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ラヴィアンローズ(薔薇色の人生) 7

7. 変化(へんげ)

「そんなに慌てて食べると、鹿になるわよ」
朝食のグリーンサラダをむしゃむしゃ食べていると、母が不思議なことをいった。
 むしろ鹿になって花屋まで駆けていきたいくらいだ。
 母の言葉を軽くスルーしてサラダを食べ終えると、ミネラルウォーターを立ったまま飲み干した。
「お行儀が悪いな。そんな風に育てた覚えはないんだけれど」
「ごめん。急いでるの」
朝の支度に取りかかる私に母はいった。
「最近ちょっと疲れてない?」
「そんなことないよ。毎日調子はいいの」
鏡に映る目の下の隈にコンシーラーを叩き込みながら、私は母の言葉を受け流した。
「今の仕事が好きなのはよくわかるわ。でもね」
化粧をする私の鏡越しに、母が真面目な声のトーンで語りかけた。
「何があっても私には、えりか。えりかより大事なものなんてないの。えりかがえりからしく元気でいてくれれば、それだけでいいと思ってる。そのことは忘れないでね」
無理しすぎるんじゃないぞー、と大きな声を出しながら、母は洗濯物を抱えてベランダへ行った。


 わかっているのだ。自分でも。
 近頃、私の体はうっすらと緑色がかってきている。血の気は失われていき、水ばかり飲む。長い時間自分が空白になって、ただぼんやりと遠くを見ていたりする。
 水の入った大きな花瓶やバケツを動かすと、ひどく息切れした。根をつめて花の手入れをしていると眩暈がしてふらつき、呼吸を整える時間が必要だった。
 雨の日が続くと、体はいっそう弱っていった。肌は生気を失い、狂おしいほどに太陽の光を求めた。
 私の体調の悪さにはユキオさんも気づいていて、無理をさせないように気遣ってくれていた。それでは仕事にならないではないか。植物たちに丁寧な愛情を注ぎたいのに。時々花に話しかけてしまうほどに、ユキオさんのやり方は私にもしっかり馴染んでいるのだ。


 私の生む花は現実と非現実を行き来し、何気ない毎日は姿を変えていった。
 跡形もなく消える花と、枯れることのできる花。それらの合わさるハイブリッドな花。どれもが入り乱れてこの世界に咲いている。
 この手のなかにある花が、日常をまわす歯車に食い込んで軋んだ音を立てている。
 あれは正しいことだったのだろうか。理からはみ出した私は、これからどこへいけばいいのだろう。
 この歪みの代償を、いずれ私は引き受けなければならないのだと感じ始めていた。
 笑うたびにフリル付きのシースルーなパステルフラワーをほわほわ生んでいた頃の私は、遠い地平線の彼方へ行ったきり帰らない。生んだ花が現実に近づくにつれて、私は私から遠ざかってゆく。
 それでも私は望まれることを願い、祈り、揺れる。揺れながら口から花を溢れさせる。
 花を生むことは止められない。私はこうして生きてきたし、これからも花を生みながら生きてゆくのだ。



 ふたたびモンステラの夢を見た。
 どこからか水の流れる音が聞こえる。とろとろと心地よい。水がほしい。
「きみは花をたくさん咲かせる木になるんだ」
モンステラは静かな声で私にそう告げた。
 モンステラは私の表情を読み取ろうとするように、じっくりと見つめてきた。
 私が驚いて慌てふためくと思ったのだろうが、平凡な生返事をしたものだから、モンステラはつまらなそうに葉を背けた。
「きみ、ホンモノの花を生んだよね。すっかりわたしたちの仲間になったという証だよあれは」
モンステラは、ふふふと笑った。
「ヘンテコな花を生み出してるぶんには、まだお気楽だったのにね。ホンモノの花を生んじゃったらもうおしまい。きみのまわりの世界は変わってしまったんだよ」
「おしまいとはずいぶんな言い方ね」
「おしまいはおしまい。人としてはおしまい」
 モンステラは少しからかうような口ぶりでいったあと、私を見据えていった。
「でも植物としては、はじまり」
 私の心臓が、どくんと反応した。
「どっちつかずの半分植物みたいなままでいるよりいいでしょう」
半分植物という言葉が私の胸を刺した。私のなかに隠れていたほの暗い真実が、陽のもとに引っ張り出された気がした。

「とにかくきみは、もう元のきみには戻れない。これからも花を生むならますます植物に近くなっていって、最後は花の咲く木になるしかない」
 花の咲く木になる私。
 水音に耳を傾けながら、うっとりと思う。
「私はこのままずっと、花を生み続けたいな。人の心に寄り添う花を手渡したいの。それが私にできるたったひとつのことだから。その代償に木になるのならかまわないわ」
モンステラはしばらく口をつぐんで押し黙った。
(どこに口があるかは不明)
それから急に親しげな声でこう切り出した。
「ねえ、一緒に森へ行かない?たくさん花を届けたご褒美に、森でほんとうの木になろうよ。そうしたらもう、川のなかの落ち葉みたいに漂わなくていいんだよ。フカフカな土の上にどっかりと座って、そこを自分の居場所にしてしまえばいいんだから」
それもいいかもしれない。
「桜の木のことを考えてみて。みんなどうして桜を見にいくのだと思う?」

 母と二人で春のお花見に行った時のことを思い出していた。
 その朝、母といっしょにお弁当を作ったのだった。おにぎり、卵焼き、ポテトサラダ、みかんゼリー。私の焼いた焦げ目のついた卵焼きを見て、母は笑った。
「でもさ、桜の木の下で食べたら、なんだって美味しくなるんだよね。不思議だよねえ」
「こんなに焦げた卵焼きでも?」
「香ばしくって最高」
顔を見合わせて、ふたりして吹き出した。
 桜並木を、母と私は並んでそぞろ歩いた。
 ピンク色の霞がかかったやわらかな世界は、見物に来た人々を美しくした。桜を見上げる顔は皆、どこか優しい。風が吹くたび春が舞い散り、夢見心地だった。
 私たちも自然と笑みを浮かべて、きれいだね、桜は最高だね、と何度も繰り返した。ゆったりとした穏やかな時間が流れた。心にも花が咲いて、今より他にほしいものなどないと思えた。
「花はいいな」
手のひらに花びらを受け止めた母が笑うと、目尻にあたたかい皺が寄った。このまま時間が止まればいいのにと思った。
 あの桜は、どの街で見たのだろう。
「木になることは、花をたくさん生みたいきみに似合ってるよ」
モンステラは優しい声で囁いた。


 目覚めた後、洗面所で歯を磨きながら鏡のなかの緑っぽい自分を見つめた。
 そして、夢でモンステラと話したことをぼんやり考えていた。
 生む花が変わっていったように、私自身も変わっていかなければならないということなのか。この体を見れば、普通の暮らしはもう無理なのだとわかってしまう。
 モンステラはそれをご褒美だといった。根無し草の私には、たしかにご褒美かもしれない。

 よく見れば昨日よりもさらに顔色が悪いようだ。げっそりと頬がこけている。
 手のひらも二度三度と裏返して点検してみる。何かが心に引っかかる。顔の近くに手を寄せ目を凝らす。
 私の中指と薬指の爪の生え際から、小さな黄緑色の葉が生え始めていた。

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8.ラヴィアンローズ(薔薇色人生)-⑴ へ続く

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鈴懸ねいろ 文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。