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36歳SES経営者が、デジタル庁と握手するまで #時計じかけのオレンジ #ウルトラ・アウトソーシング

第1幕:コロヴァKPIバー

(フェードイン)

屋内・コロヴァKPIバー・夜

カメラはゆっくりと引いていく。 そこにはファイバーグラス製のマネキンで作られたテーブルと椅子がある。マネキンたちは皆、過労死ラインを超えたエンジニアのように項垂れ、あるいは懇願するような姿勢で固まっている。

催眠的な雰囲気。壁には無限に続くガントチャートがプロジェクションマッピングされている。

アレックス、ピート、ジョージィ、そしてディム。「ミルク・プラス」で完全にキマった状態で、彫刻された家具の顔や股間や唇に、泥のついた革靴を遠慮なく乗せて座っている。

アレックス(語り) 「そこにいたのは俺、つまりアレックスと、俺の三人のドルーグたち。つまりピート、ジョージィ、そしてディムだ。俺たちはコロヴァKPIバーに座って、今晩のラスードック(計画)をどうするか練っていた」

「コロヴァKPIバーは『ミルク・プラス』を出す店だ。ミルク・プラス・ベロセット(勤怠管理ツール)、シンセメスク(エージェント通知)、あるいはドレンクロム(未読チャット)。俺たちが飲んでたのはドレンクロム入りだ。こいつを飲むと頭がシャープになって、15分かそこらの間、全身にアドレナリンが駆け巡り、古き良き『ウルトラ・アウトソーシング』をやる準備が整うってわけだ」

「俺たちのポケットは金(月商1000万円台の速報値)でパンパンだったから、その点じゃ何の心配もなかった。銀行借入だけで回してる4年目の経営者としちゃ、上出来な部類だろ? でも世間で言うように、金が全てってわけじゃない。大事なのは、夜の過ごし方だ」

(バーの店内)

アレックスは片方の目(下まつげに一本ずつ丁寧に描かれたつけまつげの下)を見開いて、虚空を睨んでいた。青白いディスプレイの残像が焼き付いている。

ジョージィがニヤニヤしながら、手元のタブレットをスクロールしている。 「見ろよ、この経歴書。30代未経験、スクール上がり、やる気だけはありますってよ。どうする、アレックス? こいつを『実務経験3年』に化粧して、どこかの現場に突っ込むか?」

ピートが横から覗き込み、鼻で笑う。 「やめとけよ、ジョージィ。リスクが高すぎる。それより、あの『交流会』で見つけたSaaSベンチャーの社長はどうだ? まだ契約書の中身も読めないようなガキだったぜ」

「ああ、あのカモか」ジョージィは肩をすくめた。「あいつは後回しだ。まだ脂が乗ってねえ」

ディムは、マネキンの口元に踵を落としながら、馬鹿みたいに口を開けて笑っていたが、ふと真顔になって言った。 「でもよ、アレックス。最近、採用面接ばっかで俺のメンタルが削れるぜ。来る奴来る奴、どいつもこいつも変なやつばっかでよ。同じことの繰り返しで、俺の頭、ガーンとなりそうだ」

アレックスの目が、ゆっくりとディムに向く。 その表情には変化がない。ただ、静寂が流れる。

ガシャン!

何の前触れもなく、アレックスは手元のグラスをディムの顔の横へ全力で叩きつけた。 ミルクとガラスの破片が爆散し、ディムの頬をかすめる。

ディムが驚いて縮こまり、両手で頭をかばうようにして椅子から転げ落ちる。 「何すんだよ! 痛えじゃねえか! 目に入るところだったぞ!」

アレックスはゆっくりと立ち上がる。その手には、ステッキの代わりに、分厚く丸められた決算書が握られている。 彼は優雅に、ダンスを踊るようなステップでディムに近づく。

「削れる? お前が?」

アレックスは笑いながら、丸めた決算書でディムの脛を打った。一度、二度、三度。 リズムに合わせて。ベートーヴェンの調べのように。

「マナーのなってないバカにはこうするんだ、兄弟。お前が削れるんじゃない」

アレックスはディムの襟首を掴んで、無理やり顔を上げさせた。至近距離で囁く。

「俺たちが削るんだ。俺たちが、人間を『単価』と『稼働率』という数字に削ぎ落とすんだ。その工程を『メンタルが削れる』なんて甘ったれた言葉で呼くんじゃねえ」

ディムは青ざめて頷くことしかできない。 「わ、わかったよ、アレックス。悪かった」

アレックスは瞬時に笑顔に戻り、席に座り直した。まるで何事もなかったかのように。 「よろしい。で、ジョージィ。新しい獲物は?」

ジョージィは怯えた様子を隠そうと、慌てて端末を操作する。 「あ、ああ……エージェントからの紹介だ。これなんかどうだ? 年収500万クラス。紹介手数料は3割台。高いが、スキルのある奴だ。稼働さえ決まれば、半年で回収できる計算だ」

アレックスはミルクを一口すすり、その言葉を舌の上で転がした。

「半年回収……」

彼は天井を見上げる。そこには剥き出しの配管と、明滅する蛍光灯がある。

「それは素晴らしい(ホラショー)な響きだ。実に音楽的だ。採用と立ち上げに年数千万円規模を燃やす。燃やして、燃やして、灰の中から稼働を生む。そのサイクルこそが、俺たちのシンフォニーだ」

アレックスは両手を広げた。 「さあ、行こうか、兄弟たち。夜はまだ始まったばかりだ。どこかの誰かが、俺たちの燃料になるために、履歴書を震える手で送信している頃だ」

通知音が、ベートーヴェンの交響曲第九番の第2楽章のように、激しく、そして高らかに鳴り響いた。

(フェードアウト)

第2幕:ウルトラ・アウトソーシング

(カット・トゥ)

