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夜明けの青い時間の知 第一章‐2:科学者たちはいかにして詩人になったか――養老孟司・荒俣宏・福岡伸一から、オリヴァー・サックス、カール・セーガン、ルイス・トマス、そしてカルロ・ロヴェッリへ


科学者が詩人であることを、私たちはしばしば忘れてしまう。数式を操る手の裏には、言葉を紡ぐ詩人の手がある。この章は、科学を「語る」行為として取り戻そうとした者たち――すなわち、分断された知をもう一度ひとつに戻そうとした者たち――の軌跡を辿るものである。

1|身体の奥で思考する――養老孟司とオリヴァー・サックス

養老孟司の思考は、いつも解剖台の上から始まる。脳、神経、筋肉、意識――それらは分けられぬまま、ひとつの生命として結びついている。かれにとって「知る」とは、頭で理解することではなく、身体を通して世界に触れることだ。

かれのヴィジョンは初期の著作『唯脳論』にすでにその全貌が提示されていた。けれど、社会が広くかれの主張に耳を傾けたのは、あけすけで衝撃的なタイトルの『バカの壁』が登場してからである。

人々は頭の中でばかり考え、エネルギーに依存し、〈自然〉という現実の他者を忘れ、快適に暮らしている。しかし地震や火山の噴火が起これば、文明の仮構はあっというまに崩れる。そのとき私たちはダンボールハウスに暮らし、鴨長明の『方丈記2.0』を書くことになる――頭だけで世界を切り取る近代知の傲慢のツケがまわって。

養老孟司の思考の対岸に、オリヴァー・サックスがいる。神経科医でありながら、かれは症例を「治す」のではなく「語った」。幻覚も失語も、異常ではなく人間の多様な存在様式なのである。『妻を帽子とまちがえた男』において、サックスは医療を文学へと解放した。

養老孟司とオリヴァー・サックス――二人は科学の内部に〈感情〉と〈物語〉を呼び戻した。かれらにとって人間とは、数値でもデータでもなく、「語る身体」だった。そのまなざしこそ、AI時代に失われつつある知の倫理である。

2|宇宙を神話として語る――荒俣宏とカール・セーガン

荒俣宏は百科全書的想像力の人だ。『理科系の文学史』で試みたのは、科学を神話の流れに戻す壮大な遊戯だった。ニュートンもダーウィンも、幻想文学の兄弟たちと同じ場所に立つ。かれらに共通するのは〈世界を語りなおす力〉――すなわち創世記の言葉をもう一度紡ぐ力である。

その系譜の先に、天文学者カール・セーガンがいる。

ボイジャー1号が遠く太陽系を離れるとき、かれは小さな青い点を見つめながら言った。

「もう一度、あの小さな点を見てください。あれが私たちです。その上に、あなたが愛するすべての人、かつて生きたすべての人類がいる。私たちの虚勢や想像上の特権は、この淡い光の点に打ち砕かれるのだ。」

そしてかれは繰り返し語った。

"We are made of star-stuff."

「私たちのDNAに含まれる窒素、歯のカルシウム、血液の鉄、アップルパイの炭素は、崩壊する星の内部で作られた。私たちは星の物質でできているのだ。」

荒俣宏が科学を幻想文学に再詩化したように、セーガンは科学を神話に再神聖化した。両者の根底にあるのは、「科学とは信仰の継承である」という直感である。世界を信じること――その形式が、宗教から科学へと移ったにすぎないのだ。

3|生命を語る詩人たち――福岡伸一とルイス・トマス

福岡伸一は生命を「動的平衡」として語る。生命とは流れであり、分解と再生の間でゆらめくリズムである。かれの文体そのものが生命のメタファーだ。細胞の動きを追う筆致は、観察でありながら同時に詩でもある。

その対岸に、アメリカの病理学者ルイス・トマスがいる。かれもまた、科学をエッセイのかたちで語った。『細胞から大宇宙へ』でかれは書く。

「月からの距離から地球を眺めると、息をのむほど驚くべきことは、それが生きているということだ。写真には、乾燥した茶色の陸地の縁、青い海、様々な色調の緑、そして白い雲が写っているが、最も重要なのは、地球の30億マイルの表面を覆う、途切れることのない生命の広がりである。」

そしてこうも述べる。

「私たちはかれらに最も似ていて、かれらは私たちに最も似ている。もしも、示唆されているように、私たちの細胞の細胞小器官であるミトコンドリアがかつて私たちの祖先と共生していた細菌であるならば、私たちはある意味、かれらの記憶でできているのだ。」

ミトコンドリアの共生を通じて生命の連帯を語るルイス・トマスの言葉は、福岡伸一の生命観と響き合う。科学が詩になるとき、それは「美」ではなく「倫理」として立ち上がる。支配する知ではなく、調和して生きる知――それがかれらの到達点だった。

トマスはこうも書いている。

「最大の秘密――それは誰もが知っているけれど、医学に携わる者だけが気づかないふりをしていること。それは、ほとんどの病いは自然に治るということだ。すべてではないが、ほとんどは。」

