『矛盾』などという甘えた言葉に酔う前に──ある定年退職者の独り言を徒然なるままに日々雑感──憂国の士(元商社マン・海外駐在歴あり)
たまたまネットサーフィンをしておりましたところ、あなたが書かれた『フェミニストなのにイケメン好き?「醜い」矛盾を抱える私の告白』という記事が目に止まりましたので、筆を執った次第です。
私は還暦をとうに過ぎ、今年で73になります。長年勤め上げた企業を退職し、今は一線を退いた身ではありますが、現役時代と変わらず毎朝の「情勢分析」は欠かしておりません。毎朝、開館と同時に図書館へ赴き、主要紙全てに目を通すのが日課です。もっとも、最近の新聞記者というのは質が落ちたのか、どれも内容が薄く、ものの数分で読み切れてしまうような代物ばかりですがね。それすらも、活字など理解できているのか怪しい他の高齢者連中がいつまでも独占しているのを見ると、やり場のない苛立ちを覚えます。彼らと違い、私は暇つぶしで「読む」のではなく、日本の未来を憂いて「分析」しているのですから。そんな既存メディアの浅薄さに絶望した私が、もっぱら頼りにしているのが動画サイトでの情報収集です。そこにある「真実」に触れるたび、現役を離れてなお、この国の行く末を案じなければならない己の業の深さを感じるのです。
そんな私の目から見て、どうにも最近の文章というのは、自分の「お気持ち」ばかりを捏ね回していて、読んでいて胸焼けがします。ご自身の内面にある葛藤だの、理想と欲望の板挟みだの。それを「人間らしさ」として肯定したい?はっきり申し上げますがね、それは「平和ボケ」というものです。あなたが自分の悩みをご高説のように垂れ流している間にも、世界ではもっとシビアで、昔ながらの「常識」へと回帰する動きが起きているのをご存知ないようだ。
つい先日でしたか、2025年12月10日に、エックス(昔のツイッターですな)で話題になっていた投稿を見かけました。私は英語はそれほど達者ではありませんが、今の時代、翻訳機能を使えば大意は掴めますし、何より数字を見れば一目瞭然です。ディネシュ・デスーザ氏(@DineshDSouza)という方の投稿ですが、これが50万回以上も見られている。、「いいね」も1万5千を超えている。これは、今の社会のあり方に鬱屈した思いを抱えている人々が、それだけ多いという証拠でしょう。あなたが記事の中で、「イケメンと遊びたい」「ブサメンは消えてほしい」などと、まるで自分がお姫様か何かのような世迷い言を並べている横で、これだけの数の人間が、もっと切実な「現実」に頷いているのです。
I have never heard women speaking like this before. In the feminist era, 1960-2010, it would be impossible, because no woman who felt this way would dare to say it. This video is one indication among many that feminism is being roundly rejected. It’s about time! pic.twitter.com/4e5MCPVkY7
— Dinesh D'Souza (@DineshDSouza) December 10, 2025
この投稿にはビデオが付いていましてね、それを見て私は膝を打ちましたよ。若い金髪の女性が車の中で語っている内容は、まさに私が40年間の会社員人生で肌で感じてきたことそのものだったからです。彼女は言っています。「Men have to earn everything.(男はすべてを自分で稼がなければならない)」と。男という生き物は、尊敬も、金も、地位も、すべて自らの汗と犠牲で勝ち取らなければならない。誰にも助けてもらえず、弱音も吐けず、ただ歯を食いしばって家族を守る。それが男の人生だと。私もそうやって生きてきました。雨の日も風の日も、満員電車に揺られ、理不尽な取引先に頭を下げ、身を粉にして働いてきた。家のローンを払い、子供の学費を出し、税金を納め、この国のインフラを支えてきたという自負があります。
それは何のためか?家に帰れば、温かい食事と、妻の労いがあり、整えられた寝床がある。そのささやかな「対価」を守るためです。
ところが昨今はどうでしょう。私がその「対価」を受け取る番になった今、家の中の空気は冷たいものです。例えば妻が「今日は頭が痛いから」と寝込んでいる時。私は途方に暮れます。腹が減って台所に行きますが、そこにあるのは冷たい冷蔵庫という箱だけです。開ければ、肉の塊や、泥のついた野菜のような「材料」は入っています。しかし、それは「食事」ではありません。どうすればこの物体が、私の知っている温かい料理になるのか、私には皆目見当がつかない。電子レンジらしきものもありますが、ボタンが多すぎて、どれを押せばいいのか分からない。うかつに触って爆発でもしたらどうするのですか。結局、私は棚にあった乾いた菓子をかじり、水道の水を飲むしかない。
自分の家なのに、妻が動かないだけで、魔法が解けたように全てが機能しなくなる。私が40年、外で戦って得た安息の地は、こんなにも脆い砂上の楼閣だったのかと、愕然とするのです。
あなたの記事に戻りましょうか。あなたは「イケメンが好き」という欲望を、何か高尚な哲学のように語っていますが、私に言わせれば、そんなものは「食うに困らない人間」の贅沢病です。男が血の滲むような思いで社会インフラを維持し、経済を回しているからこそ、あなたは安全な場所で「どの男の顔が好きか」などという品定めができるのではないですか?動画の彼女が指摘するように、男がプレッシャーの中で積み上げた「安全」や「富」を、女性は生まれながらの特権で当たり前のように享受している。あなたが「矛盾」だの「醜さ」だのと感傷に浸っていられるのは、誰かが汗水垂らして作った屋根の下にいるからです。
それなのに、風呂に入ろうと脱衣所に行っても、新しい下着もパジャマも置いていない。引き出しを開けても、空っぽです。「おい、服がないぞ」と虚空に向かって言っても、妻が不調で伏せっているから、誰も持ってきてはくれない。いつもなら、ここを開ければきちんと畳まれた下着が入っているはずなのに、ないのです。なぜだ。なぜ私の服がないんだ。昨日はここにあったじゃないか。私はただ、呆然と立ち尽くすしかない。長年尽くしてきて、最後に残ったのがこの「理不尽な欠乏」かと思うと、やるせない苛立ちが込み上げてきます。
あなたの記事に共感する人もいるでしょう。傷を舐め合うのは結構なことです。しかし、私が提示した投稿には、51万7,500回もの視線が注がれ、多くの人が「ようやく真実が語られた」と安堵しています。「男の苦労がようやく可視化された」「女は与えられることに慣れすぎている」とね。これが、きれいごと抜きの2025年の現実です。あなたが自分の内面を掘り下げて「人間らしさ」を演じている間に、世間はもう、権利ばかり主張して義務を果たさない「フェミニズム」に見切りをつけている。
矛盾に悩む暇があるなら、一度でもいいから、誰かの稼ぎに頼らず、男と同じ重荷を背負ってみればいい。そうすれば、「イケメン云々」などという寝言は出てこなくなるはずです。
長文での自分語り、ご苦労なことでした。まあ、暇つぶしにはなりましたよ。まだ社会の動向には目を光らせておきたいものでね。