屋外・夜の街・移動

アレックス、ピート、ジョージィ、ディムの4人は、夜の道を闊歩している。 影が長く伸び、街灯が彼らの白いシャツとサスペンダーを照らし出す。

彼らは時折、通行人(疲れ切ったサラリーマンや、胡散臭いセミナー勧誘員)を肩で突き飛ばし、あるいは嘲笑いながら進んでいく。

アレックス(語り) 「俺たちは夜の街へ繰り出した。そこは商談と提案のジャングルだ。獲物を探して歩き回るハイエナどもの遊び場。俺たちのポケットには金があるが、俺たちが求めているのはもっと原始的な楽しみ、つまり『ウルトラ・アウトソーシング』だ」

「俺たちが目指したのは、雑居ビルの薄暗い貸し会議室で開かれている『異業種交流会』だ。そこには『微妙な人』しか集まらない。だが、俺たちにとっては最高の狩り場だ。そこには必ず、世間知らずのカモと、情弱を狙う営業マンがいるからだ」

屋内・貸し会議室(交流会)

安っぽい蛍光灯の下、パイプ椅子が並べられ、中央には小さなブースが出されている。 参加者たちは皆、張り付いたような笑顔で名刺交換をしている。空気は淀み、胡散臭い熱気で満ちている。

一人の若者(SaaSベンチャーの社長)が、粗末な長机の前で必死に声を張り上げている。机の上にはパンフレットと、安っぽいノートPC。

若者 「えー、弊社の勤怠管理SaaSはですね、AIが自動で……初期費用無料、今なら1年契約で……」

アレックスたちが入口に現れる。 彼らの異様な雰囲気(白い衣装、ステッキ、そして凶暴な眼光)に、近くにいた数人が息を呑んで道を空ける。

アレックスはゆっくりと若者のブースへ歩み寄る。 ジョージィとピートが左右に展開し、ディムは背後で指をポキポキと鳴らす。

アレックス 「ハイ、ハイ、ハイ。こんばんは、兄弟」

若者は怯えたように顔を上げる。 「あ、あの……名刺交換よろしいですか?」

アレックスは若者が差し出した名刺を見もせずに指で弾き飛ばす。 そして、机の上のパンフレットを手に取り、まじまじと見つめる。

アレックス 「これ、誰が使うの?」

若者 「えっ?」

アレックス (パンフレットを若者の目の前でビリビリに引き裂きながら) 「ゴミサービスを1年契約で情弱に押し付ける気か? ん? この紙屑が、何の役に立つんだ?」

若者 「そ、そんなつもりじゃ……」

アレックスはいきなり机を蹴り上げた。 ガシャーン! 机がひっくり返り、パンフレットが舞い散る。若者が悲鳴を上げて尻餅をつく。

アレックス 「モラルねえのかよ! お前らみたいなのが一番ムカつくんだよ!」

合図とともに、ディムが前に出る。 ディムは鎖を取り出し、床に落ちたノートPCめがけて振り下ろした。

バキッ! メリッ!

画面が砕け散り、キーボードが飛び散る。 「うわぁぁ! 俺のMacが!」若者が叫ぶ。

ピートとジョージィは、散らばった名刺を革靴で踏みつけ、グリグリと捻じる。 彼らは笑っている。これはビジネスの交渉ではない。純粋な破壊だ。

アレックス(語り) 「これは世直しじゃない。ただの快楽だ。『情弱狩り』という言葉のリズムに合わせて、物を壊すのが気持ちいいだけだ。俺たちは知っている。世の中の会社の7割は信用できない。こいつもその一部だ。だが……」

アレックスはしゃがみ込み、震える若者の胸ぐらを掴んで引き寄せた。 若者の顔は恐怖で歪んでいる。

アレックス 「よく聞け、薄汚いクソッタレ。お前のサービスはゴミだ。お前の会社もゴミだ。だがな、俺たちのスプレッドシートに乗るなら、役には立つ」

アレックスは懐から、分厚い契約書の束を取り出した。 それをナイフのように突きつける。

アレックス 「サインしろ」

若者 「え……?」

アレックス 「俺たちのエンジニアを使え。単価80万。文句は言わせない。サインしなければ、お前のそのふざけた顔面を、このPCみたいにリファクタリングしてやる」

ディムが威嚇するように唸り声を上げる。 若者は涙目で、震える手でペンを取る。

アレックスは若者の手に自分の手を重ね、無理やりサインさせた。 ペンの先が紙を突き破るほど強く。

アレックス 「よろしい。これで契約成立(フィックス)だ」

アレックスは立ち上がり、契約書を満足げに懐にしまう。 若者は床にへたり込み、壊れたPCを抱えて泣いている。 周囲の参加者たちは、壁際に張り付いて動けない。

アレックス 「さあ、行こうか、兄弟たち。次の獲物が待っている」

彼らは悠然と出口へ向かう。 アレックスは出口で振り返り、凍りついた会場に向かって優雅に一礼する。

アレックス 「ごきげんよう、カモども!」

(スローモーション) アレックスたちが夜の街へ飛び出す映像。 背景にはベートーヴェンの『泥棒かささぎ』序曲(あるいはロッシーニ)が軽快に、そして暴力的に流れ始める。

アレックス(語り) 「彼の尊厳が削られ、俺たちの利益率が上がる音がした。ウルトラ・アウトソーシング。それは最高に気持ちがいい(ホラショー)」

(フェードアウト)

第2.5幕:テック・ブティック

(カット・トゥ)

屋内・テック・ブティック・昼

洗練された照明、ミニマルな陳列棚。そこは最新のガジェットや高価な技術書が並ぶ、意識の高い「テック系セレクトショップ」だ。 アレックスは、仕立ての良いイタリア製のスーツに、不釣り合いな白いスニーカーという出で立ちで、悠然と入店する。彼はまるで自分の庭のように店内を闊歩する。

アレックス(語り) 「俺は少しばかりの気晴らしが必要だった。昨夜のウルトラ・アウトソーシングで懐は温かい。俺は街一番の『テック・ブティック』へ足を運んだ。そこは、最新のデバイスと、それを求める子羊たちが集まる場所だ」

