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【独白】職場に8人の「穴兄弟」がいます。「嫌だ」と言えずに身体を差し出す、HSPの私の生存戦略──イケメンが好きな醜いフェミニスト──選ぶあなたと、選ばれにいく私

あなたの文章を読み終わったあと、しばらく画面を閉じられなかった。

正しさとかじゃなくて、もっと生々しい欲望の話をしていたから。しかもそれを、きれいにラッピングして提出してない。むしろ「整えたくない」って姿勢が前面に出てて、そこがいちばん刺さった。

イケメンが好きで、そうじゃない男には冷淡。そう書くことは、ただの好みの話じゃない。「私は選ぶ側だ」っていう宣言そのものに見えた。

そこに、どうしようもない羨ましさを感じた。

私の人生は、選ぶより先に、選ばれにいく癖で出来てるから。

あなたが自分を「醜い」と呼ぶとき、そこには開き直りだけじゃなくて、冷静な観察の目がある。自分の残酷さを、社会とか外側の敵のせいにしないで、内側に置いたまま言語化してる。

私はその鋭さに救われる一方で、少し怖くもなった。言葉が鋭いほど、同じ刃は自分にも向かうから。

私にも醜さがある。ただ種類が違う。

私は、見た目で相手を切り捨てる醜さよりも、承認のために自分を切り売りする醜さを抱えている。誰かが私を欲しがる気配だけが、私の輪郭を太くしてしまう、そういう弱さ。

「一部主張を撤回するが、この記事はそのまま残す」って書いたのも、妙に納得した。撤回したいのに残す。その中途半端さは、たぶん計算じゃなくて、矛盾のまま置いておくっていう選択なんだと思う。私も、そういう置き方をしたい夜がある。

ここから先は、あなたへの反応っていうより、あなたの文章に引っぱり出された私の独白。

「ノイズ」が少ない場所で育った、私の基準値

HSPって言葉が流行る前から、私は世界が少し「うるさい」と感じてた。

たぶん、育った環境のせいもあると思う。私の実家は、妙に静かで、視覚的なノイズが少ない家だった。

父も母も弟も、みんな似たような顔立ちをしてて、表情のパーツが正しい位置に収まってる感じ。食卓を囲んでても、視界に引っかかる「歪み」みたいなものがない。それが私にとっての「普通の景色」だった。

だから初めて小学校に行ったとき、教室がすごく怖かったのを覚えてる。

みんなの顔が、なんか「散らかって」見えたんだと思う。目とか鼻の配置が、私の知ってる基準と少しずつズレてて、そのズレが全部、情報として脳に入ってくる。

「あ、この子はここが違う」「あの先生はあそこが非対称だ」って、無意識の「間違い探し」が止まらなくて、知恵熱を出したこともある。

大人になった今でも、人混みに行くと酔うのはそのせいかもしれない。整ってない情報量が多すぎて、処理しきれなくなる。

だから私が「イケメンが好き」なのは、ときめきとか以前に、単純に「脳が楽だから」なんだと思う。

パーツがあるべき場所に収まってる顔を見ると、ホッとする。ノイズキャンセリングされたみたいに、静かな気持ちになれる。

あなたの言う「ドーパミン」とは少し違う。私にとっては、それが「安全地帯(セーフティーエリア)」に近い感覚。

目が合うのは、私が彼らを見ているから?

不思議なんだけど、私が「あ、この人なら落ち着く(=顔が整ってる)」って思った相手とは、必ずと言っていいほど目が合う。

自意識過剰かもしれないけど、街中でも電車でも、私のセンサーが反応するような「きれいな造形の人」に限って、向こうも私を見てる。

HSPの本で読んだけど、敏感な人は他人の視線に気づきやすいらしい。

私が無意識に目で追ってるから、向こうも気づいて見返すだけなのかな。それとも、似たような「周波数の人間」ってお互いにわかるものなの?

