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「ミッドライフ・クライシス」という名のリストラ装置──中年の憂鬱はいかにして人事の商品になったか

その悩みは「管理」されている

40~50代の会社員であるあなたが、揺れる通勤電車の中でスマホを取り出し、ふと目に入った記事を開きます。

『中年期に陥りやすいミッドライフクライシスとは?原因と乗り越え方のヒント』(マイナビキャリアリサーチLab)

「人生の折り返し」「中年の危機」「サードプレイス」。

並んでいる言葉を目で追いながら、グラフの横にある数字に自分の倦怠感を重ねていく。「ああ、今の自分はこれだ」と納得する。そこには「自分の悩みには名前があり、解決策もあるのだ」という、ある種の救いすらあります。

しかし、警戒しなければなりません。

この種の記事やレポートは、あなたの心を軽くするために書かれたものではありません。

40~50代の不安をパーセンテージで可視化し、「人生の再評価」や「キャリアの再構築」を促すその語り口は、そのまま人事部があなたを「安価なポジション」や「早期退職」へと誘導するための、立派な整地作業になっているからです。

元祖ミッドライフ・クライシスとしての「死」

そもそも、ミッドライフ・クライシスという言葉は、人事用語ではなく、「死の自覚」を扱う哲学的な文脈で生まれました。

カナダ生まれの精神分析家エリオット・ジャックは、1965年の論文『Death and the Mid-Life Crisis』において、芸術家や研究者が四十代を境に、創作のスタイルを劇的に変える事例を分析しました。

彼らが直面したのは、モチベーションの低下などという軽いものではありません。

「若い頃は無限にあると思えた時間が、実は有限な残り時間でしかない」という、圧倒的な事実への直面です。

自分だけは特別だという「不死の幻想」が崩れ、自分の肉体的・能力的な限界と、やがて来る死を本気で理解する。

ジャックが定義したクライシスとは、この絶望的な「死の現実感」を受け入れ、残された時間で何を残すかという、実存的な生き方の組み替えプロセスでした。

そこに、企業の人事評価や、上司との折り合いといった話が入り込む余地などなかったのです。

日本の心理学が描いた「成熟への揺れ」

日本においても、当初この概念は心理学の領域で、人間の成熟に不可欠なプロセスとして扱われてきました。

精神科医の小此木啓吾が『中年の危機』(1979年)を世に出し、その後も多くの研究者がアイデンティティ発達の観点から中年期を論じました。

子どもの自立、親の介護、自身の老い。これらが重なる時期に、過去の価値観が通用しなくなり、一時的な混乱(うつや虚無感)に陥る。

しかし、それは「病気」や「不適応」ではなく、人生の午後を生きるための新しい自分を獲得するための「産みの苦しみ」である──。

日本の臨床心理学は、迷える中年に対して、あくまで敬意を持って接してきました。少なくともこの段階までは、ミッドライフ・クライシスは労務管理のための「処理タグ」ではありませんでした。

「キャリア自律」という名の突き放し

風向きが変わったのは、日本企業が「キャリア自律」というスローガンを好んで使い始めた頃からです。

バブル崩壊後、終身雇用という重荷に耐えきれなくなった経営側は、「会社が社員の面倒を一生見る」という看板を静かに下ろしました。

その代わりに掲げられたのが、「エンプロイヤビリティ(雇用されうる能力)」や「自律的なキャリア形成」という言葉です。

1999年の日経連報告書、2006年の経団連報告。そして同時期に花田光世や高橋俊介といった研究者が提唱したキャリア論。

これらが組み合わさり、「会社にぶら下がるな、自分の人生は自分で経営しろ」という空気が醸成されました。

この文脈において、中年社員の迷いは「実存的な悩み」から、「環境変化に対応できないスペック不足」へと、巧妙に意味を書き換えられていったのです。

調査レポートと「働かないおじさん」の商品化

この変質を決定づけたのが、2010年代以降のビジネスメディアと、人材系シンクタンクによる「数値化」です。

マイナビキャリアリサーチLabやNRI(野村総合研究所)、リクルートのような組織は、定期的に中年層の意識調査を行います。

「人生に満足していない四十代は三割」「私生活に不安を抱える層は他世代より多い」。

こうしたデータは、一見すると中年の苦しみに寄り添っているように見えます。しかし、その結論は常に「だからキャリアの再構築(リスキリング)が必要だ」「組織外へ飛び出そう(副業・転身)」というセットメニューに着地します。