アレックスはカウンターへ行き、店員に声をかける。

アレックス 「パルドン(失礼)、ブラザー。2週間前に予約した『HHKB Professional HYBRID Type-S 雪』は届いてるかな? US配列の無刻印だぞ、間違えるなよ」

店員 「確認します……あ、はい。入荷しております」

アレックスは箱を受け取り、その重みを愛おしそうに確認する。彼自身、そのキーボードで打つ文字の9割がチャットの返信と請求書の数字であることを、この時は棚に上げている。

アレックスは視線を店内に巡らせる。 そこには、二人の若い女性(ソニエッタとマーティ)がいた。彼女たちはMacBook Airの最新モデルの前で、画面を指差しながらキャッキャと騒いでいる。手には「未経験から3ヶ月でフルリモート!」と書かれたプログラミングスクールのパンフレットを持っている。

アレックスはニヤリと笑い、彼女たちに近づく。

アレックス 「ごきげんよう、レディたち」

彼は二人の間に割って入り、展示機の画面を覗き込むフリをする。

アレックス 「いいマシンだね。M3チップ、メモリ16GB……。でも、君たちのその美しい指先には、少々オーバースペックじゃないかな?」

ソニエッタがムッとして振り返る。 「何よ、あなた。エンジニア気取り? 私たち、これからアプリ開発するんだから。スペックは命よ」

マーティ 「そうよ。スタバでリンゴのマークを光らせなきゃ、アイデアも降りてこないわ」

アレックス 「アイデア? ……ほう」

アレックスは彼女たちの手にあるパンフレットを見て、内心で舌なめずりをする。最高級のカモだ。形から入る奴ほど、中身(実務)の地獄を知らない。

アレックス 「そのパンフレット、スクールのやつだね? ……ふん、おままごとだ。Excel方眼紙とTeamsの通知音を聞くだけなら、そのM3チップは退屈であくびをするだけさ。君たちのような才能あるデボチカ(娘)が、そんなところで時間を無駄にするのは罪だよ」

ソニエッタ 「じゃあ、どうすればいいのよ、ゴーゴリおじさん?」

アレックス 「本物を見たくないか? 俺の自宅(ホーム)には、こんな展示機じゃない、本物の『開発環境(デベロップメント・エンバイロメント)』がある。トリプルディスプレイ、業務用のサーバーラック、そして……最高の『案件』もね」

マーティ 「えー、あやしいー。でも、もっとすごいMacがあるの?」

アレックス 「ああ、もちろんさ。俺は若き才能を支援したいエンジェル・インベスターみたいなもんだ。家に来て、俺のハイ・スペックな環境で、本当の現場(リアル)を体験してみないか? 天使のラッパと悪魔のトロンボーンが聞こえるような、極上の体験だよ」

二人の少女は顔を見合わせ、興味津々な様子で頷く。

(カット・トゥ)

屋内・アレックスの寝室・昼

【早回しシーン】

BGM:『ウィリアム・テル序曲』(ロッシーニ)のフィナーレ部分を高速で。

アレックスの部屋。壁一面にスピーカーではなく、サーバーのLEDが明滅している。 ソニエッタとマーティは、アレックスのベッドの上ではなく、狭いデスクに並んで座らされている。

しかし、彼女たちの目の前にあるのは、期待していた最新のMacBookではない。 分厚く、重く、液晶のベゼルがやたらと太い、支給品の銀色の富士通ノートPC(メモリ8GB)だ。

  1. アレックスが二人に分厚い「詳細設計書(Excel)」を叩きつける。

  2. 二人がパジャマ(あるいはジャージ)に着替えさせられ、必死の形相で「エビデンス(スクリーンショット)」をExcelに貼り付ける作業をさせられている。Macのトラックパッド操作などない。あるのは硬いマウスのクリック音だけだ。

  3. アレックスがストップウォッチ片手に怒鳴る(動きはコミカルな早回し)。

  4. 二人が大量のテストデータ入力をさせられる。指が残像のように動くが、PCの動作が重すぎてフリーズし、二人が頭を抱える。

  5. アレックスが優雅にプロテインを飲みながら、二人の背後で鞭の代わりにLANケーブルを振り回す。

  6. 二人が疲れて倒れ込むと、アレックスがエナジードリンクを無理やり飲ませて叩き起こす。「再起動しろ!」と叫んでいるようだ。

  7. 画面にはエラーログと、終わらない進捗管理表が次々と映し出される。

(音楽終了と同時に標準速度へ)

アレックス(語り) 「彼女たちは最高だった。実務経験はないが、体力と従順さは一級品だ。俺のテスト打鍵案件は予定より3日も早く片付いた。彼女たちは『MacBookでスタバ』の夢を見ていたが、現実の現場は『富士通のノートPCで倉庫』だ。これぞ『教育』であり『インターンシップ』だ。もちろん、無給だがね」

アレックスは満足げに、疲れ果てて床で眠る二人(その手はまだマウスを握る形に固まっている)をまたいで部屋を出て行く。

第3幕:直取引への渇望と、帳簿への暴力

(カット・トゥ)

屋内・アレックスのオフィス・深夜

オフィスは暗く、ただ一つのデスクライトだけがアレックスの手元を照らしている。 アレックスは椅子に深々と座り、天井を見上げている。その目には血走った狂気が宿っている。

ドルーグたち(ジョージィ、ピート、ディム)は、部屋の隅で不安そうに立っている。

アレックス(語り) 「二次請け、三次請けの泥遊びはもう十分だ。俺の喉は乾いていた。もっと高い場所にある、選ばれた者だけが飲める蜜の味が欲しかった。つまり『直取引』だ」