目が合うと、逃げられない。普通の人は、目が合うとパッと逸らすことが多いけど、彼らは違う。じっと、値踏みするように、あるいは確認するように、視線を絡めてくる。

その強さに、私はいつも負ける。逸らせなくなる。まるで捕食者に見つかった小動物みたいに、身体が竦んで、でも嫌じゃなくて、お腹の奥が熱くなる。

「見つかった」 そう思った瞬間にはもう、私の心拍数は跳ね上がってる。

話しかけられるのを待つ、という生存戦略

私は自分から男の人に声をかけたりしない。だって、待っていれば誰かが来るから。

……こう書くとすごく傲慢に見えるかもしれないけど、私の経験則として、世界はずっとそうだった。

教室の隅で本を読んでても、バイト先で黙々と作業してても、さっき目が合った「整った人」が、いつの間にか私のテリトリーに入り込んでくる。

「何読んでるの?」とか「それ、大変だよね」とか。きっかけは何でもいい。向こうが距離を詰めてくるのを、私はただ静かに待つ。話しかけられたら、小さく微笑んで頷く。そうすれば、あとは自動的に物語が進んでいく。

これを受け身だと笑う人もいると思う。でも、私にとっての恋愛は「狩り」じゃなくて「交通事故」に近い。

向こうからぶつかってくるのを、避けずに受け止めるだけ。自分から動いて傷つくのが怖いっていうのもあるけど、それ以上に、「自分から動く必要性を感じたことがない」っていうのが本音かもしれない。

だって、必要なときは、向こうが勝手にドアを開けて入ってくるんだから。

HSPという言葉が、私の中で薄く関係している感じ

自分をHSPだと言い切るほど確信があるわけじゃない。ただ、刺激に反応しやすいという自覚はある。

音が大きい場所に長くいると、身体の芯がざらつく。人の表情や間合いの変化に気づきすぎて、勝手に脳内で意味づけが走る。何も起きていないのに、起きるかもしれないことだけが増殖する。

だから私は、恋愛の場面で「普通の人なら気にならないこと」を気にしてしまう。

返信が遅い。声のトーンが違う。目線が一瞬泳ぐ。そういう小さな差分を拾いすぎて、拾った情報だけで自分を揺らしてしまう。揺らしたくないのに揺れる。

ただし、ここがややこしい。敏感さは苦しいだけではない。ときどき、それが快楽の形に反転する瞬間がある。

私の中では、その反転にHSPという言葉が薄く絡んでいる気がしている。HSPだからそうなるのではない。私が自分の性質を説明しようとするとき、その言葉が近くに浮かぶだけだ。

断れない空気、強要される体温

そうやって始まった関係は、たいてい私の意志とは無関係な方向に進む。

例えば、アプリで会ったばかりの男。食事だけのつもりだったのに、店を出た瞬間に手を引かれる。「もう少し話そう」っていう言葉の裏にある、あの粘着質な熱量。私のセンサーがそれに過剰反応して、警報を鳴らす。

ここで手を振りほどいたら、この人はどうなる?

大きな声を出すかもしれない。傷ついた顔をして、私を悪者にするかもしれない。 そんな「起こりうる不快な未来」のシミュレーションが一瞬で脳内を駆け巡って、私の足を縫い止める。

「嫌だ」って言葉が喉まで出かかってるのに、それを口にした時の相手の波長の変化──怒りとか落胆とか──を浴びるのが怖くて、飲み込んじゃう。

気付けば密室にいて、服を脱がされてる。「ゴムはしない主義だから」なんて平然と言い放つ男に、私はまた凍りつく。「できたら困る」って小さな声で抵抗しても、「外に出すから大丈夫」「病院代くらい出すよ」って笑い飛ばされる。

その無神経な笑みに吐き気がしながら、私は天井のシミを見つめて、ただ嵐が過ぎるのを待つ。私の身体の上で、男が勝手な物語──「俺たちは愛し合ってる」「君も感じてる」──を押し付けてくる間、私はスイッチを切る。

これが一回や二回じゃない。上司に誘われた飲み会の帰り、タクシーの中で太ももに置かれた手。拒絶すれば明日の仕事がやりづらくなるっていう計算が、私を石にする。元彼が家に押しかけてきて、「やり直したい」って泣きつきながら覆いかぶさってきた夜。暴れる彼を刺激しないように、私はサンドバッグみたいに力を抜く。

流されることは、私にとって生存戦略だった。痛みを最小限にするために、心を身体から切り離す。そうやって積み重ねてきたセックスの数は、私の自尊心を削り取ると同時に、奇妙な麻痺を連れてきた。

