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ふたつの音楽世界の境界を歩くーー第1章 世界はいつ「四拍子」に覆われてしまったのか:音楽帝国主義の歴史

ヨーロッパの文化・文明は狂暴なもので、17世紀科学革命~18世紀のカントに至る知は、植民地主義と産業革命と足並みを揃えていた。かれらの思考には独特の癖がある。本来複雑なものをいったん単純化し、モデルをこしらえ、洗練させる。分業を統合して集団的総合力を作り出す。オーケストラとてそれは同じだ。各楽器の演奏者を徹底的に鍛え上げ、指揮者は楽譜を読み込み、かれの指示のもと、何十人もの演奏者がひとつの時間芸術を生成する。まるで芸術工場である。

ここでは、楽譜が音楽の設計図であり、すべての音は五線譜に記されている。拍子は3拍子系もあるとはいえ、ほとんどは4拍子系である。なんという単純化だろう! いったん単純化して、徹底的な修練とともに、結果として複雑かつ優美な世界を構築する。これはヨーロッパ人の性であり、逃れられない習性であるかに見える。しかも、それがかれらだけのものであるならまだいい。しかし、政治経済とともにやがてそれが世界を覆ってしまった。オーケストラは都市の顔であり、国家の文化的誇りになった。ポップ・ミュージックでさえも、8ビートだ16ビートだと言ったところで、4拍子の微分化に過ぎない。

では、世界はいつ「四拍子」になったのか。
これは音楽学の問いである以上に、世界史の問いである。
もっと言えば――誰が世界の“歩き方”を決めたのか、という政治学の問いでもある。

リズムとは歩幅だ。歩幅とは、世界をどう感じるかという感覚の尺度だ。
その尺度は、本来もっとめちゃくちゃで、奔放で、地域ごとに“生き物”のように違っていた。

アラブ音楽には 10拍子(Samai)7拍子(Nawakht) のような、奇数をねじり合わせた独特の揺れがある。踊るというより、旋回し、風にゆだねるようなリズムだ。
バルカン半島に至っては、5拍子、7拍子、9拍子、11拍子がごく自然に出てくる。あれは山岳地帯の地形が人間の身体感覚に刻みつけた“段差”のようなものだ。等間隔に歩くより、不規則に小走りする方が自然なのだろう。

インド古典音楽に至っては、拍という概念それ自体が溶けている。
タラ(tāla)は16拍、10拍、7拍といった整数もあるが、それは単に数字の問題ではない。演奏家が「どこに重心を置くか」「どこで時間を折りたたむか」を身体の中で調整する、もっと複雑で詩的なリズムの哲学だ。
南インドのミスター・カンジーラ奏者に言わせれば、拍というのは「数学ではなく瞑想」なのだ。

アフリカ音楽はさらに劇的で、拍子という日本語では追いつけない。
複数のリズムが同時に存在し、それぞれが別の方向に引っぱり合いながら、最後には一点に戻る。
ポリリズムという単語は便利だけれど、あれは欧米の学者が“記述しきれない複雑性”を指すための便宜的な言葉だ。実際のアフリカの人々は「これは家畜の歩き方」「これは雨が降る前の風」「これは祖先の言葉」と説明する。世界のリズムは、本来もっと具体で、もっと生き物だった。(後続する章で、なら春子さんーーニューヨーク経由でアフリカを大好きになって、ジャズ・ピアニストなのにマリ共和国でアフリカ太鼓ジャンベを徹底的に習ったーーそんな彼女と交わしたアフリカのリズム観の話をぼくは書こう。)

世界にはさまざまなリズムがあって、しかもともすれば西洋の分析概念ではけっして手が届かないものなのだ。だが――ある時期から、世界はゆっくりと、しかし確実に「四拍子」で歩き始めた。

四拍子は便利だ。
軍隊は歩きやすく、行進は揃えやすく、工場の機械は規格化しやすい。
リズムが身体の規格化の道具になったのは、19世紀の軍隊と産業革命のせいである。

イギリスの軍楽隊が四拍子で世界を植民地化し、アメリカの商業音楽が四拍子で世界を市場に変えた。
フォークソングも、カントリーも、ジャズですら、レコード産業のフォーマットに合わせて“四拍子化”され、20世紀の後半には、まるで「四拍子以外は聞き取りづらいもの」とさえ考えられるようになった。

だが本当にそうだろうか。

本来、世界はもっとぐちゃぐちゃで、美しく、偏っていて、不均衡で、時間は揺れていた。
拍子を均すとは、世界観を均すことだ。
「四拍子」は単に音楽の形式ではない。きわめて政治的な、きわめて経済的な、そしてきわめて身体的な「近代のテンポ」なのである。

そして、われわれはそのテンポを、国家のメロディと同じくらい、疑わずに受け取り続けている――。


第2章ではアフリカ音楽について書こう。


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