アレックスは突然、立ち上がり、目の前のホワイトボードをステッキで激しく打ち据えた。 バンッ! ボードに書かれた「案件リスト」の文字が歪む。

アレックス 「NTTデータ級! 俺が欲しいのはそれだ!」

ディムがビクッとして身を縮める。 「で、でもよ、アレックス。あのクラスは与信管理が厳しいぜ。商社系なんて特に。ダイワボウとか、ソフトバンクとか……」

アレックス 「黙れ!」

アレックスは机の上の書類の山をなぎ倒した。 バサバサと紙が舞う。それはTDB(帝国データバンク)のレポートや、決算書のコピーだ。

アレックス 「奴らは見てくる。俺たちの中身じゃない。数字という『顔つき』だけを見てくるんだ!」

アレックスは床に落ちたレポートを拾い上げ、拳で殴りつけた。 クシャクシャになった紙には「評点」の文字。

アレックス 「評点50点だと? ふざけるな! 俺たちみたいな数年運営の会社に、そんな点数がつくわけがねえ! 採用に数千万突っ込んで、赤字覚悟で燃やしてるんだぞ!」

ジョージィが冷ややかに言う。 「だからだよ、アレックス。今の俺たちの数字じゃ、門前払いだ。自己資本比率40%、営業利益率10%。この数字が揃わない限り、どんなに吠えても門は開かない」

アレックスはジョージィを睨みつけた。 そして、ゆっくりと笑みを浮かべる。その笑みは、人を殴る前のそれと同じだった。

アレックス 「開かないなら、こじ開けるまでだ」

アレックスはデスクに戻り、引き出しから一本のペンを取り出した。 彼はそれを、まるでジャックナイフのように逆手に握った。

机の上には、今期の決算書のドラフトがある。

アレックス 「現場担当に『ここを是非使いたい』と思わせる。そのためには、SIerの現場担当者に尻尾を振らなきゃならない。そして、その尻尾の材質は……」

アレックスは軽快にステップを踏み始めた。 革靴がオフィスの床を叩く。カツ、カツ、カツ。

アレックス(歌う) 「I'm singing in the rain...」

彼はペンを振り上げ、リズムに合わせて書類に突き立てた。

アレックス(歌う) 「Just singing in the rain...」

ザッ!(赤字を消す音) ザッ!(借入金を消す音)

アレックス(歌う) 「What a glorious feeling...」

彼は踊るように数字を書き換えていく。 インクが紙に染み込む音が、肉を裂く打撃音のように響く。

アレックス(歌う) 「I'm happy again...」

アレックス 「美しく整った決算書だ!」

彼は満面の笑みで、最後の仕上げに「利益」の欄にゼロを書き足した。 狂気的なタップダンス。書類への暴力。

アレックス(語り) 「俺は数字を切り刻んだ。現実をねじ曲げ、理想の形に整形した。これは会計じゃない。外科手術だ。あるいは、最も洗練された暴力だ」

アレックスは完成した(改ざんされた)決算書を掲げ、恍惚の表情で天井を仰いだ。

アレックス(歌う) 「I'm singing... and dancing in the rain...!!」

その時だった。

(静寂)

オフィスのドアが静かに開いた。 入ってきたのは、白い防護服のようなスーツを着た男たち――税務署の調査官たちだ。彼らの手には、冷たい金属のケース(証拠保全用)が握られている。

アレックスは動きを止めた。ペンの先からインクが滴っている。 「……誰だ?」

白いスーツの男が、無表情に手帳を提示する。 「国税局査察部です」

アレックスは振り返り、ドルーグたちを見た。 「おい、ジョージィ、ディム。追い払え」

しかし、ドルーグたちは動かなかった。 彼らはアレックスからスッと距離を取り、白いスーツの男たちの側へと移動していた。 彼らの胸には、いつの間にか「コンプライアンス遵守」と書かれたバッジが光っている。

ジョージィ (冷徹な声で、調査官に向かって) 「彼です。全部、アレックスの独断でした。僕たちは止めたんですが、彼は聞く耳を持たなかった」

ディム 「そ、そうです! 俺たちは脅されてたんです!」

ピート 「証拠のデータは、すべてここにあります」 ピートは隠し持っていたUSBメモリを調査官に差し出した。

アレックス 「お前ら……!」

アレックスはペンを構えて飛びかかろうとした。 だが、調査官たちが手際よく彼を取り押さえる。 床に押し付けられる顔。冷たいリノリュームの感触。

アレックス(語り) 「裏切り。それは最も残酷なウルトラ・アウトソーシングだった。俺は殴られることもなく、ただ書類のように処理された」

調査官の一人が、アレックスの耳元で事務的に告げる。 「アレックス・デラージ。法人税法違反、および私電磁的記録不正作出の容疑で逮捕する」

手錠がかけられる音。 カチャリ。 それは歌の終わりのような、乾いた音だった。

(フェードアウト)

第4幕:国家の矯正施設(監獄)

(カット・トゥ)

屋内・刑務所・受付

白い壁。白い床。規則正しい機械的な音。 アレックスは全裸で白い線の上に立たされている。

看守長 「名前!」

アレックス 「アレックス・デラージ、サー」

看守長 「罪状!」

アレックス 「法人税法違反、および私電磁的記録不正作出、サー」

看守長 「お前はこれより番号655321だ。所持品はすべて没収する」

看守がトレイにアレックスの持ち物を放り込んでいく。 「月商1000万の速報値」が書かれたメモ。「社員10名台の名簿」。そして「銀行通帳」。

看守長 「これらは国家の管理下に置かれる。お前にはもう、月商も社員も存在しない。あるのは番号だけだ」

(カット・トゥ)

屋内・刑務所・食堂

囚人たちが長いテーブルに座り、味気ないシチューをすすっている。 彼らは皆、かつては経営者やフリーランスだった男たちだ。ここでは「ビジネスの話」だけが娯楽だ。

囚人A(元IT社長)が、スプーンを回しながらぼやく。 「シャバにいた頃はよぉ、税理士に年75万、社労士に65万も払ってたんだぜ」

囚人B(元個人事業主)が頷く。 「俺なんか弁護士に年36万だ。でもよ、初期の契約書整備以外、やらせる仕事なんて何もなかったな。ありゃ無駄金だった」

アレックスは黙って聞いている。彼の顔つきは従順そのものだ。

囚人A 「勤怠管理も修正依頼も、全部社労士に丸投げしてたのによぉ。結局、ここ行きだ」

囚人C 「入社後の契約とか退職手続きとかな。面倒なことは全部金で解決してきたつもりだったんだがな……」

アレックス(語り) 「ここは地獄ではない。ただの待機所(アイドルタイム)だ。俺はここで『模範囚』という新しいロールプレイを完璧にこなしていた。聖書(コンプライアンス・マニュアル)を読み、神父(キャリア・カウンセラー)に媚びを売る。すべては、再び『稼働』するためだ」

