさんは白髪の増えた髪に手をやりながら、静かな声でいった。よく見るとユキオさんの口元の髭にも、白いものが混じっている。
「俺だっていつまでも今のままじゃいられない。白髪も皺も増えて、物忘れが多くなって、力がなくなっていって。いずれ花とも別れなきゃならない時がくるだろう」
ユキオさんは自分の手のひらに視線を落とした。
「そんな俺には何も残らないんだろうな。花どころか、誰にも何ひとつ届けられない、ただの老ぼれさ」
私はぎゅっと目をつむる。ユキオさんのいるこの場所へ私を導いたものに、静かに静かに祈る。
ユキオさんにどう伝えたらいいのだろう。過去は変えられないけれど、未来は作っていけるということに気づいてほしいのに。
「えりかが花の咲く木になるっていうなら、俺も味のある老木みたいな爺さんにならないとな。まあ俺の木には徒花しか咲かないだろうけど」
「こんなにも花を愛してきたのだから、花たちはきっと、ユキオさんにちからを貸してくれますよ」
「そうだといいけど」
「大丈夫。私からも花たちにいっておきます。植物ネットワークを使ってね」
「お、なんだかもう木になる気満々じゃないか」
「ええ。私が木になったら、私の木陰でピクニックしてくださいね」
ユキオさんは、俺、弁当作れない、と泣き笑いした。なんだか急におかしくなって、ふたり顔を見合わせてハハハと笑った。
笑った後で、しん、と静かになった。
ユキオさんは目を閉じたまま、そっと微笑んだ。
「まずは家族を探してみる。それで伝えなきゃいけないことを伝えるよ」
私の目から涙が勝手にどんどんあふれ出し、止めることができなくなった。その涙のあとを追うように、小さな花がいくつもいくつも私の口からこぼれ落ちた。その花は淡くて儚くて、子どもの夢のような色だった。
涙がおさまるまで泣きたいだけ泣くと、私の心は穏やかに凪いだ。
それからいつも通り、じゃあね、と笑って手を振り、私たちは別れた。
******
8.ラヴィアンローズ(薔薇色の人生)-⑵へ続く
↓
いいなと思ったら応援しよう!
文章を書いて生きていきたい。
✳︎
紙媒体の本を創りたい。という目標があります。