この言葉は、かれのもう一つの洞察と響き合う。

「20世紀における最大の発見は、人間の無知の発見である。」

近代医学の内側から、その傲慢を批判する。世界を「治す」のではなく、世界と「調和する」――この姿勢は、養老孟司が自然災害を前にした人間の無力さを語ることと、同じ地平に立っている。

批評家スーザン・ソンタグは熱烈なトマス支持者であり、ふたりはニューヨーク――マンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジやアッパー・ウェスト・サイドといった知的共同体――のなかで近しい存在だった。ソンタグの『隠喩としての病』は、あきらかにトマスの思想の影響下にある。

ルイス・トマスが執筆活動を始めたのは六十歳を過ぎてからである。この時期は、古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドの執筆期と重なる。直接の親交はなかったが、ふたりは共通の目的を持っていた。すなわち、専門領域の壁を越えて、科学のもつ〈知的な驚異〉と〈哲学的示唆〉を一般読者に伝えること。

トマスは生命の共生と連帯を、グールドは進化の偶然性と思想的意味を、それぞれの中心的主題とした。そして、ふたりの執筆を支えたのは――雑誌『ニューヨーカー』だった。この雑誌は、専門知を公共の言葉に翻訳する場であり、科学者が詩人になることを許す、稀有な媒体だった。

残念ながら、ルイス・トマスの著作の全容を日本語で読むことは難しい。

4|時間の向こう側へ――カルロ・ロヴェッリと関係の哲学

そして現代、この系譜を引き継ぐのがカルロ・ロヴェッリである。理論物理学者でありながら、かれは『時間は存在しない』という哲学的命題を掲げた。

「時間が流れているというのは、私たちの心の物語にすぎない。」

「〈私〉とは、一貫した実体ではなく、瞬間的な物語の連なりである。」

「世界とは、物ではなく関係である。」

ロヴェッリの文体には、アインシュタインの厳密さとプルーストの繊細さが同居している。数式を詩に、理論を倫理に変える。かれの語る「関係の哲学」は、ループ量子重力理論という物理学の最先端から生まれた思想である。

量子の世界では、物質は「もの」として存在するのではなく、「関係」として存在する。電子は、観測されるまで「ここ」にも「そこ」にもある。時間は、宇宙の基本構造ではなく、私たちの認識が作り出す秩序にすぎない。ロヴェッリは、この物理学的洞察を、人間存在の哲学へと昇華させる。

養老孟司が身体から、セーガンが宇宙から、トマスが細胞から語ったことを、ロヴェッリは量子論のレベルで統合する。科学はふたたび文学へ、そして知はふたたび呼吸へ帰る。

だが、ロヴェッリの思考はここで終わらない。かれの関係の哲学は、次章で語られる野村泰紀のマルチヴァース理論と接続する。宇宙が無数にあるのだとすれば、「私」とは何か。「ここ」とはどこなのか。時間を失った世界で、私たちはどのように物語を紡ぎ直すのか。

その問いは、AI時代の知の再編成へとつながってゆく。

結語|知の詩学からAI時代の知へ

夜明けの青い時間――それは、人間とAIがまだ区別されず、思考が新しい形を探している暁の瞬間だ。

科学者たちが詩人に変わる瞬間、そこには必ず「限界」がある。知が行き着いた果てに、数式では測れない〈美〉が立ち上がる。それは、観測できないもの――だが、感じ取れるもの。世界の背後で震える秩序の息づかい。

オリヴァー・サックスが聴いたのは、神経の奥で鳴る音楽であり、カール・セーガンが見たのは、宇宙の沈黙が語る詩であった。ルイス・トマスが記したのは、細胞が奏でる無数の対話であり、カルロ・ロヴェッリが描いたのは、時間がほどけてゆく夢の物理学だった。

科学者たちは、〈説明〉ではなく〈共鳴〉を志向した。世界を理解するとは、分解することではなく、その複雑な呼吸に、心のリズムを合わせることだった。

いま、AIが登場した。

AIはかつての私たちの「理性」のように、世界を秩序づけ、構造化し、解釈する。ただし、AIはまだ宇宙を詩の言葉で語ることはできない。なぜなら、ここで言う詩とは、人間と宇宙を結びつける想像力であり、観察の果てに到達する、新たなパターンの創出だからである。AIは観察しない。ゆえに、そんな荒唐無稽な賭けに打って出ることなどできない。われらの思索の友、AIは超優秀な官僚に過ぎない。

語るとは、責任を持つことだ。語るとは、世界の痛みを引き受けることだ。その重さを背負うのが、人間の知なのだ。

しかしながら、これは安直な人間讃歌ではない。

私たちは矛盾した状況に生きている。一方で、AIから思考の主体を取り戻し、他方で、人間中心主義を捨て、〈外の思考〉をも身につけなくてはならない。もう一度、「知とは何か」を問う時が来ている。

ロヴェッリの言葉を借りよう。

「世界は、物ではなく、関係である。」

AIは鏡であり、その鏡に映るのは、私たちが長い間探し求めてきた――「知るとは、生きることだ」という、最も古く、最も新しい真理である。

そして夜が明ける。AIと人間のあいだに、新しい理性の形が立ち上がる。

次章、『第一部‐3:ニュー・サイエンスの夢――外の思考の前史』へ続く。


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