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【音楽における感情教育】エンニオ・モリコーネは20世紀を代表する作曲家のひとりだ。

楽聖モリコーネは19世紀ロマン派の作曲技法にひじょうに習熟していて、しかもいかにもイタリア人らしい感情家として、十数段におよぶオーケストラのスコアを歌うようにすらすらと書き進め、映画が伝える物語の喜怒哀楽を音楽の力で拡大鏡にかけ、観客の感情を自由自在に操る。『続・夕陽のガンマン』、『天国の日々』、『ニュー・シネマ・パラダイス』・・・傑作揃いだ。


他方、坂本龍一さんもまたクラシック育ちの作曲家であり、おそらくブラームスあたりに深く影響を受けながらも、いわゆる現代音楽への関心のあまり、もともとは器楽的な、かつまた器械体操のような(?)音楽性を持った人だった。もっとも、そんな坂本さんも歌謡曲やシティ・ポップスの編曲をなさるときにはひじょうに華麗に依頼をこなすのだけれど、しかしそれであってなおその華やかなオーケストレーションはそれほど感情をかきたてられるというものでもなかった。それが坂本さんのクールなダンディズムでもあった。しかし、坂本さんはベルトルッチ監督の映画音楽を担当することによって、オペラ大好きのベルトルッチに「もっとも大切なものは emozioniなんだ、もっとエモーショナルに! amore!  triste!  felicità!」とダメ出しされ、叱咤されながら、音楽における感情表現を学び育てていった。なるほど、坂本さんの『戦場のメリー・クリスマス』の映画音楽も魅力的だけれど、しかしベルトルッチ作品のそれと比べると、感情表現のスケールに大きな違いがある。(おもえば、フェデリコ・フェリーニの音楽をほとんど手掛けてきたすばらしい作曲家ニーノ・ロータもまた大の感情家だった。ぼくはそこにイタリア人の民族性を見ずにはいられない。)また、坂本さんはこの成長の過程で、ヒッチコックの『サイコ』におけるバーナード・ハーマンの異能の才能に気づきもしたのではないかしらん。


ぼくはベルトルッチ監督の映画『シェルタリング・スカイ』の音楽を聴いて、その果てしない昏さと際限のない哀しみに、びっくりしたものだ。ぼくはあどけなく坂本さんに訊ねたものだ、「どうしてこんなにも昏いんですか?」坂本さんは髪をかきあげながらおっしゃった、「この映画の主題は嫉妬でしょ。嫉妬も適量ならば愛の刺激になりますけど、でも、適量を越えると毒薬ですからね。」そして坂本さんは同席した女子マネージャーの顔をちらりと見た。また、このときぼくは坂本さんから教えられた、ポール・ボウルスが小説家になるまえに、20世紀クラシックの立派な作曲家であったことを。ぼくは訊ねた、「ボウルズはなんで作曲辞めちゃったんですか?」坂本さんは3秒ほど間を置いておっしゃった、「きっとなにかあったんでしょうね。」


1980年代の半ば、アヴァンギャルド・ミュージックの巨匠ジョン・ゾーンは、エンニオ・モリコーネの曲を、前衛的な解釈で才気煥発に再創造したとんでもないCDをリリースした。ジョン・ゾーンは大の映画マニアで、かれの音楽はつねに映像を喚起する。ぼくはしばらくこのCDに狂喜乱舞して聴きまくったものだ。ジョン・ゾーンが高円寺の三畳のアパートに住んでいた頃のことだ。




しかしながらその後ぼくはこうおもうようになった。ジョン・ゾーンの才能は火を見るよりも明らかながら、それはそれとして、そもそもエンニオ・モリコーネのもともとの曲がすばらしいのだ。


きのうぼくは新宿シネマ・カリテで映画『天国の日々-DAYS OF HEAVEN』を観て、女優・ブルック・アダムスの演技に惚れるとともに、ひさしぶりにエンニオ・モリコーネの楽才に惑溺した。そしていつのまにかぼくもまた感情教育をほどこされていたのだった。



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