(カット・トゥ)

屋内・刑務所・廊下

「気をつけ! 大臣閣下の視察だ!」

号令とともに、囚人たちが壁際に整列する。 所長に案内されて現れたのは、仕立ての良いスーツを着た政府の高官(大臣)だ。

大臣は囚人たちをまるで家畜か在庫を見るような目で見回す。

所長 「こいつらは更生不可能なクズどもです、閣下。厳罰こそが必要です」

大臣 「いやいや、所長。君の考えは古い。政府の方針は変わったのだよ。刑罰はコストがかかりすぎる。我々に必要なのは『効率的な再利用』だ」

大臣はアレックスの前で足を止める。 アレックスは胸を張り、完璧な直立不動で、かつての「現場担当に気に入られるための笑顔」を浮かべる。

大臣 「君は?」

アレックス 「655321号です、サー! 以前はSES事業を営んでおりました! 数字には自信があります!」

所長 「こいつは狡猾な粉飾決算犯です。反省の色など――」

大臣 「素晴らしい。若くて、攻撃的で、数字に強い。そして何より、システム(制度)の裏をかこうとするバイタリティがある」

大臣は所長に向き直る。 「彼だ。彼を『人材流動化健全化モデル事業』の被験者第一号にする」

所長 「しかし、閣下……」

大臣 「決定だ。彼の『悪』を外科的に除去し、純粋な『労働力』として精製する。これは革命だよ」

(カット・トゥ)

屋内・所長室

アレックスは所長のデスクの前に立たされている。 隣には大臣が座り、満足げに書類にサインをしている。

所長 「655321号。お前は運がいい。本来ならここで14年は腐るところだが、特別な治療(ルドヴィコ療法)を受けることになった。成功すれば、2週間で釈放だ」

アレックス 「釈放……ですか?」

大臣 「そうだ。ただし、条件がある。君は二度と不正ができなくなる。君の脳と身体を、コンプライアンス遵守のために『再配線』するのだ」

アレックスは目を輝かせた。 「不正ができなくなる? それは素晴らしい(ホラショー)ですね、サー! 私は心の底から善人になりたいのです! そしてまた、ビジネスの世界に戻れるのですか?」

大臣 「ああ、戻れるとも。君のような人材を遊ばせておくのは国家の損失だ。ただし、これからは『健全』にな」

アレックスは書類にサインをする。 その顔には、かつてNTTデータ級の案件を狙っていた時と同じ、野心的な光が宿っていた。 彼はまだ理解していなかった。これから受ける「治療」が、彼の魂(ビジネスマンとしての本能)をどのように破壊するのかを。

アレックス(語り) 「こうして俺は選ばれた。国家プロジェクトのモルモットに。だが俺は知っていた。チャンスは掴むものじゃない。契約するものだってな」

(フェードアウト)

第5幕:ルドヴィコ療法(コンプラ・ショック)

(カット・トゥ)

屋内・ルドヴィコ・センター・映写室

映画館のような階段状の座席。空調の低い唸り音だけが響く、無菌室のような冷たい空間。 アレックスは最前列の中央に設置された、歯科治療台を改造したような特殊な椅子に拘束されている。

革製のベルトが手首、足首、胸部を締め付ける。頭部は金属製のヘッドレストにボルトで固定され、1ミリたりとも動かせない。 そして、彼の一番の商売道具である「目(グラーズ)」は、銀色の開瞼器かいけんきによって上下にこじ開けられている。

背後の高い位置にある観察席には、白衣を着た医師団(ブロツキー、助手)と、視察に来た大臣が座り、手元の資料とアレックスを見比べている。

アレックス(語り) 「そこは映画館のような場所だったが、俺はポップコーンを食べることも、隣の可愛いデボチカの膝を撫でることもできなかった。俺は拘束衣でガチガチに縛られ、頭はワイヤーで固定され、まぶたはクリップで無理やりこじ開けられていた。瞬きひとつできない。乾燥してヒリつく眼球に、助手が定期的に目薬を垂らしに来る。俺はまだ余裕だった。むしろワクワクしていたと言ってもいい。早くこの『治療』とやらを終えて、シャバで稼ぎたかったからな。2週間で出られるなら、どんなクソ映画だって我慢してやるさ」

助手が無表情に近づき、アレックスの目に液体を滴下する。 アレックスは愛想よく笑おうとするが、顔の筋肉が強張ってうまくいかない。

医師(ブロツキー) 「始めよう。血清の反応時間だ」

照明が落ち、巨大なスクリーンが白く発光する。 アレックスの静脈に点滴された薬物(ルドヴィコ血清)が、血液を巡り始める。

アレックス 「さあ、何を見せてくれるんです? ハリウッドの超大作か? それとも教育用の退屈なドキュメンタリーか?」

スクリーンに映し出されたのは、ありふれたオフィスの風景だった。 電話をする営業マン。面談に向かうエンジニア。請求書を作る事務員。

アレックス 「……なんだこれ? ただのSES会社の日常じゃないか」

映像が切り替わる。 商談の席。営業マンが笑顔で話している。 『このエンジニアは経験豊富です』 『御社の即戦力になります』

アレックス 「へっ、よくある『盛り』トークだ。俺もよくやったよ」

しかし、異変は静かに訪れた。 スクリーンの端に、サブリミナル的に文字が浮かび上がる。

『商流制限(Tier Restriction)』 『偽装請負(Disguised Contract)』

アレックス 「ん……?」

アレックスは胸のあたりに奇妙な圧迫感を覚えた。まるで冷たい鉛を飲み込んだような重さ。呼吸が少し浅くなる。

医師(助手) (マイクで)「被験者、心拍数上昇。発汗を確認」

画面の中の営業マンの笑顔が、急にグロテスクに歪んで見え始めた。 営業マンが口を開くたびに、字幕が出る。

『単価(Unit Price)』:80万 『給与(Salary)』:30万 『マージン(Margin)』:50万

アレックス 「うぐっ……!?」

その数字を見た瞬間、アレックスの胃袋が激しく収縮した。 ただの数字ではない。それは今まで彼が「飯の種」にしてきた数字だ。だが今は、その数字が物理的な質量を持って、内臓を押し潰しに来ている。

