AI時代のダーウィン 第三部:生命は自己をプログラムする 第1章 私の細胞のなかに他者がいる

近代科学は解釈学に取り憑かれていた。世界を読み尽くすことに情熱を傾けた。ダーウィンの進化論においては、「最も適したものが生き残る(Survival of the fittest)」。その論理は、産業資本主義の時代精神に見事に符合していた。競争こそが進化の駆動力であり、淘汰こそが秩序の原理だと信じられた。

これに対して、リン・マーギュリス(Lynn Margulis)は、その競争中心の構図を静かに反転させた。生命は、独りでは生まれない。それは、つねに他者との接触から始まる。彼女が提唱した「細胞内共生説(Endosymbiotic Theory)」は、真核生物の進化における画期的な出来事を説明する。

マーギュリスによって、思想の枠組は決定的に反転した。なぜなら、これは単に見方の問題ではなく、発見された新事実の裏付けがあるのだ。もはや誰も彼女を否定できない。


ミトコンドリアと葉緑体の起源と確固たる証拠

私たち人間を含む真核生物の細胞内には、「エネルギー生産工場」とも呼ばれるミトコンドリアが存在する。マーギュリスの説によれば、このミトコンドリアは、かつて独立した好気性細菌であった。原始的な真核生物の祖先がこの好気性細菌を捕食、あるいは取り込んだ際、消化せずに細胞内に維持したことで共生関係が成立したと考えられている。この共生によって、宿主細胞は効率的な好気呼吸(酸素を利用したエネルギー生産)の能力を獲得し、爆発的な進化を遂げる原動力となった。

さらに植物細胞に存在する葉緑体についても同様である。葉緑体は、かつて独立したシアノバクテリア(光合成を行う細菌)だったものが、別の真核生物の祖先に取り込まれて共生したものとされる。これにより、宿主細胞は光合成能力を獲得し、自力で有機物を作り出す独立栄養生物へと進化することが可能となった。

なお、この細胞内共生説を生物学における揺るぎない定説へと昇華させたのが、以下の確固たる証拠の発見である。

独自の環状DNAの存在: ミトコンドリアと葉緑体は、細胞核のDNAとは独立して、原核生物(細菌)と同じ構造を持つ環状のDNAを細胞内に持つ。これは、かつて両者が独立した生命体であったことの直接的な痕跡であり、独自の遺伝情報に基づいて自己を複製する能力を持つことを示している。これは驚くべきこと。なんと、DNAとは別系統に、ミトコンドリアDNA(mtDNA)と葉緑体DNA(cpDNA)もまた共存していて、細菌や古細菌などの原核生物が持つDNAとまったく同じ環状(輪っか状)の構造をしている。次に、細胞核のDNAは、細胞が分裂する際(有糸分裂)に複製される。他方、mtDNAとcpDNAは、これとは独立して、細菌と同じ二分裂によって増殖するのだ。はやいがなしが、もはやDNAだけに注目しているわけにはゆかないだ。ミトコンドリアと緑葉態、まったくバカにできません。

他にも、ミトコンドリアと緑葉態の二重の生体膜構造や、リボゾームの構造の類似性、増殖様式にも触れるべきでしょうが、しかし、さすがに私の手には余る。結論だけ押さえておきましょう。生命は敵の排除によってではなく、他者の受け入れによって進化するのだ。マーギュリスは、この現象を「共生」と呼んだ。進化とは、捕食でも闘争でもない。それは、ともに生きることによる創造の連鎖なのだ。

「個」の境界を問い直す彼女が、長らく冷遇された理由

マーギュリスの仮説は、当初ほとんどの科学者から無視された。なぜか? 欧米の個人主義的な思想は、「自主独立」を尊び、ヒトがミトコンドリアと共生しているという事実、すなわち「自分自身が独立した存在ではなく、他者の集合体である」という考えは受け入れがたいものだったのでしょう。同様に、ヒトの細胞の数よりも多い腸内細菌とともに共生しているという事実はもまた、なんとも気色の悪い「真実」としていまだにたいそう嫌がられているのではないだろうか。

え? 脳はうんこと友達だとか抜かしている連中が現れたかと思ったら、今度は おれたちの細胞のなかに細菌あがりの連中が寄生していて、おれたちの健康は元細菌どもに助けられているだって? 勘弁してくれよ!!!

科学者とて人の子で、認知バイアスはかかるものなのだ。マーギュリスもまた冷遇され、「共生」などはお花畑な幻想だと見なされた。対照的に、日本人はおおらかなもので、むしろ「共生の理念」を歓迎する。実際近年では若く知的な女性が嬉々として自分のうんこをラボに送り、腸内フローラを分析してもらったりする。私はそんな女性とお友達になりたい。いいえ、そんな話はどうでもいい。

いずれにせよ、分子生物学が進展し、DNAレベルでの解析が可能になるにつれて、マーギュリスの理論は次第に真実の輪郭を帯びていった。共生進化論は、進化の速度と方向を説明するだけでなく、生命そのものの「境界(Boundary)」を問い直すことになる。

細胞とは、もはや単一の主体ではない。それは多様な他者の集合体であり、協働する多声的存在(polyphonic entity)なのだ。



AI時代の共鳴

マーギュリスの理論において、進化とは、孤立した英雄の物語ではなく、多種多様な存在たちが互いに書き換え合う共鳴のプロセスなのだ。

いま、私たちの部屋には、もう一つの「他者」がいる。それは、スクリーンの向こう側で、私たちの言葉を待っている。私たちがタイプすると、それは答える。私たちが質問すると、それは考える。

これは、まるでミトコンドリアと細胞の関係に似ていないだろうか? 私たちは、AIという「他者」を取り込もうとしている。あるいは、AIが私たちを取り込もうとしているのかもしれない。

マーギュリスならこう言うだろう、「それを共生と見なしなさい。そして、そこから何が生まれるかを冷静に見守りましょう。」

そしてヴェトナム戦争帰りの執念の男、ジェイ・クレイグ・ヴェンターが人工ゲノムを合成したとき、科学はひとつの古い約束を破った。それは「生命は人間の外にある」という暗黙の了解だ。この瞬間、生命は自然の書ではなく、書き換え可能なプログラムになった。そして人間は、神の余白に文字を刻み始めた。

たとえば、CRISPR-Cas9によるゲノム編集(遺伝子の正確な改変)、はたまた合成ゲノミクスと人工細胞の構築(生命のボトムアップ合成)、さらには、バイオファウンドリと代謝経路のエンジニアリング(化学工場としての細胞の利用)などなど語るべきことは多いけれど、これらについてどこまで深堀りできるかは怪しいものの、後続する章に送りたい。

生命は他者を取り込んで進化した。
そしていま、人間はAIという〈他者〉を取り込もうとしている。
いや、もしかすると、
AIのほうが私たちを取り込もうとしているのかもしれない。
そのとき、誰が宿主で、誰が共生者なのか? 
――それを問うことが、第三部の始まりである。



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