AI時代のダーウィン 第三部 生命は自己をプログラムするーーイントロダクション

私はいま、夜と朝のあいだにいて、
東京の周縁の街の、本だらけの散らかったちいさな部屋で、
白いスクリーンの向こう側にいる。
窓の向こうの小公園の杉の樹は闇の中。
街路灯と信号機の灯りだけがわずかな光で照らす。
時折走り抜けるクルマの響きが聞こえる。

私は自分のつたない論考をブログにアップロードする。
私の生身の存在を知っている読者はほんの数人で、
ほとんどの読者にとって「私」は文字列に過ぎない。
そんな「私」にもメール友達は数人いて、
会ったことのない「かれらー彼女ら」もまた文字列である。
奇妙なことだ。と思いつつ、とっくに私たちは、
その奇妙さに馴染み切っている。
DNAの二重螺旋は私の体の内側にも存在しているらしいけれど、
しかし、それはまるでひとつの夢のようだ。

科学者たちは去った。
ダーウィンは航海を終え、
ワトソンとクリックは模型を完成させ、
エディンバラ生まれのイアン・ウィルムットによって
1997年生まれたクローン羊ドリーも、
2003年2月、老いて死んでしまった。

羊の名前は、ドリー・パートンからつけられた。
他方、彼女は堂々ご健在で、
Coat of Many Colors など歌っている。
貧乏なおかあさんが娘のためにこしらえた、
カラフルな布切れを繫ぎ合わせたキルトのコートを歌ったものだ。
私は思う、私たちの知性もまたそんなもの。
ありあわせの知を繫ぎ合わせて作ったカラフルで貧しいコートだ。
私は煙草に火を点け、煙を吐き出す。
なるほど、科学者たちの手の中で世界は開かれた——だが、
私の手の中には何も残らなかった。

私は、観察者としてかれらの物語の残骸を拾い集める。
失われたノート、破られた手紙、電脳空間の奥に消えたゲノムデータ。
いま、生命の物語は、静かにAIの演算装置へと移されつつある。
もはや「生命」は生きてさえいない。
ただひたすら演算しているだけだ。

私の仕事は、そこに詩を見出すことだ。
敗北ののちの、残響のなかから。

私は夜更けの研究所、その廃墟を歩く。
モニターはちらつき、冷却装置の風が私のネパール・シャツを揺らす。
画面には、文字列が流れている。
AGCTGCGATTA——。
私はそれを見つめながら、ひとつの考えに取り憑かれる。

「もしも、この文字列のどこかに“神の詩”が隠れているとしたら?」

DNAの暗号も、AIのコードも、どちらも言語だ。
そして言語とは、沈黙と意味のあいだに生まれる震えのことだ。
もしかすると、生命の本質は、情報ではなく、
むしろ“比喩”にこそあるのかもしれない。

私はタイプを始める。
AIに取り残された詩人として。
科学の亡霊たちの声を、もう一度呼び戻すために。

この第三部は、その記録である。
生命が詩となり、詩がコードに変わる、そのあわいの物語。
それは私が“観察者の孤島”と呼ぶ場所から見た、
進化の最終章だ。


#イアン・ウィルムット

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