ラヴィアンローズ(薔薇色の人生) 6
6. タミさんのノースポール
花屋になど来たくはなかった。
お爺さんの仏頂面には、あきらかにそう書かれていた。
時々商店街で見かけたことのある人だった。お爺さんの気難しい眼差しは、店員のお節介を拒んでいたから、ユキオさんも私もあえて声をかけずにいた。
杖で石畳をこつこつと突く音に耳を傾けて、今お爺さんがどの花のあたりにいるのかを探る。
店内を一周したお爺さんは、ノースポールの鉢植えをひとつ手にして、私のもとにやって来た。
「これは野菊か?」
「こちらはノースポールという花です。菊の仲間ですよ。おだやかで可愛らしいですよね」
お爺さんは花にちらりと目をやった。
「メモをつけてほしいんだが」
「はい。メッセージはどういたしますか?」
「タミへ。だけでいい」
花を決めて安心したのか、お爺さんはぽつりぽつり話しはじめた。
「女房は野菊が好きで。道端で野菊を見かけると、しゃがみこんでなかなか動こうとしないんだよ。まったく子どもみたいだろう。だったら庭に野菊みたいな花を植えればいいじゃないか。今日はあいつの誕生日だからちょうどいい。何回目かはもうわからんけど」
「そうでしたか。お誕生日おめでとうございます。奥様はお幸せですね。うらやましいです」
お爺さんはぶっきらぼうに花を渡すのだろう。照れた顔を隠しながら。
「ありがとうございました」
お爺さんはこくりとうなずくと、右手で杖をつき、左手にノースポールの入った袋を下げてゆっくり帰っていった。
あたたかな光を浴びながら、花はお爺さんの動きに合わせてゆっくりと左右に揺れていた。
翌々日、あのお爺さんが再びやって来た。
手には先日買ったばかりのノースポールを持っていた。
「すみません、この花はお気に召さなかったのでしょうか」
私は、慌ててお爺さんに謝った。
「いや、そうじゃない」
お爺さんはしゃがれ声で静かにいった。
「あいつはもういないんだ。だから花を返したい」
お爺さんの落ち窪んだ瞳のなかで、ノースポールが小さく咲いていた。
「あいつは散歩にいったきり、なかなか帰ってこなくてな。それで心配になって、隣町の息子に電話をかけてみたんだ。そっちに寄ってないかと。そうしたら息子はいったよ。おふくろは三年前に死んだじゃないかってな」
お爺さんは寂しく笑った。
「そうだったかな。息子がいうならそうなんだろうさ。花を渡す相手がいないんじゃ、どうしようもないだろう。花なんぞ話し相手にもなりゃしない」
お爺さんはため息をついた。
たとえ会えなくても、どこかにいてくれさえしたら。同じ今の空気を吸っていることが、どれほど今日を支えてくれることだろう。
この地球上のどこを探しても、決して会うことはできないという事実に、心臓が砕けそうになる。がらんどうの心は重たすぎて歩けない。
静けさの隙間を埋めるのはいつもの音だ。郵便受けにことりと落ちる新聞の音。洗濯機の唸りとテレビからの騒がしい笑い声。茶碗を洗う水音。自分の爪を切る、ぷちんと乾いた音。
ひとりきりの家のなかには足りない音がある。そばで聞く生身の人の声だ。さみしさのなかでは、自分の声すら戸棚のなかに仕舞い込んで、出すのを忘れてしまう。
「もしよかったら、奥様のための花を選ばせていただけませんか。せっかくのお誕生日です、お部屋に置いておくだけでいいものを探してきますから」
何をいっているんだと訝るお爺さんをユキオさんにまかせ、私は温室へ急いだ。
そうして私はまた花を生んだ。これはお爺さんと、お爺さんの愛する人のための花だ。
見た目はまったくのノースポールだけれど、純粋なノースポールではなかった。花でありながら眼差しを持っていた。本当の花ではないのにお爺さんに差し出そうとしている自分が後ろめたかった。ただ届けたい一心で花を生んでしまった私を許してほしい。
「奥様はこういう花がお好きだったのでしょう。よかったらこの鉢植えを、陽当たりのいい窓辺にでも置いていただけませんか。それでもどうしても気に入らなかったら、また返しにきて下さい」
これは花の交換ですからお代はいただきませんさあどうぞどうぞ。私はぐいぐい鉢植えを押しつけた。お爺さんは私の勢いに根負けしたように、うるさいなわかったよと、しぶしぶ花を受け取り帰っていった。
私は祈っていた。
お爺さんがあの花を見てくれますように。
毎日そばに花がいることに、気づいてくれますように。
奇跡が起こりますように。
けれども一週間もしないうちに、お爺さんはまた店にやってきた。奇跡は起こらなかったということなのだろうか。
しかし、お爺さんは花を返しにきたのではなかった。
「世の中には不思議なことがあるもんだ」
お爺さんは、信じられないという風に自分の頭をぴしゃぴしゃ叩いていった。
「あの花のなかにタミがいるみたいなんだ」
部屋でひとりで座っていると、時々タミさんの声がするのだという。
今日は燃えるごみの日ですよ、とか、シャツに穴が空いているじゃないですか、とか。
聞き慣れた懐かしい声。
声はどこからするのだろうかと、テーブルの下を覗き込んだ。無論、誰もいない。
押入れのなか。縁側。トイレ。お風呂場。どこにもタミさんの姿などなかった。
とうとう俺の頭は変になったのか。
そう思い始めた時、ノースポールの鉢植えが目に入った。タミさんの好きだった野菊のような花。行儀良く揃った白い花びらのまんなかに黄色い太陽がある。明るい花だ。
「タミ」
小声で呼びかけると、花はそれに応えるように葉を震わせ、花茎をゆっくりと動かしてお爺さんの方を見たのだという。
「あの花に、たくさん話しかけてあげて下さいね。恥ずかしくて今までいえなかったことも」
「花に声をかけるなんて馬鹿げてるじゃないか」
「そんなことはありませんよ。花はちゃんと聞いてるんです」
「じゃあ聞くけど、どんな言葉をかければいいんだよ」
「あ、のつく言葉です」
「あ、のつく言葉?」
「ありがとうとか、愛してるとか」
私がそういうとお爺さんは、何をいってるんだか、と呆れたように笑った。
「早く家に帰らねば。アレが待ってるからなあ」
こつりこつり。
お爺さんの杖の音が、一歩一歩遠ざかっていった。
「これでよかったのでしょうか」
お爺さんの背中を見送りながら、横に立つユキオ さんに問いかけた。
「心配するな。えりかがいいと思ってやったことだ。花屋は花で安らぎを差し出すだけだよ」
「どんな花でも?」
「あの人の顔を見ただろう」
罪は罪でもこれが優しい罪になるならば、許されるだろうか。私が嘘つきだとしても。
「えりかは花よりも、花の先を見てるんだな」
「花よりも先、ですか?」
「花を渡す先にいる人のことだよ」
ユキオさんはそういうと、くるりときびすを返して店のなかに入っていった。
お爺さんとノースポールのふたり暮らしの家が、暖かい場所でありますように。
私にできることは、願うことだけなのだ。
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7.変化(へんげ)へ続く
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紙媒体の本を創りたい。という目標があります。
