見出し画像

その日ぼくが出会った3人の女。

信用金庫の窓口の長い黒髪のほっそり長身の女性は、前髪を切ったばかり。他方、ぼくはいつものようにキャップをかぶり、ネパール・コットンのキルティングのシャツを着て、ネックレスをじゃらじゃらつけている怪しげな老人だ。ぼくは訊ねた、「かわいいね。学生時代、何部に入ってたの?」すると彼女は答えた、「あたし音楽部でヴァイオリン弾いてたんですよ。ジブリの曲とか演奏してました。」ぼくは少し驚いた。個客のおカネの出し入れや、納税準備金、小切手や手形の決済を扱っている彼女は、つい数年まえまでは学校で音楽仲間とともにヴァイオリンでジブリの曲など弾いていたのだ。ディズニーの曲でないところに時代の流れを感じる。


この日ぼくは神保町の古本屋で、ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』を見つけ買ってみた。彼女が開発した文学手法〈意識の流れ〉の影響をぼくは受けているものの、しかしぼくは彼女の作品をしっかり読み込んだことはなかったから。レジ担当の女の子の髪型はボブながらおかっぱと呼びたくなるような純朴そうな見かけながら、鼻のふたつの孔を繫ぐ銀色のピアスをして、パンクTシャツを着て、吾妻ひでおの『アル中日記』を読んでいた。ぼくは少しおかしかった、もしもぼくが演出家ならば彼女は岸本佐知子さんのエッセイを読んでいる。しかし、自分の趣味を他人に押しつけてはいけない。ぼくは言った、「吾妻さん、波乱万丈な人生だよね。女の子をあんなにかわいく描くのにね。あなたもアル中にならないように気をつけてね。」彼女は笑った。



家へ帰るまえぼくは駅そばのイオン・トップ・ヴァリュで、チリの赤ワイン「18」のカベルネを買って店を出たところ、路上に移動パン屋のバンが店開きしていた。たくさんの種類のパンが並び、若い女性販売員が立っている。ぼくはクランベリー入りの全粒粉のちいさなパンを買った。いかにもパン屋の店員にふさわしい清楚そうで快活な女性でエプロンがよく似合っている。ぼくは彼女に訊いた、どんな音楽が好きなの? 彼女は答えた、「ヒップ・ホップ。」ぼくは言った、「おれはね、(ジャズ・ファンだけど)ヒップ・ホップではブルーノ・マーズが好き。」彼女は笑った、「むかしの人ですね。あたしが好きなのは、Lex。jin doog。千葉雄喜♡」ぼくは誰ひとり知らないので、ノートにかれらの名前をメモした。彼女は訊ねた、「メモしてどうすんですか?」ぼくは答えた、「おれ、音楽好きだから、いつも自分の知らない音楽にも興味しんしんなんだ。」とかなんとかおしゃべりしているうちに、お客さんがやってきて、ぼくは彼女に「じゃあまたね」と言って移動パン屋を後にした。


ぼくは部屋へ戻って、彼女の好きな3人を聴いてみた。げげッ、ぜんぶ日本のゴッリゴリのギャングスタ・ラップじゃん! そりゃあ彼女が甘口のブルーノ・マーズなんかに洟もひっかけないわけだ。おもえばマーズももう40歳、ヒット曲の"Beautiful Girl"も15年まえ、若い子にとっては恐竜みたいなものだろう。それにしても人の内面はわからないもの。大きなお世話ながらぼくは彼女の未来を案じ祈った、どうか、彼女が広末涼子さんみたいに悪いお友達に誘惑されて人生を地獄めぐりにしてしまいませんように。



もしも半世紀まえならば、彼女はセックス・ピストルズを聴いていただろう。時は流れた、とまとめるのはたやすい。だが、ぼくはこうもおもう、前から見ると一本の蝋燭が燃えている、だが横から見ると長さの違う蝋燭がずらりと並んでいる。Lex。jin doog。千葉雄喜。それらの蝋燭のずっと後ろにはセックス・ピストルの蝋燭もまた燃えているのだ。



いいなと思ったら応援しよう!