頭を真っ白にしたい

私は普段、考えすぎる。段取り、空気、相手の気分、正解っぽい返事、自分がどう見られているか。そういうものが勝手に走る。走り続ける。止め方が下手だ。

その反動で、たまに「誰かに止めてほしい」という欲求が出る。

言葉で説得されたいのではない。私の思考の蛇口そのものを、手で締められるみたいに止めてほしい。抱きしめられた瞬間に、計算が途切れて、身体だけが残る感じが欲しくなる。

たとえそれが、不本意なセックスだとしても。相手が私を「道具」として扱っている最中、私は人間であることをやめられる。思考を停止し、ただの肉の塊になることで、張り詰めた神経を休ませている自分がいる。

それは甘えにも見えるし、危うさにも見える。私自身もそう思う。でも欲求は消えない。頭が真っ白になる瞬間だけが、休憩になる日があった。

「穴兄弟」のいる職場

私のいる職場は、狭い。人間関係が煮詰まったような場所で、私はもう、8人の男性と関係を持った。そこには、かつて結婚を約束した元婚約者も含まれてる。

給湯室ですれ違うとき。会議でふと視線が合うとき。彼らは互いに、なんとなく勘づいてる。「お前もか」って。

いわゆる「穴兄弟」ってやつだ。普通なら居たたまれなくて辞めるのかもしれない。でも、私は辞めない。彼らも私を追い出そうとはしない。むしろ、奇妙な湿度の高い優しさすら感じる。

私が関係を持った男たちは、私を通じて、言葉にできない連帯感を持ってる気がする。

私は関係を壊してるんじゃない。つなぎすぎてるんだ。誰とも決定的な関係にならず、誰の欲望も拒絶せず、ただバランスを取りながら「維持」し続けてる。 その過剰な関係維持が、職場の空気を澱ませてるのを肌で感じる。関係の渋滞。 私が動くたびに、見えない糸が絡まり合って、彼らの視線が交差する。

元婚約者の視線が刺さることもあるけど、彼もまた、その共犯者の輪の中にいる。私を通じて、彼らはつながってる。

「ヤリマン」と呼ばれても、否定する気力がない。だって、事実、私は断れないから。誰かに求められると、その場を収めるために身体を差し出すことが、一番コストの低い解決策だと思ってしまっている。

それは「奔放」なんてかっこいいものじゃない。ただの、だらしない水たまりだ。誰でも踏み入れて、誰でも泥をつけていける。

前戯なんていらない、視覚だけで完了する回路

そんなふうに流されて、不本意なホテルに入ったとしても。相手が、あのアートみたいに整った顔立ちの人なら、まだ救いがある。

至近距離で整った顔が自分に迫ってくると、その視覚情報だけで脳が麻痺して、身体が勝手に準備を完了しちゃうから。

「濡れる」っていう生理現象が、感情より先に起きる。相手の手順が雑でも、コンドームをつけるのを嫌がられても、私の脳は「この遺伝子なら受け入れてもいい」って勝手にバグった判定を下す。

痛いとか怖いとかいう感覚が、快感とか光栄さにすり替わる瞬間がある。「こんなきれいな生き物が、私なんかに必死になってる」っていう事実だけで、頭が真っ白になって、どうでもよくなっちゃう。

それが終わったあと、冷静になってから虚しさに襲われるんだけど。そのときは、抗えない。

見られることの苦手さと喜びの矛盾

見られるのが苦手だ。視線が刺さる。相手が私をどう扱うつもりかを、視線から読み取ろうとしてしまう。読み取れないときは、最悪の想定を勝手に作る。

それなのに、同じ「見られる」が、欲望の文脈に入った瞬間、喜びになるときがある。

私を異性として見ている。私を求めている。その確信が入ると、刺さっていた視線が、暖かいものに変わる。

たとえその視線が、私を「便利な穴」としてしか見ていない下卑たものであってもだ。無視されるよりはマシだ、透明人間になるよりはマシだ、という倒錯した安堵が、私をその場に縛り付ける。

