言ってはいけない言葉だった | 僕とカメラ | note
コミティアに参加してきました!
コミティアというのは要するにちっちゃいコミケのことです。
有志が自費出版で本を作り、それを自由に購入できるイベントです。
廃墟の写真集を作る人、裁判をした体験をレポする人、創作BL漫画を描く人…それぞれの情熱(フェチズム)が本になり、机に並べられる様は圧巻です。出展者として参加しても一般として参加してもすごく面白いのです。
そんな中、個人的にやっちまったエピソードがあったので
ここで供養させてください。

お隣とのコミュニケーションが醍醐味
これはコミティアのみならず、文学フリマ・コミケ・ほかオンリー即売会でも共通して言えることなのだけれど、販売スペースというものが決められている。
180cm x 45cm の会議用テーブルが大量に並べられ、その長机の半分が自分のスペースとして与えられる。残りの半分はお隣さんのサークルというわけだ。
これがなかなかに狭い。
レイアウトにもよるがお隣さんとの物理的な距離が30cmくらいしかないこともあり、なんというかパーソナルスペースに思いっきり入っているのだ。
あとは即売会には「島」という概念があり、要は来場者が回りやすいようにジャンルがある程度固められているのだ。ミリタリーはミリタリー島、18禁は18禁島、ノンフィクションはノンフィクション島というように。
この「島」概念のおかげで、ドイツ戦車イラスト集を売っているブースの隣に巨乳サキュバスR18漫画が来ることはないし、裁判の傍聴席に100回行ってみたのルポ本の隣に昭和〜令和魔法少女服装遍歴本が来ることもない。
こうして即売会の平和は保たれている。
さて、島の中にいるとお隣さん同士はジャンルが同じで、会話が弾むことも多い。そんなに会話をしないまでも至近距離で6時間ほど一緒にいることになるので挨拶くらいはするものなのだ。
この偶然の出会いが即売会の醍醐味だったりもする。

言わなければよかった
僕は即売会に出店する際は隣のサークルの本をできるだけ買うようにしている。もちろんこれは僕の勝手なマイルールなので、即売会にこのようなルールは存在しない。
自分で選び抜いた本を発掘して買うのも良いけれど、「隣になったご縁」みたいなランダム性に身を委ねて本を買うのも面白いと思うのだ。
この日購入させていただいたお隣ブースの本は観光目的ではまず行かないような南の絶島の写真集で、見たことも聞いたこともない島で撮影された写真は非常に魅力的で素晴らしい写真集だった。
僕は作者の方と横並びになりながら(つまり暇な店番をしながら)世間話のつもりでこう尋ねた。
「ちなみにカメラは何使ってるんですか?」
それに対する返答は以下のようなものだった。
「Canonの…EOS…?です…フルサイズではないので全然アレなんですけど…。…あと撮って出しなんですよねRAWとか全然わからないので…。」
僕は居心地の悪いような、まずいことを答えているような雰囲気の彼の返答を聞いて、「あぁそうなんですね!旅先だったらAPS-Cの方がむしろ取り回し良いですよね!」と意味のないことをいってその会話を終わらせた。
彼は一言で言うと、恐縮していたのだ。
何に対して恐縮していたのだろうか?写真集と題して製本までしてお金を撮っている機材がAPS-Cのエントリー機だからだろうか?
その写真がRAW現像によって作り込まれていないからだろうか?
僕は自分のした質問の無意味さというか、無神経さを思い知って参ってしまった。
カメラが何だったら何だったと言うのだろう?

カメラが何だったら何だったのだ?
オートバイ界隈では、「排気量おじさん」という妖怪が存在する。
その妖怪は、コンビニなどで休憩しているバイク乗りのところにやってきて、おもむろに「このバイク排気量いくつ?」と聞いてくるのだ。
それに対して排気量を答えると、排気量おじさんは聞かれてもいないのに自分が乗っている(乗っていた)バイクの排気量がいかに大きいか、自分がいかにすごいバイクに乗ってきたかを滔々と語り始め(もちろんその間バイク乗りは出発できない)最後は「もっと排気量大きいバイク乗った方がいいよ!」とアドバイスしてくるのだ。控えめに言って迷惑だし、ウザい。
僕は排気量おじさんだったのだろうか?
先ほどの会話を自分で繰り返してみる。
素敵な写真集がある。
その写真集は普通は観光客も行かないような絶島を訪れた写真集で、昔の工場だったり、石碑だったりが詳しくまとめられている。
その写真集が何というメーカーの何というカメラで撮ったか?と言う質問にどれだけの意味があるだろうか?(それが雑談だったとしても?)

TPO違反
現に作者は明らかに恐縮しており、自分の使っているカメラがエントリーモデルであることや、撮って出しで作品を作っていることに引け目を感じている様子だった。
本当に気の毒なことをしてしまった。
後悔してももう遅いけれど。
僕はこのnoteで、カメラの写りとかレンズがどうとか、メーカー毎にどうだとか、そういう話を色々としてきた。人とカメラの関係性についても様々な角度から記述してきたつもりだ。
それはそれとして趣味なので、好きにしたらいいことではあるけれど、その熱量を(あるいは姿勢を)そっくりそのまま現実世界に持ってくるのは反則なのではないか。そんなことを思うようになってきた。
例えばそれはコスプレの格好をしたまま都会を歩き回るような、あるいは日頃の会話なのにインターネットミームの構文を使ってしまうような、そういう種類の反則行為なのだろう。
要は、noteでのコード(ノリ)をそのまま現実に持ってきて、その辺の一般人にぶつけてはいけないと言う反省だ。書いてみると当たり前のことだな…。でもマナー違反って当たり前のことの侵害だから…。

より根本的な反省
この問題は実は僕のもっと根本的な(僕の偏見や価値観)に原因を持っていると考えることもできる。
僕は「カメラで写真を撮っている人にカメラの種類を訊くなんてフツーじゃん」と思っていたけれど、旅の写真集で旅の楽しさについて語っている人に「カメラ何使ってんの?」と質問することは、その人の語っている旅の存在を丸ごと無視しているに等しい。
それはバイクに対する思いを無視して排気量を聞いてくるおじさんと何が違うのだろうか?
偏った歩き方をしている人は身体にどこか歪みがあるのと同じように、おかしな発言をしてしまう人には考え方や価値観に歪みが生じている可能性が高い。(僕のことだ)
それはおそらく僕の現状最大の課題となっている、「何を撮るのか」問題に接続されている。
つまり僕は被写体やコンセプトなど、カメラを使って(あるいは写真を使って)何を表現するのか、という目的を置き去りにしたまま、どんなカメラを使うかとか、現像の時に何のプリセットを使うかといった手段の話ばかりしているのだ。これはつまり手段の目的化である。

まとめー何を撮るのか
僕は図らずも、旅を写真で楽しく切り取っている人に対して、使用カメラを尋ねると言うズレたことをしたことで(そしてそれを認識したことで)自分の認知の歪みを発見したのだった。
その歪みとは、手段と目的の逆立ちであった。撮りたいものがあってカメラを使っているのではない。カメラを行使するために撮りたいものを探している。
そしてその認知を補正するためには僕がカメラで何を撮りたいのか、改めて考え直す時間が必要だと言うことだ。
もちろんカメラも写真も楽しいけれど、一度腰を落ち着けて考えた方がいいのかもしれない。新しい悩みが僕の目の前に広がっているみたいだ。

今日はここまで