アレックス 「な、なんだ……気分が……悪い……」

映像は加速する。 面談室のシーン。エンジニアが経歴書を差し出す。 その経歴書がアップになる。

『経歴詐称(Falsification)』 『実務経験の水増し(Padding)』

アレックス 「やめろ……その言葉を……見せるな……!」

アレックスは身をよじろうとするが、拘束具が食い込むだけだ。 薬の効果が完全に回り始めた。身体の自由が奪われ、窒息するような恐怖感(パニック)が襲ってくる。

医師(ブロツキー) 「被験者は今、死に直面したような恐怖と麻痺を感じている。この状態で『SES的な概念』を視覚入力することで、脳はそれらを『死の恐怖』と関連付ける」

スクリーンは今や、SESの地獄絵図だ。 多重下請けのピラミッド構造図。 待機社員が詰め込まれた部屋。 深夜のチャット通知音。 詰められる営業会議。

『稼働率(Utilization Rate)』 『待機(Bench)』 『損益分岐点(Break-even Point)』

アレックス 「オエッ……! ゲホッ……! 吐く……吐きそうだ……!」

医師(助手) 「吐瀉物受けを用意」

そして、トドメの一撃が放たれる。 スピーカーから、荘厳な音楽が流れ始めた。 低弦が唸り、ティンパニが轟く。ベートーヴェン『交響曲第9番』第4楽章。

かつてアレックスが、採用費を数千万燃やして稼働を生む時、あるいは決算書を改ざんして直取引を夢見る時に、脳内で鳴らしていた「歓喜の歌」だ。

アレックス 「ルードヴィヒ・ヴァン! ……いや、待て! 待ってくれ! なぜこの曲をかける!?」

音楽のクレッシェンドに合わせて、スクリーンにはアレックス自身が最も愛した「悪徳の極み」が映し出される。

『自己資本比率 40%』への改ざん作業。 『TDB評点 50点』への執着。 『NTTデータ級 直取引』という野望。

美しい旋律が流れるたびに、それらの言葉がナイフとなってアレックスの脳髄を突き刺す。

アレックス 「うわあああ! やめろ! 音楽まで! 音楽まで汚す気か! その曲は俺のシンフォニーだ! 汚い数字と一緒に流すな!」

医師(ブロツキー) 「止めるな。ボリュームを上げろ。条件付けを強化する」

アレックス 「オエェェェッ!!」

アレックスは激しく嘔吐した。 かつて彼を興奮させ、尻尾を振るための道具だった「美しい決算書」や「高い評点」のイメージが、今は内臓を雑巾のように絞り上げる拷問器具と化している。

音楽は最高潮に達する。 『歓喜の歌(Ode to Joy)』が高らかに歌い上げられる中、スクリーンには巨大な赤字で『コンプライアンス遵守(Compliance)』の文字が点滅する。

アレックス 「それは罪だ! ルードヴィヒ・ヴァンを使った罪だ! 彼はただ音楽を書いただけだ! 彼はSESなんてやってない! 彼は偽装請負なんて知らないんだ!」

アレックスの叫びは、合唱の轟音にかき消される。 彼は白目を剥き、口から泡を吹いて痙攣した。

医師(助手) 「関連付け(アソシエーション)完了。被験者は今後、これらのビジネス用語を見聞きするだけで、あるいは不正をしようとするだけで、死ぬほどの苦しみを味わうことになります」

大臣 「素晴らしい。これで彼は、二度と『尻尾』を振ることはできまい」

アレックスの意識は、歓喜の歌と吐瀉物の味の中で、暗闇へと沈んでいった。

(フェードアウト)

第6幕:社会復帰、そして報復

(カット・トゥ)

屋外・オフィス街(元アレックスの会社前)

アレックスは茶封筒(刑務所からの返却品)を抱えて歩いている。 彼は自分の城だったオフィスビルの前に立つ。

アレックス(語り) 「俺は戻ってきた。かつて俺が王として君臨した場所、俺の『ホーム』へ。俺には金もなければ、帰る場所もない。だが、ここには俺のデスクがあり、俺の作った売上があるはずだ」

屋内・社長室

銀行の担当者(P氏)と、出資者(M氏)、そして見知らぬ男(J)がソファに座って新聞を読んでいる。 新聞の見出しは『更生した元SES社長、社会へ』。

アレックスが静かに入ってくる。

アレックス 「ハイ、ハイ、ハイ。ただいま、P氏、M氏」

三人が驚いて顔を上げる。

アレックス 「どうしたんだい? そんなに驚いた顔をして」

銀行担当者(P氏) 「アレックス……君か」

出資者(M氏) 「なぜ連絡もしないで来たんだ?」

アレックス 「サプライズにしたかったんだよ。俺はすっかり治ったんだ。頭の中(ガリバー)を完全にリフォームしてな」

アレックス (社長席に座る男Jを見て) 「で、そこのおっさんは誰だい? 俺の椅子で、俺の経費で買ったコーヒーを飲んでるその男は」

銀行担当者(P氏) 「ああ、彼はJ氏だ。……プロ経営者だよ。君が逮捕された後、経営再建のために送り込まれたんだ」

アレックスはJに近づく。

アレックス 「はじめまして、Jさん。座り心地はどうだい? クレームはないかな?」

プロ経営者(J) 「君のことは聞いているよ。君がこの会社と、ステークホルダーにした仕打ちもな。君は戻ってきたつもりかもしれないが、君の席はないよ。私が彼らにとって、君よりよほど『息子』のような存在だからね」

