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ラヴィアンローズ(薔薇色の人生) 2-⑵

 小学二年生の冬の放課後。担任の竹中先生が教室に花を飾りたいと呟いた。冬は花が少ないから寂しいわね、と、色味のない教卓を雑巾で拭きながら先生はため息をついた。
 それなら私は先生の願いを叶えることができると思い、口から次々と花を生んでは先生に差し出した。
 竹中先生は喜ぶどころか私の手から花を受け取ろうとはせずに、ひきつった顔をして私と花を交互に見るばかりだった。
 その場にいたクラスメイトの男子数人がぎゃあぎゃあ騒ぎ出した。
「こいつ、口からヘンな花を出した!」
「花を食べてたんだろ。いけないんだ」
「花を出すなんて、おばけだ。先生、こんなのフツーじゃないよね?」
私にとってはこれがフツーのことなのだけれど。
 私のしたことの何がみんなを燃えたぎらせているのか、わからなかった。
 戸惑いの表情を浮かべていた竹中先生は、やがて憐れんだ顔をして私を見ていった。
「えりかちゃん。お花を食べてしまうくらい、お腹が空いていたの?もしかして、おうちでご飯を食べさせてもらっていないのかな。先生に本当のことを話してくれる?」
いつのまにか先生のなかでの私は、食事を与えられていないがために花を食べて口のなかに隠していた可哀想な子、ということになっていたようだった。
 どうしてそんなことになるのだろう。

 走って家に帰りつくなり、私は事の顛末を母に打ち明けた。
私の話を最後まで聞くと、母は一張羅のスーツを着込んでジャケットの釦をきちりととめた。
そして
「えりか、学校へ行くよ」
と厳かに告げた。
 あの時の母の顔を、私は決して忘れないだろう。
 母はそれからも何度も学校に足を運び、私の体質を認めてほしいと訴えた。
 人に危害を加えるわけではないのだから、もしも人前で花を生んでしまっても、娘を排除しないでほしいと掛け合ったのだった。
 その結果、先生たちの間で、母は虚言癖のあるアブナイ人物として認識されただけで終わった。
 私の特異体質のことで、母と学校との間に埋めることのできない深い溝ができてしまった。
「あの人たちはなんにもわかってない。そんな荒唐無稽な話は聞いたことがないって。もしも本当にそうだと仮定しても、前例がないから認められない、なんてさ。前例がないなら作ればいいじゃない。しかも、お父様は今どちらに、とか言い出して」
 私が花を生むことと父がいないことに、関係があるとでもいうのだろうか。先生はそこに理由を求めたかっただけなのだろう。
 母は父のことを語りたがらない。父の名前も、どんな人なのかも、私は知らない。聞かない方がよいのだという空気が、カーテンの裾に、テーブルの上に、鏡のなかにまとわりついていた。それでも私は母と二人の暮らしに慣れっこで、家のなかに何かが足りないとは思わなかった。
 母と私と父という男の人が食卓を囲んでいるところを想像しようとしたが、結局うまくいかなかった。
「しかたないよ。私のことで先生とけんかしないで」
「えりかはそれでいいの?」
「だってどうしようもないじゃん。これからは、がんばって花を出さないようにするから」
「楽しいとか嬉しいとか、悲しいとか悔しいとか、何も感じないでいられる?子どもってそういうものの塊でしょ」
母は少し潤んだ目をして私を見た。
「えりかにはありのままの自分を大切にしてほしいの。もうほんと、それだけなのよ」
 ありのままの自分を大切にするって、どういうことなのだろう。
 胸に手を当ててみると、心臓が規則正しく体の内側で動いているのが伝わってきた。
 この心臓は、花を生むように仕組まれた体を懸命に動かしていた。意志を持って動かそうとしていないのに、どくんどくんと拍動していた。この間違った体で生きよ、というかのように。
「この街は駄目。ケチな奴しかいない。えりか、引っ越ししよう」
母の一言により、私たちは浮草のように漂うことになった。

 行き当たりばったりどこかの街に流れ着く。いづらくなったらまた、次の街へゆく。その繰り返しだった。
 どの学校の先生も、私が花を生むということが真実だとは理解できなかった。まさか本当に体から花を出す人間がこの世にいるとは、信じられなくても無理はない。
 おかしいのは私だけだった。



 小さな子どもは、夢物語さえすんなりと受け入れられるのに。
 少しずつ知識と経験が増えてゆくたびに、他人のあるがままと向き合えなくなるのはなぜだろう。そのままの自分は、折りたたんでポケットにしまっておくしかない。
 他人と違っていることは不穏な気持ちにさせるから、お揃いのペンケースが連れてくる安心感に縋りつく。
 そして同じ物が増えるほどに、少しの違いに心がざわついてゆく。
 成長してゆくなかで学ぶ三千巻ほどの分厚い常識本のなかでは、物事の決まったかたちについて
何度も何度も繰り返し述べられている。
 そこに書かれていることだけが真実なのだと、人の内側に刷り込まれていくのだ。
 私は私を殺しながら生きる。ありのままの自分なんて、幻想だ。風に飛ばされて消えてしまうくらい、薄っぺらいものだと思う。


 逃げたりはぐらかしたりしながら、私はこうして二十四歳まで生きてきた。この年齢まで日々を重ねてきたのだから、秘密を隠す術くらいは身につけていた。多少のボロは出しながらも、誤魔化しかたのバリエーションは増えた。
 花を生むところを友達に偶然見られてしまった時も、ちからワザで切り抜けてきたのだ。

 あれは高校からの帰り道で寄った、ファストフード店でのことだった。
 友だちの『部活終わりに最恐の先輩の靴を間違えて履いて帰ってしまった話』がおかしくて、大笑いした拍子に私が口から吹き出したのは、シェイクではなく花だった。
 冷や汗が背中を伝った。
「花とか吹いてるし!えりかは魔術師かよ?」
のけぞって笑う友だちの目を盗んで、赤いセルロイドのような花をポケットにしまいながらいった。
「魔術師じゃないよ、手品師だよ」
「そっか。じゃあもう一度やってよ」
「そんなの無理だよ。タネを仕込まなきゃできないでしょ。口から自由にトランプとか花とか出せるわけないし」
「そりゃそうだよね」
笑いながら私は私を傷つけた。それでもかまわなかった。その方が毎日をさらりと渡っていけると知っていたから。


 私は永遠を信じない。
 その場だけ笑って過ごせればいい。
 すべての物事は刹那。私は多くを求めない。
 平和に穏やかに生きたい。ただそれだけだ。


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3.夏の邂逅、冬の暴露⑴へ続く

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鈴懸ねいろ 文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。