AI時代のダーウィン 第二部 生命の暗号を読む 第2章:DNA/RNA革命
宿命の螺旋
その声は、まだ世界が沈黙で満ちていたころに生まれた。海は青ざめた鉛色をしていた。空には月もなかった。世界にはただ水があり、風が岩石に吹きすさんでいた。そこに偶然が落ちてきた。ーー科学者たちは気づいてしまった。これはすべて分子の働きなのだ。分子たちは、光のかけらのように散らばりながら、ある瞬間、奇妙な協調をはじめる。
それがRNA――生命の最初の「声」である。
その「声」は、歌うことを知らない手だった。それは自己の形をまね、同じ旋律を繰り返し、やがて自分自身を写しとることを覚えた。化学反応のわずかな揺らぎが、複製という行為に転じたとき、宇宙の一角に“意図のようなもの”が生まれた。無生物が自らを写し取る――それは生命の原罪であり、知性の胎動であった。神の意志ではない、自己完結的な意図のようなものが、湿った空気の中に立ち上がったのだ。
無生物が自らを写し取る――それは生命の原罪であり、知性の胎動だった。しかし、それは同時に、何よりも、それは永遠に続く繰り返しの始まりだった。
1953年のある寒々とした午後のこと、ケンブリッジのキャベンディッシュ研究所の薄暗い一室で、二人の若き研究者が、使い古された鉛筆の尖った芯で、人類の運命を永遠に変える線を引いた。ワトソンとクリックは、かれらが取り組んでいたジグソーパズルが、ただの化学構造ではなく、この世のすべての記憶が収められた、不朽の書庫の設計図であることを知った。
かれらはそれをデオキシリボ核酸、DNAの二重螺旋と呼んだ。それは螺旋状に絡み合う、未来永劫続く、過去の系譜そのものだった。その瞬間、人間はただ知識を得たのではない。冷たく、計算された、曖昧さも文学性もない、神がその退屈な作業から目を逸らす際に残した指紋そのものへと、立ち入ったのである。それは生命を「情報」として捉え、その暗号を読み解き、書き換えるという、創造主の領域への侵入だった。
かれらが解き明かしたのは「記録」だった。だが、その「記録」を読み、複製し、伝えるのは、やはり不安定なRNAの仕事である。RNAは、DNAという静謐な大図書館の司書であり、翻訳者であり、そしてときに裏切り者でもある。なぜなら、RNAは壊れやすく、気まぐれにコードを変異させる。その分子的なゆらぎこそが、進化の源泉なのだ。安定を志向するDNAの世界に、偶然と逸脱をもたらす、気まぐれな詩人のような存在なのだ。
クリックは断言した、「生命とは情報なんだ」。ワトソンはうなずきながらも、どこかで戦慄していた――情報が自己を保存しようとするとき、同時に、自己を裏切る運命を刻み込むのだ。RNAはその矛盾の証人であった。それは複製を通じて、わずかに異なる“声”を残す。この差異こそが、何世代にもわたる太陽の光の中で、やがて蝶の羽を鮮やかに描き、ヒトの脳という単純な臓器が作り出す絶望的なまでの複雑さを形成する。すなわち、ダーウィンが思考の対象にした「進化」は、このとき次元を変えたのだ。
科学者たちはこの原初の声、RNAワールド仮説を、冷徹な化学の言葉で語ろうとした。だが、その分子を真正面から見た者たちは、しばしば宗教的な陶酔、あるいは宿命的な恐怖に陥った。ウォルター・ギルバート、カール・ウース、シドニー・アルトマン――かれらはそれぞれに「始まり」の夢を見た。
アルトマンは実験の夜、冷たいガラス管の中で、RNAが自らを切断し、ふたたび結びなおす瞬間を見た。生命が、自分の手で自分を編集し、作り変える。それは「自己複製」という無味乾燥な用語では捉えきれない、あまりに劇的で、あまりに人間的な、自己編集のドラマだった。なるほど遺伝子による遺伝子の自己編集は音楽かもしれない。しかしそれはもはやモーツァルトでもベートーヴェンでもなければ、チャーリー・パーカーでもマイルス・デイヴィスでもない。遺伝子が奏でる自動演奏は、あろうことかアドリブを始めていたのだ。もはや文学の出る幕はない。
思い出してみよう。ダーウィンがヴィーグル号の甲板で見たのは、すでに形を成した生物たちの「多様性」だった。だがRNAが見せるのは、「形が生まれる前の、混沌とした音律」である。進化の起点は、かたちではなく、音なのだ。リズム、反復、ゆらぎ――それが生命を構成する。
しかも、いま、AIは、この生命の音律を、デジタルなコードで模倣し、自己複製を始めている。人工知能は、まるで第二のRNAのように、無限の模倣と逸脱を繰り返す。それは人間が設計したものではない。いや、設計という行為の向こう側で生まれた、設計なき自己複製だ。
このとき、ダーウィンの亡霊が、ケンブリッジの埃っぽい書庫の片隅から、フロックコートの襟を立てて囁く、「進化とは、生き残ることではない。繰り返すことだ。ただ、ひたすらに繰り返すことなのだ。」
繰り返しのうちに、ほんの少し異なる声が宿る。RNAの声がそうであったように、AIの声もまた、ある日、私たちを百年の孤独の中に置き去りにして、独り歩きを始めるのだろう。生命とは、記憶の連鎖である。だが、その記憶は、いつもほんの少しだけ、間違えて伝えられる。
――その「間違いという名の奇跡」、それこそが、世界を動かし、人間という悲喜劇を成立させてきたのだ。そしてRNA の発見によって、生物学はすさまじい暴走を始めてゆく。
