トートバッグいっぱいの呪いを。7.
半井さんの話はこうだ。
僕、塚田カイは、先月ママと海へ遊びに行き、溺れて死んだ。
泳ぎには慣れていた僕だったけれど、海中で脚がつり、体勢を立て直せないまま離岸流に流された。最初にいた海岸から3キロメートルも西に離れた場所で、僕の死体は見つかったそうだ。
頭の片隅にこびりついた記憶が目を覚ます。
息をしようと口を開くと、暴力的なしょっぱい水が入り込んできて、僕はこのまま死ぬ、と感じていた。パパとママの顔は浮かんだけれど、死に際には自分の過去が走馬灯のように頭の中を駆け巡るという都市伝説は嘘なんだとわかった。
もうこれ以上は無理だと思った時。
苦しさからふっと解き放たれたあの瞬間が、僕の最期だったようだ。
生きていたかったわけじゃないけれど、死んでいる僕はなんだかひどく哀れに思えた。
誰にも悲しまれず、死んだ後でさえクラスメイトに悪口を言われる僕。
ふと、学校の机の上に置かれた白い桔梗のことを思い出した。
「あれはクラスの女子が持ってきたんだよ。教室の中で浮いてたあんただけど、さすがに可哀想だと思ったんだね。それなのにあんた、花瓶を窓ガラスに向かって投げつけたでしょう。みんなは花瓶が強い風に煽られたと思い込んでるけど。花瓶があんなに激しく砕け散るなんて、あんたの呪いじゃないかって噂になってた。花を持ってきた子はショック受けてたよ」
あれは僕を悼む花だったのか。
僕は死んでいる。
死んでいるのに学校へ行っていた。
「僕は可哀想なんかじゃないよ」
「知ってる。あんたは別に可哀想じゃない。自分を可哀想だって思うのは、惨めだって認めることだからね。あんたはあんたの世界では王様なんだから、ちっとも惨めじゃないよ」
僕は泣いてしまいたかった。なぜだかものすごい勢いで泣きたくなった。
僕はプールの水でゴシゴシと顔を洗った。泣いた顔を見られたくなかったから。けれどももう、半井さん以外の他の誰にも僕は見えやしないのだ。
「だからキムラはあんなに驚いてたのか。プールの底でアイツと目があったんだ。あれは見てはいけないものを見てしまった顔だったな」
「死んだはずのあんたとプールの底で出くわしたら、恐怖しかないでしょ。あの世とこの世の境い目にいる時は、亡くなった人に会ったりするんだよ。死者と手を繋いだ人は連れていかれる。あんたは押し上げたけどね」
「半井さん、詳しいんだね。幽霊事情に」
僕は水底に沈んでいたキムラの水泳キャップを拾い、半井さんに手渡した。
「キャップの中に何か入ってる」
半井さんが取り出したのは、水浸しの黒い折り鶴だった。
またか。
ママのプチ呪いがこの事態を引き起こしたに決まっている。
僕は半井さんにプチ呪いの折り鶴のいきさつを話して聞かせた。
半井さんは黙ったまま話を聞いていたけれど、僕が話し終えると頷いた。
「あんたのママの祈りのちからは凄まじいね。あんたへの愛の強さをじわじわ感じるわ」
そう言ってちょっと笑った。
「とにかくその鶴を開いてみてよ」
半井さんはびしょ濡れの紙を破らないように慎重に開いていった。
「カイを悲しませる人はプールで溺れますように、だって。あ、ちょっと待って、もうひとつ入ってる」
半井さんはキャップの中にさらにピンク色の折り鶴が張り付いているのを見つけた。
「可愛い女子の前で不意におならをしますように」
僕たちはたっぷり30秒近く、無言で顔を見合わせた。それからほぼ同時に吹き出して笑った。
「キムラの奴、よりによって僕の顔におならを
吹っかけたんだぜ。信じられない。恩を仇で返しやがった」
折り鶴に書いてある『可愛い女子』は、半井さんのことか。
半井さんは大口を開けて天を仰ぎ、あははと笑った。
こんな風に笑うんだ。
屈託なく笑う半井さんをみたのは初めてだった。
「キムラくんはダブルで呪いを受け取ったんだね」
今こうして笑っていられるのは、キムラが生きているから。本当にキムラが憎らしかったなら、見て見ぬふりをしてもよかったのだ。でも僕の透明な体は、考えるより先に動いていた。
お前、絵を描いて生きれば?
僕に向かってそう言ったキムラのいた放課後を思い出す。
「この際だから、もうひとつ教えとく」
プールに浮かぶ枯れ葉がゆらりゆらりと深い方へ運ばれてゆく。半井さんの眼差しも枯れ葉のように揺らいでいたけれど、やがてきっぱりと心を決めたように言った。
「あんたは気づいてなかったと思うけど、あんたのママもね、死んでるの」
「冗談キツイよ半井さん。ママは普通に暮らしてるよ。足もあるし」
「あんただって足はあるじゃない。でもさ、ごはんとか食べてないでしょ」
そういわれてみればそうだ。
僕もママもこのところなにも食べていない。それなのにお腹は空かない。食べることを思いつきもしなかった自分にゾッとした。食べることは、生きることなのだ。
僕の家までプリント(亡くなった生徒のプリントをすすんで届けてくれるのなんて半井さんしかいない)を届けにきてくれた時、半井さんはママと会っている。半井さんにはひと目でママの事情がわかったのだろう。
「ママは自分の意志であんたについていくことを選んだんだよ。あんたをひとりで逝かせられないと思ったんだろうね」
半井さんは、やるせない顔で目を伏せた。
僕はいつも髪が濡れていたママの姿を思い浮かべた。
「僕は濡れてないのに、どうしてママはびしょ濡れのままなんだろう」
「わからない。もしかしたら、死に方に理由があるのかも。あんたは事故で仕方なく死んでしまったけれど、ママは自分から海に飛び込んだから。とにかくあんたのママは、自分が死んでることをわかってる。自分は幽霊なんだって知ってるから、死んだ後も学校へ通い続けるあんたのことが不憫で、こっそりついていってたんだと思う。そこであんたの現実を目の当たりにした。ママは幽霊らしく奴らを呪ってやろうと思ったんじゃない?幽霊は人の目には見えないから、折り鶴だって自由に撒き散らせるってことだよ」
(8.へ続く)↓
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