アレックスは拳を握りしめ、Jを殴ろうとした――その瞬間。

「ウッ……!」

強烈な吐き気が彼を襲った。「殴る」という意思がトリガーとなり、アレックスはソファに倒れ込んだ。

プロ経営者(J) 「ああ、汚らしい。君はコンプライアンスリスクそのものだ。出て行ってくれ」

銀行担当者(P氏) 「すまないな、アレックス。我々もJ氏と契約してしまっているんだ。君を役員に戻すことはできない」

アレックスはよろめきながら立ち上がる。

アレックス 「……わかったよ。そういうことか。俺が苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いた結果がこれかよ! 俺が作った会社だぞ!」

彼は茶封筒を抱え直し、部屋を出て行く。

アレックス 「ありがとうよ。一生、良心の呵責に苦しめばいいさ!」

(カット・トゥ)

屋外・高架下(エンジニアの溜まり場)

アレックスは力なく歩いている。行き場を失い、かつて自分が「狩り場」にしていた街の裏側、高架下の暗がりへと迷い込んでいた。

そこには、ダンボールハウスが並んでいる。 薄汚れた身なりの男たち――職を失い、家を失った「ホームレスエンジニア」たちが、焚き火(廃棄されたサーバのマニュアルを燃やしている)を囲んでいる。

一人の老いたエンジニアが、調子の外れた声で歌っている。

老エンジニア(歌) 「♪バグは死んだ、仕様も死んだ、アライヴ・オー、アライヴ・オー……」

アレックスが通りかかると、老エンジニアがよろよろと近づいてきた。 彼の手はキーボードの叩きすぎで節くれ立っている。

老エンジニア 「兄ちゃん……小銭(カッター)を持ってないか? サーバー代とは言わねえ、コーヒー一杯分の恵みを……」

アレックスは顔を背けながら、ポケットの小銭を渡した。

老エンジニア 「ああ、ありがとうよ、旦那……ん?」

老エンジニアはアレックスの顔を街灯の明かりで覗き込む。 その目が大きく見開かれる。

老エンジニア 「バグだ! バグが出やがった! 聖母マリア様、こいつは!」

アレックスは後ずさる。 「よせ……人違いだ、兄弟……」

老エンジニア 「俺が顔を忘れるわけねえ! 俺の経歴書を改ざんして、炎上案件に放り込みやがった悪魔だ! 俺が鬱になって休職したら、即座に解雇通知を送ってきやがった!」

老エンジニアは叫んだ。 「おーい! みんな出てこい! あの『ピンハネ野郎』だ! 俺たちから家を奪った元凶が来たぞ!」

ダンボールハウスから、次々と男たちが這い出してくる。 COBOL使いの老人、使い捨てられたテスター、派遣切りの元インフラ屋。 彼らの目は憎悪で濁っている。

群衆 「アレックスだ! あの若造だ!」 「俺の退職金を返せ!」 「商流飛ばしの恨み!」 「待機期間の給料未払い!」

彼らはアレックスを取り囲む。手には武器の代わりに、分厚い技術書や、古いキーボード、断線したLANケーブルが握られている。

老エンジニア 「俺たちの血と汗と涙を吸って肥え太りやがって! 今日こそ年貢の納め時だ!」

アレックス 「やめろ! 暴力はいけない! 話せばわかる!」

アレックスは反撃しようと拳を振り上げるが――

「オエェッ……!」

暴力の意思を持った瞬間、強烈な吐き気が彼を襲う。彼は膝をつく。 無防備になったアレックスに、エンジニアたちの怒りが降り注ぐ。

バシッ!(Java全書で殴られる音) ガシャーン!(メカニカルキーボードで叩かれる音)

アレックス(語り) 「それは汚い、年老いた敗残者たちの海だった。俺は一指し指一本動かせなかった。反撃しようとすれば、あの吐き気が襲ってくるからだ。俺はただ、デバッグされるバグのように、サンドバッグになるしかなかった」

