港区女子がパパ活相手と歌舞伎行ったら、人生の答え合わせしちゃった話
歌舞伎狂言「大十億夢勘定帳(だいじゅうおくゆめのかんじょうちょう)」
日時:金曜 18:00
場所:東銀座・歌舞伎座
同伴:K(職業不詳。全身ユニクロのおじさんに見えるけど、左腕のリシャール・ミルが本物なら、たぶん私の人生ごと買える人。何をして稼いでいるのか、実はよく知らない)
ハリー・ウィンストンの「リリークラスター」と引き換えの3時間。 そう割り切って、私は桟敷席に座った。
正直、私のレートで言えば、歌舞伎なんていう「タイパ」の悪い娯楽に付き合うのは赤字ギリギリだ。 だが、Kは太い。単発のギャラ飲みで数万握らせてくる小金持ちとは桁が違う。 彼のような「本物」をつなぎ止めておくためには、たまには彼の高尚な趣味に付き合い、「知的なアクセサリー」として隣で微笑んでおく努力も必要経費だ。
隣のKは、パンフレットすら開かない。 ただ腕を組み、目を閉じて、静かに開演を待っている。 その横顔を見て、直感した。 彼は楽しみに来てるんじゃない。 まるで、調教した猛獣の檻の前に立つ時みたいに、ピリピリした空気を纏っている。 ……何これ。いつもの「何を考えているか分からないKさん」じゃない。怖い。
たかが歌舞伎ひとつに、何をそんなに張り詰めているんだろう。 どうせ「忠義」だの「人情」だの、令和の港区じゃ1円にもならない綺麗事が続くだけなのに。 彼の緊張の意味がわからず、私は居心地の悪さを誤魔化すように背筋を伸ばした。 とりあえず、口角を正確に3ミリ上げて「教養を楽しんでいる女」の顔を作っておく。
だが、幕が開いて5分で、その仮面が剥がれた。 舞台の上で行われていたのは、芝居じゃない。 私の値札をビリビリに破いて、「お前は一生、陳列棚の中だ」と突きつけてくる公開処刑だった。
【序幕:小金持ちの限界】
(柝の音「チョン、チョン……」と共に定式幕が開く)
(舞台中央、巨大なそろばんを弾く壱億之助。背景には終わりのないカレンダーと、増え続ける税金の請求書)
竹本(語り): 「東西、東西〜。 夫れ、世に『善人』あり。 朝に起き、夜に眠り、稼ぎし銭をコツコツ貯める。 これを『自力』と申す。 ここに一人の男あり、名を壱億之助。 真面目を絵に描いたような顔で、一億の山を築かんと欲す〜」
壱億之助: 「ヤアヤアこれ、世間の方々よ。 一億あれば一生安泰、そう信じて三十年。 酒も断ち、遊びも断ち、ただひたすらに積んで参った。 されどどうじゃ。 積めば積むほど、減るのが怖い。 一億の山を守るため、わしは今日も震えて眠る……」
(脳内メモ) うわ、これ西麻布の個室でよく見るおじさんだ。 「俺、年収3000万あるけどさ〜」ってマウント取ってくるくせに、タク代を1万円にするか2万円にするかで一瞬迷う顔をする人たち。 ブランド物で固めてるけど、中身はいつもビクビクしてる。 Kさんが、鼻で笑った。 ……そうか。Kから見たら、この程度の小金持ちは「誤差」なんだ。
世間婆: 「これ、壱億之助や。贅沢を言うでない。 汗水垂らして貯めるが善、使うは悪。 それが人の道じゃわい」
【二段目:悪人の正機】
(花道より、十億右衛門が登場。派手だが、その目はどこも見ていない。虚空を見つめている)
(ツケ打ち:バタバタバタバタ!)
十億右衛門: 「しばらく、しばらく〜! 一億が守りなら、三億はただの延命! 五億でさえも、理由のある金に過ぎぬ! 我が欲するは、天を突く『十の億』なり〜!」
世間婆: 「おやおや。十億欲しいとは、また浅ましい。 どうせ叶わぬ夢物語。 働きたくないだけの、怠け者の台詞じゃないかい!」
十億右衛門: 「いかにも! その通り、これは怠け者の台詞よ! だがなぁ、婆よ。 『貯蓄家なをもて十億を得る、いはんや浪費家をや』!」
(客席から一瞬、「ハハッ」と乾いた笑いが漏れる。だが、十億右衛門の目が完全に据わっているのを見て、その笑いはすぐに喉に詰まったように消えた。Kだけが、無表情で舞台を見つめている)
十億右衛門: 「己の計算で貯まる金など、たかが知れたる『自力』の境地。 計算もできず、欲望のままに散財し、己の無力に絶望した者こそが! 人知を超えた『他力』の風に乗り、十億の彼岸へ飛べる道理よ!」
(十億右衛門、見得を切る。ツケ:バタリ!)
(脳内メモ) え、なにこれ。 真面目にやるのがバカみたいってこと? Kの顔を盗み見た。 ……笑ってない。真顔だ。 まるで、誰かに説教されてる時みたいに、神妙な顔をしてる。 この十億右衛門って人、ただの派手なキャラじゃないの? Kがこんな顔をするなんて、何者?