矛盾している。矛盾しているのに、その矛盾のほうが私の現実に近い。

私の奔放さは、自由じゃなくて鎮痛剤だった

私の男遍歴は、快楽の探求っていうより、鎮痛剤の収集だった。

金銭を渡されて断れなくなり、そのままホテルへ連れ込まれたこともある。「これだけ払ったんだから」っていう無言の圧力に、私はまたスイッチを切る。私の身体は、私の意志を守るための砦じゃなくて、ただ相手の機嫌を損ねないための通貨として機能する。

ことが終わった後、「愛してる」だの「付き合おう」だのと囁かれることもあるけど、数日後には連絡が途絶える。あるいは、私の目の前で他の女と消えていく。そんな扱いに傷つきながらも、また別の誰かに「抱きたい」って言われると、ふらふらとついて行ってしまう。

学習しないんじゃない。学習する気力さえ、削ぎ落とされてるんだ。

私が求めてたのは、相手そのものっていうより、相手の欲望の濃度だった。 欲望が濃いと、私は生きてる気がする。欲望が薄いと、私は消える気がする。だから私は、欲望が濃い相手を選びがちになった。結果として、関係は短くなった。短いほど、濃さは保たれる。保たれるほど、私はまたそれを基準にする。

あなたの文章には「選ぶ」っていう軸がある。私の遍歴には「選ばれたい」っていう軸がある。

どちらも、結局は序列の世界に足を突っ込んでる。あなたはその世界を見つめて言葉にして、私はその世界の中で身体を動かしてしまった。

「拒絶」という選択肢のない地獄

あなたは「ブサメンは視界に入れたくない」と書いた。私は、視界に入れたくないような相手、生理的な嫌悪感がある相手とも、寝てしまう。

職場の8人の中には、正直、思い出すだけで胃が重くなるような人もいる。

断るのが、怖いから。「君のことが好きだ」「一度でいいから」と迫ってくる、脂ぎった肌や、濁った視線。清潔感のない匂い。

本来なら悲鳴を上げて逃げ出したいのに、相手の必死さや、断った時の逆上を想像すると、身体が動かなくなる。

ここで「嫌だ」とはっきり拒絶して、相手を傷つけたり、空気を悪くしたりするくらいなら、私が我慢して、数十分やり過ごせばいい。そうやって自分を納得させてしまう。

イケメン相手なら、視覚的なドラッグで脳が麻痺して、快感に似た何かに変わることもある。

でも、そうじゃない相手とのセックスは、ただの「排泄」の処理係をさせられてる感覚に近い。

相手の息遣い、肌の感触、すべてが不快でたまらないのに、私は「感じてるふり」をして、早く終わることだけを祈ってる。天井の模様の数を数えながら、魂が身体から抜け出すのを待つ。

イケメンが好きなくせに、嫌悪感のある相手とも寝る。それは私が「誰でもいい」からじゃない。私の自尊心が低すぎて、誰からの侵入も防げない「壊れたドア」みたいになってるからだ。

来るもの拒まず、なんて言葉があるけど、私のはそんな余裕のあるものじゃない。「来るものを拒むエネルギー」すら枯渇して、ただ踏み入られるのを許してるだけ。

あなたの「選ぶ」残酷さよりも、私の「拒めない」無責任さの方が、よっぽど自分を傷つけてるのかもしれない。

あなたの「醜さ」と、私の「醜さ」

あなたは、イケメンを求め、ブサメンを遠ざけたいという醜さを言語化した。私は、求められることでしか自分を確かめられない醜さを引きずってきた。

どちらも、清潔ではない。どちらも、正義の顔をしない。だからこそ、私はあなたの文章に反応したのだと思う。

私は自分の遍歴を「奔放」と呼んで済ませたくない。奔放という言葉は、自由の匂いがする。私のそれは自由ではなく、依存と確認と怖さの連続だった。

HSPという言葉は、その怖さの説明に薄く役立った。役立ったのは、原因としてではない。私が自分を理解しようとするときの、仮の地図としてだ。地図は現実ではない。でも地図があると、戻ってしまった自分を少しだけ回収できる。

あなたが記事を残したように、私もこの独白を消さずに置いておく。

次に、誰かに迫られて、足がすくむような感覚に襲われたとき。この文章を思い出せれば、少しはマシな選択ができるかもしれないから。

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