群衆 「殺せ! 殺せ!」 「俺の人生を返せ!」

そこへ、パトカーのサイレン――ではなく、高級車のクラクションが鳴り響く。 二人の男が降りてきて、警棒(に見える指示棒)で群衆を押しのける。

男A 「はいはい、解散、解散! 労働基準監督署じゃないよー!」

男B 「路上占有で通報しますよ。君たち、再就職支援を受けたいなら大人しくしなさい」

群衆が散っていく。 「チッ、コンプラ警察だ……」「逃げろ……」

アレックスはボロボロになって顔を上げる。

アレックス 「た、助かった……」

ディム 「おやおや、誰かと思えばリトル・アレックスじゃないか」

ジョージィ 「久しぶりだね、相棒(ドルーグ)。酷い目に遭ったな」

そこには、仕立ての良いスーツを着込み、胸に「監査役」のバッジをつけたジョージィとディムが立っていた。

アレックス 「ジョージィ! ディム! ありえない……お前ら、警察(ポリス)になったのか?」

ジョージィ 「時代は変わったんだよ、アレックス。俺たちは今、業界団体の『適正化委員(コンプライアンス・オフィサー)』だ」

ディム 「『取り締まる側』ってのは最高だぜ」

二人はアレックスの両脇を抱え、路地裏(サーバールームの排気口付近)へと連れ込む。

ディム 「お前は『完治』したって聞いたぜ? 監査官が言ってた」

アレックス 「ああ、治ったよ。俺はもう悪いことはできない。見ての通りだ」

ジョージィ 「本当に治ったか、テストしてやるよ」

ジョージィはタブレット端末を取り出し、アレックスの顔の前に突きつけた。

ジョージィ 「これを見ろ」

画面には、アレックス個人の信用情報(TDBスコア、ブラックリスト情報)が表示されている。

ジョージィ 「TDB評点、測定不能(ブラック)。銀行取引停止。破産歴あり。お前はもう、法人登記すらできないゴミだ」

アレックス 「やめろ……その画面を……見せるな……!」

『取引停止』 『倒産』 『損害賠償』

それらの文字が目に入るたび、アレックスは激しく嘔吐する。

ディム 「どうした? 懐かしい数字だろ? お前が大好きだった『数字』だ」

ディムはアレックスの頭を掴み、排気ファンの轟音の中に押し付けるようにして、耳元で囁く。

ディム 「お前はもう終わったんだ。誰も雇わない。誰も契約しない。お前はただの不良債権だ」

アレックス 「オエェェッ!! 助けてくれ……!」

彼らは殴るわけでも蹴るわけでもない。ただ「事実」と「データ」を突きつけるだけで、アレックスを死ぬほどの苦しみに追い込んでいく。

ジョージィ 「また会おうぜ、アレックス。元気でな」

二人は笑いながら去っていく。 アレックスは汚れた路地裏に、吐瀉物にまみれて倒れていた。

アレックス(語り) 「俺は家に帰りたかった。だが俺には家も、会社も、信用も、何ひとつ残っていなかった。俺に残された道は、ひとつしかなかった」

(フェードアウト)

第7幕:国家との接続、あるいは覚醒

(カット・トゥ)

屋内・病院・個室

清潔で広々とした病室。窓からは明るい日差しが差し込んでいる。 アレックスはベッドに横たわっている。全身に包帯が巻かれ、点滴がつながれている。

アレックス(語り) 「俺はジャンプした。だが、くたばることはできなかった。俺は長い長い暗闇の後、この白い世界に舞い戻った。看護師たちが俺に『卵(エッグ)』や『トースト』を食わせ、俺は少しずつ回復していった。そしてある日、特別な客が来ると知らされた」

ドアが開き、フラッシュの光が部屋を満たす。 入ってきたのは、あの政府の高官――いや、選挙に勝って今は「大臣」の地位を固めた男だ。 後ろには、病院長やカメラマンたちがぞろぞろと続いている。

大臣 「やあ、アレックス君。気分はどうだね?」

アレックスは身体を起こし、愛想よく笑う。

アレックス 「ハイ、ハイ、ハイ。最高です、大臣閣下(フレッド)。最高の気分です」

大臣 「それはよかった。君には本当にすまないことをしたと思っているよ。我々は君を助けようとしたのだが……現場の運用に誤りがあったようだ。反対派の陰謀だよ」

大臣はアレックスのベッドサイドに座り、親しげに手を握る。カメラのシャッター音が鳴り響く。

大臣 「君は被害者だ。過激なコンプライアンス至上主義者たちが、君のような有望な若者を精神的に追い詰めたのだ。だが安心してくれたまえ。世論は今、君に同情的だ。『行き過ぎたキャンセルカルチャーの犠牲者』としてね」

アレックス 「ありがとうございます、フレッド。本当に感謝しています」

大臣は声を潜め、アレックスの耳元で囁く。

大臣 「君には補償が必要だ。金だけじゃない。地位と名誉だ。我々は君に、新しいプロジェクトを任せたいと思っている」

アレックス 「プロジェクト……ですか?」

大臣 「ああ。国家主導の『デジタル庁肝入り・超大型DXプラットフォーム』だ。君にはその中核となる人材供給スキームを統括してもらいたい」

大臣はニヤリと笑う。

大臣 「もちろん、商流は特例だ。間に誰も挟まない。完全な『直取引』だ」

アレックス 「……!」

『直取引』。

その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、アレックスは身構えた。 いつもの吐き気が来るはずだ。胃が裏返るような苦痛が、脂汗が、痙攣が……。

……来ない。

不思議と吐き気はしなかった。 なぜなら、それは大臣の口から出た言葉だからだ。 国家という巨大なフィルターを通した時、その言葉は「毒(コンプラ違反)」ではなく「正義(政策)」として俺の脳に届いた。 権力が、俺の身体の「門番」を無効化したのだ。

アレックス 「直取引……。ああ、なんていい響きなんだ」

大臣 「気に入ってくれたかね?」

アレックス 「ええ、フレッド。最高です。それで、そのプロジェクトの規模は?」

大臣 「予算は青天井だ。エンジニアは1万人規模で必要になるだろう。君の得意な『数』の勝負だ」

大臣は合図を送る。 側近たちが、巨大なスピーカーとオーディオセットを運び込んでくる。

大臣 「これは私からのささやかなプレゼントだ。君の全快と、我々の友情の証としてね」

大臣がスイッチを入れる。 重厚な低音が響き渡る。

アレックス(語り) 「そして、何ということだろう、兄弟たち。それは第九だった。ルートヴィヒ・ヴァンの栄光の第九だ。吐き気はなかった。痛みもなかった。あるのは、無限の可能性と、底なしの欲望だけだった」

音楽がクライマックスに向かうにつれ、アレックスの脳裏に鮮烈なビジョンが浮かぶ。

(幻影) 巨大なビルの谷間。 何千、何万というエンジニアたちが、軍隊のように整然と行進している。 彼らは皆、同じ顔、同じスーツ、同じスペック表を首から下げている。 その先頭に立つのは、アレックスだ。 彼は白いスーツを着て、指揮棒の代わりに巨大な契約書を振るっている。 彼が契約書を振り下ろすたびに、ビルが震え、金の雨が降り注ぐ。 TDBの評点も、自己資本比率も、もはや関係ない。 彼は国家そのものになったのだ。

(現実) カメラのフラッシュが焚かれる中、アレックスは口を大きく開け、スプーンで運ばれてきた餌(エッグ)を頬張りながら、カメラに向かってとびきり邪悪で、とびきり晴れやかな笑顔を向けた。

アレックス(語り) 「俺は治った。ああとにかく……俺は完全に治ったんだ(I was cured all right)!」

(エンドロール) 背景には、アレックスが幻視した「SES帝国」の行進が、延々と続いていく。

【終】

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