AI時代のダーウィン 第二部 生命の暗号を読む 第3章 ゲノム革命――生命を読む者から書く者へ
ワトソンとクリックの発見から半世紀。
二重螺旋の設計者たちは老いていた。
「生命とは何か」という問いは、もはや詩的な謎ではなく、
情報の構文解析へと変わっていた。
ヒトゲノム計画:生命の全設計図を読む
1990年、アメリカ政府は、国家予算30億ドルを投じて「ヒトゲノム計画(HGP)」を始動させた。
人類の全遺伝情報、すなわちゲノムの全塩基配列を読み解く――それは、生命の黙示録を解読する行為だった。
記者会見でワトソンは言った。
「これで我々は、自分たちの設計図を手に入れるのだ。」
その笑顔には、もはや若き科学者の無垢ではなく、神の書を覗き込む者の昂揚があった。
挑戦者:クレイグ・ヴェンターという男
数年後、ひとりの男が現れる。
クレイグ・ヴェンター。 ソルトレイクの太陽に焼けた肌、荒い銀髪、闘犬のような目。 かれの歩き方は、いつも急いていた。
ヴェンターはヴェトナムの戦場で衛生兵として働いた。 そこは、どう語ろうにもけっして物語にできない場所だった。本当の戦争の話は、決して信じられないものだからだ。だが、そんな狂った場所にかれはいた。かれの足は泥沼に沈み、重いブーツの中で、時々、自分の足首が今もまだそこにあるのかどうかを確認するために、足先を動かさなければならなかった。
朝が来るたび、泥と血のにおいで目が覚める。叫びだしたいような悪夢から醒めれば、もうひとつの悪夢が待ち構えている。それは、血の鉄臭さだけでなく、生ゴミと汗と、そして焼けるような恐怖の、混じり合ったにおい。かれは衛生兵だった。つまり、真実の目撃者だった。真実とは、誰もがその夜、眠りの中で切り刻まれ、引き裂かれ、ただの肉片になってしまう現実にこそ存在する。
誰かが叫び、誰かが名前を呼び、誰かが息を引き取る。その叫びは、故郷のガールフレンドを呼ぶ甘い囁きとはあまりにもかけ離れていた。荒々しく、湿っていて、そして、またたくまに忘れ去られてしまう。かれは毎日何度も汚れた手をソープで洗い、肉体の破片を寄せ集めた、まるで子供が壊れたおもちゃを修理するように。だが、このおもちゃは、もはや二度と動かない。
かれの瞳のなかを毎日何度も死が通り過ぎる、場末のバーの常連客のように。かれは思わずにはいられない――肉体は脆い。たった一枚の金属片、たった一つの爆風で、すべてが終わってしまう。そして、その終わりに意味はない。
This is the end
Beautiful friend
This is the end
My only friend, the end
これが真実なのだ。
FUCK YOU,NIXON!
FUCK YOU,NIXON!
FUCK YOU,NIXON!
しかし、何度かれがニクソンに罵詈讒謗をぶつけようとも、
現実は変わらない。
おれたちの命は、欠陥品だ。かれはそう信じずにはいられなかった。そうでなければ、なぜこれほど簡単に、この美しくも脆弱な構造は崩壊するのか? かれは、夜明けの光の中で、その欠陥の設計図を、血に濡れた肉の断片の中に読もうとしていた。ヴェトナムは、かれにとって、肉体の脆さという、信じがたい、しかし絶対に真実の、物語だったのだ。
のちにかれは回想する、
「あれはSchool of Deathだった。だが、生き延びた者には、奇妙な衝動が残る。なぜ自分だけが生き延びたのか。おれはこれから何をすべきなのか。」
帰国後、かれは海を見に行った。
波が砕けるたび、白い泡が消える。
生命の形が生まれては壊れる――その反復を、
かれは永遠に見ていた。
そして決心した。
「神の代わりに、もう一度この設計をやり直してみようじゃないか。」
クレイグ・ヴェンター、かれは鉄の意志を持つ、不屈の男だった。
神との最終戦争
1998年、ヴェンターは民間企業セレラ・ジェノミクスを立ち上げる。
壇上でも、会議室でも、かれは早口で、滑らかに、時に傲慢に語った。
「科学はスピードの問題だ。」
かれの言葉は、祈りというよりも呪文のようだった。
倫理よりも速さを、哲学よりも成果を。
かれは自分自身のゲノムをも解析対象にした。
科学を実験ではなく、人生そのものの賭けと見ていた。
かれにとってゲノム解読とは、神との最終戦争であり、
ヴェトナムの続きだった。
Apocalypse Now, part two.
ヴェンターにとって、DNAはもはや発見の対象ではなかった。それは戦場であり、かれはそこで勝利しなければならなかったのだ。
読むことの終焉
HGPの成果が発表されたとき、科学者たちは驚いた。
ヒトの遺伝子数は、予想の三分の一。
人間は線虫とそれほど変わらない――。
彼らは謙虚にならざるを得なかった。
30億の塩基のうち、意味を持つのはわずか1.5%。
残りは「ジャンクDNA」と呼ばれたが、やがて誰もが悟る。
この“がらくた”こそが、生命の音楽を奏でているのだと。
生命とは、意味を持たぬものが意味を生み出す装置だったのだ。
ゲノムという書物は読まれたけれど、しかし、理解されたわけではない。
科学者たちはただ「目次」を手に入れただけだった。本文になにが書かれているか、それはいまだわからない。
生命を読む者から書く者へ
やがてCRISPR-Cas9が登場する。
DNAはもはや神の書ではない。
それは、編集可能なテキストとなった。
科学者たちは、神話的創造主の机に座った。
――この幻想を、最初に見抜いていたのは科学者ではない。映画監督だった。
1993年、『ジュラシック・パーク』。
琥珀に封じられた蚊、吸われた恐竜の血、カエルの遺伝子、再生する怪物。
恐竜はスクリーンの上で甦り、観客は拍手した。
あれは単なる娯楽ではなかった。
あれは科学が神を模倣し始めた時代の寓話だった。
ゲノムを読む者だった科学者は、いつのまにかそれを書き換える者、
つまり物語の作者になっていた。
そして――
作者が自分の物語の結末を制御できたためしは、
一度もないのだ。
