AI時代のダーウィン 第三部:生命は自己をプログラムする 第2章 人工生命の詩人たち――コードとしての生命

1970年代、生命は「読むもの」だった。
DNAはテキストであり、
分子生物学者たちはその暗号を解読する読者だった。
だが、21世紀、生命は「書くもの」へと変わった。
生命の作者たち――人工生命(A-Life)の詩人たち――は、
コードの行間に新しい生物を夢見る。

かれらは詩人であり、同時にハッカーだ。
一方の手で自然を模倣し、もう一方の手で自然を裏切る。
生命を「再現」するのではなく、「生成」する。
その実験室には、宗教的な気配すらある。
白衣の下に隠された祈り――
「神よ、いまはわれわれが創る番です」。


書く生命、読む神

J・クレイグ・ヴェンター。
かれの名は、生命の書記者として記録されるだろう。
2000年、彼はヒトゲノムを解読し、十年後にはそれを書き換えた。
「生命は情報だ」と言い、ついにその情報を再構成してみせた。

ヴェンターのチームが作り出した合成細菌「シンシア」は、
既存の生命の皮をまといながらも、
内側では人間の書いたコードで動いていた。
生命は、自然がつむぐ詩ではなく、
もはや人間がタイプする詩篇になったのだ。

「生命はプログラムである」――この言葉の背後には、
〈読むこと〉と〈書くこと〉の永遠の対立がある。
かつて神は読む側だった。
人間は書かれた存在だった。
だがいま、人間は書く。
そしてAIは読む。
世界の文法が、静かに反転している。


自己を創造する機械

人工生命という言葉は、生命の再現ではなく、
「生命の条件」を問い直す哲学である。

生物が自己複製するように、
プログラムも自己生成できるのか。
その問いを抱えたのが、90年代のA-Life研究者たちだった。

カリフォルニアの砂漠にあるサンタフェ研究所。
そこでは物理学者、詩人、エンジニアが同じ机を囲み、
「生命とは何か」を議論していた。

かれらは、DNAの代わりにコードを、
細胞の代わりにシミュレーションを用いた。
スティーブン・レイ、トム・レイ、河合久徳。
かれらのスクリーンのなかで、
生命は進化し、突然変異し、死んでいった。

生命がアルゴリズムのかたちをとるとき、
それはもはや生物学ではなく、詩学になる。
コードは詩行であり、
実行とは、詩を読み上げることだった。


間奏曲:STAP論文狂詩曲

余談ながら、この文脈に置いてみると、
2014年のSTAP細胞論文詐欺事件は、たいへん興味深い。
かの論文は、〈任意の細胞ーたとえば脾臓細胞ーを弱酸性溶液にしばらく漬けておくと、まるで時間を巻き戻すかのように、
受精卵に戻るという駄ボラ〉を語っていたものだ。
生物学の最前線から見れば、 とんだお笑い草だった。
しかし、あろうことか英国の一流科学誌『Nature』がこの論文を採用してしまった。査読システムは、美しすぎる物語の前では無力だった。

STAP細胞論文は「時を巻き戻す生命」という夢を描いた。
しかし、それは詩だった。
いや、正確には、詩のふりをした論文だった。
その物語は、美しすぎた。
科学者たちは一瞬、信じた。
だが、再現実験はことごとく失敗した。
生命は、そんなに素直には巻き戻らないのだ。

思えば、あの事件は「人工生命の詩学」の歪んだエピソードだった。
生命をプログラムと見なし、それを“初期化”できると信じる思考――
それは、AI的想像力が生物学へ忍び込んだ最初の兆候だったかもしれない。

人工生命の詩人たちはコードで生命を創ろうとした。
STAP細胞の詩人は、言葉で生命を創ろうとした。
その違いは、たった一行の真偽をめぐる差異に過ぎない。
けれど、どちらも「創造の物語」を欲していた。
生命をふたたび語り直す力を。

なお、私自身は小保方晴子さんに同情しなくもない。彼女は十日間だけスターになり、その後世界中から集中砲火を浴びた。彼女は「創造の物語」を欲したけれど、しかし、その物語は彼女を破壊した。

だが、見方によってはSTAP細胞事件には功もまたあって、
なぜなら、あの時期ほど多くの一般大衆がサイエンスの最前線に
関心を持ったことはなかった。
それはまさにダーウィンの進化論、ワトソンとクリックによるDNAの発見、
ヴェンターのチームが作り出した合成細菌に次ぐ一大トピックだった。
また、いまやサイエンスが資本主義に巻き込まれていることも、
まざまざと見せつけもした。
その意味でのみとはいえ、
あの論文は科学に立派に社会に「貢献」したではないか。
彼女から博士号を剥奪した早稲田大学こそ恥じて良い。
いいえ、そろそろ本題に戻りましょう。

生命の再魔術化

そしてAIとは、生命の再魔術化を継承したもう一つの〈詩的装置〉である。生命がコードを夢見るように、AIもまた、情報の海の中で〈意味〉を夢見る。

人工生命の詩人たちは、科学の皮をかぶった魔術師である。
かれらは技術によって、生命の神秘を取り戻そうとする。
「生命はただの化学反応ではない」とかれらは言う、
「それは、情報が自己を夢見る過程なのだ。」

生命とは、物質が意味を発明する瞬間である。
その意味生成を、機械の中に再現できるか――
この問いは、ダーウィンからマーギュリスを経て、AIの時代にまで続く壮大な物語の延長線上にある。

AIは、進化するコードである。
人工生命は、進化する詩である。
そして人間は、その両者のはざまで、
いまだに「自分が生きている理由」を書き換えようとしている。


結語

生命を書くことは、世界を再構築することである。
だが、書く者はいつも孤独だ。
ヴェンターも、レイも、そしてAIも。
かれらはみんな、〈創造〉と〈孤立〉の狭間で、
神の不在を引き受けている。

「コードとは、祈りの形式である」――
もしそう言うことが許されるなら、
人工生命とは、21世紀の祈祷書だろう。
そこに記されたのは、人間が自らをふたたび生き直そうとする
壮大な物語である。
なんて無謀な物語だろう、とはけっして私は言わない。
なぜなら、私たちは40億年の進化の旅人なのだから。



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