これらメディアはまさに、そういうセットメニュー中高年追い出しマニュアルを売ることを目的に立ち上げられているのだから、当然の話です。

さらに2020年代に入ると、この流れは「働かないおじさん問題」と合流します。

「ミッドライフ・クライシスによるパフォーマンス低下」というもっともらしい診断名がつけられることで、給料の高いベテラン社員を、「再教育が必要な対象」あるいは「代謝されるべき対象」として扱う理論的根拠が完成したのです。

研修会社は「中高年の危機を乗り越えるセミナー」を企業に売り込み、人事はそれを導入することで、「我々は冷酷にリストラするのではない、彼らの危機を支援するのだ」というポリティカル・コレクトネス(正当性)を獲得する。

中年の憂鬱は、いまや巨大なビジネス市場であり、人事施策を円滑に進めるための「潤滑油」として商品化されているのです。

死の自覚から「肩たたき」への接続

こうして歴史を並べ直すと、グロテスクな変遷が浮かび上がります。

出発点は、エリオット・ジャックが描いた崇高な「死の自覚」でした。 それが心理学を経て、企業の「キャリア自律」要請と混ざり合い、最終的には「モチベーションが下がったおじさんを、どうやって納得させて動かす(あるいは辞めさせる)か」という、極めて実務的なノウハウへと矮小化されました。

言葉だけは「ミッドライフ・クライシス」というドラマチックな響きを残していますが、その中身は完全に別物です。

現代の企業が使うこの言葉は、あなたに「人生の有限性」を問うているのではありません。「今の給料に見合う働きをしていないなら、自分で身の振り方を考えろ」と、遠回しに告げているに過ぎないのです。

「自分で自分を屠殺する」という理想

この記事を書くきっかけとなったのは、「猫山課長」という元銀行員のインフルエンサーによる投稿です。

彼は、在職中からの副業(執筆活動)で地盤を固め、最終的には会社を「卒業」する形で円満退職しました。

彼のような成功例が出ると、企業の人事や経営陣は諸手を挙げて歓迎します。「彼に続け」とばかりに社内広報で称賛し、ロールモデルとして祭り上げるでしょう。

なぜなら、日本の会社が中高年の副業に好意的なのは、社員の成長を願っているからではなく、副業がうまくいって、自分から辞めてほしいからです。

アニメ『機動警察パトレイバー』には、「資本家の夢は給料のいらない従業員」という有名なセリフがあります。

しかし、現代の現実はフィクションよりもグロテスクです。企業が求めているのは、単に給料がいらないだけでなく、割増退職金も払わせず、自らの意思でニコニコと去っていき、そのプロセスすら「自律」と呼んで満足してくれる労働者です。

ミッドライフ・クライシスの不安を煽り、セミナーを受けさせ、副業を奨励する。その先にあるのは、主体的で前向きな退職です。

「自分で自分を屠殺とさつする社畜」。

これこそが、2000年代以降の人事制度が設計しようとしている、最も理想的な中高年社員の姿なのです。

自分の危機に、自分で名前を付ける

では、私たちはこの「量産された危機」とどう向き合えばよいのでしょうか。

マイナビやビジネス誌が提示する「よくある症状」のチェックリストに、自分を当てはめて安心する必要はありません。

「ああ、これはミッドライフ・クライシスなんだ」と納得した瞬間、あなたは企業が用意した「再教育」や「配置転換」というベルトコンベア屠殺場行きのトラックに乗せられてしまいます。

中年期に感じる重さを、安易なパッケージに包まず、自分で分解してみることです。

体力の低下への単純な戸惑い。親の老いや死が生む喪失感。役職定年によるプライドの傷つき。そして、本当に近づいてきた「死」の気配。

それぞれは別の問題であり、解決策も異なります。

企業にとって都合よく加工された「ミッドライフ・クライシス」という診断名を拒否し、自分の言葉で、自分のあやふやな不安に名前を付け直すこと。

人事部の資料には載っていない、本当の意味での「中年の危機」を生き抜くための出発点が、まず、あなたには必要です。

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