【間狂言:お上の甘い枠】
(舞台が一瞬、明るくなる。黒衣がすっと現れ、客席側へ白い札を差し出す)
(札には「新NISA」「非課税」「永久」など、妙に明るい文字が踊っている)
世間婆(声色を改め、触れの口調): 「お触れ、お触れ。 貯めるだけでは、もったいない。 国が定めた新しき器。 税は取らぬ、枠を与える。 超オトクで超安心、超ラクの夢だと申すぞ」
(客席がざわつく。壱億之助が札に手を伸ばしかける)
壱億之助: 「税が取られぬ……夢のような話よ。 ならば、わしの一億も、ここで増えるか」
世間婆(声色を変え、ふわりと現代の調子): 「待たれい。 国が勧めると聞くだけで、怖うなる者もおる。 『国が推すものに、ろくなものがあるのか』 『裏があるのでは』と疑うも、また道理」
(脳内メモ) Kが隣で、短く鼻を鳴らした。 普段、私が「NISA始めたんだ」って言っても無関心だったくせに。 ……そうか。彼はバカにしてたんじゃない。 「お得な制度」という名の餌箱に群がる私たちを見て、「養分」が増えたな、って確認してただけなんだ。 プレイヤーとして優秀であればあるほど、オーナーにはなれない。その絶望的な壁が、舞台の上で可視化されている。
十億右衛門(扇子を閉じたまま): 「よい。疑う心は、身を守る」
十億右衛門: 「だがな。裏だ表だと騒ぐな。 札に書いてあるのは“枠”だ。 枠をもらって、枠の中で踊る話よ」
十億右衛門: 「国が推すのは国の都合。 それに乗るも乗らぬも、おのれの都合。 だが、どちらを選んでも“土俵の外”には出ぬ」
十億右衛門: 「俺が欲しいのは、国がくれた枠ではない。 幕が下りても、国の方針が変わっても残る、 俺だけの権利のほうだ」
【三段目:小賢しい勝者たち】
(世間婆が杖を振ると、舞台上に「小さな台所」と「優雅な食卓」、そして「世界地図」の書き割りが現れる)
世間婆(声色を変え): 「十億だの権利だの、物騒なことを申すでない。 世の中には、もっと上品な勝ちがあるわい。 苦しまず、荒れず、知恵と工夫で、じわりと豊かになる道がな」
(世間婆の声色が、凛とした母の声に変わる)
世間婆: 「ほれ見よ。二児の母にて、元手は二百四十万。 父の教えで買った株が化けた運を種銭に、 育休の赤子を抱いたその手で、板を読み、億の山を築いた者もおる。 名づけて『億り人母御前(おくりびとははごぜん)』。ほれ、麗しい響きじゃろう」
(台所のセットから、割烹着姿だが目はぎらついた女が現れる)
億り人母御前: 「あたしは特別じゃないのよ。 ただ、日常を止めなかっただけ。 右手で哺乳瓶を握り、左手で信用取引。 一日で二千四百万が溶けた夜も、翌朝には笑顔で弁当を作ったわ。 地獄を覗いても、日常へ戻る。それが私の『コツコツ』よ」
(客席のあちこちから、ため息のような感嘆の声。「あれなら私にもできるかも」という空気が漂う)
(その空気を切り裂くように、鋭い眼光の男が現れる。背後には複雑なチャート図と世界地図)
御意見番・鋭敏(ごいけんばん・えいびん): 「待たれい。板など見るな、世界を見よ。 銘柄は遠国にあらず、日々の暮らしにある。 店の棚が変わった、味が変わった、その“気づき”が先に立つ。 日本人は高ければ疑い、下がれば群がる『逆張り』の癖があるが、それでは勝てぬ。 波に逆らうな、時代に乗れ!」
(会場の空気が一変する。そのあまりの切れ味と説得力に、客席が思わず唸る。だが、Kだけは退屈そうに指でリズムを刻んでいる)
(その緊張をぶち壊すように、自転車に乗ったような疾走感で、優待券の束を抱えた男が駆け込んでくる)
優待道楽左近(ゆうたいどうらくさこん): 「時代などどうでもよい! 大事なのは『期限』よ! 走れ走れ、月末が来るぞ! 株価が半分になろうとも、優待の米は届く! 資産が溶けようとも、映画の券は残る! 紙切れにするな、使い切ってこその人生よ〜!」
壱億之助: 「おお……。 母の強さ、知の鋭さ、そして徹底した守りの構え。 これぞ庶民の頂か。 わしにも出来る道かもしれぬ。 汗に報いがあり、ささやかな贅沢があるなら、それでよいではないか」
(脳内メモ) 情報量多すぎ。インスタの「丁寧な暮らし」系ママ垢と、X(Twitter)の「投資界隈」と、テレビの「優待おじさん」が全部乗せ。 正直、憧れるかって言われたら微妙だけど、「正解」なのはわかる。私がラウンジで愛想笑いして稼ぐタク代より、よっぽど「人生のコスパ」がいい。これになれるなら、なりたかったかも。
(花道の中ほどで、十億右衛門が扇子を閉じる。乾いた音が響き、客席の高揚感が一瞬で冷える)
十億右衛門: 「よい」
(空気が止まる。だが威圧ではなく、舞台の灯りが一段落ち着く静けさ)
十億右衛門: 「いまの話、どれも勝ちだ。 母御前の胆力も勝ち。 鋭敏の眼力も勝ち。 左近の脚力も勝ち。 そこまで生き延びた者に、俺は心からの拍手を送る」
(十億右衛門、静かに客席を見渡す)
御意見番・鋭敏: 「ならば何だ。 我らの知恵を、檻の中の戯言と言う気か」
十億右衛門: 「戯言ではない。至言だ。 だがな。 その勝ちを『自由』と呼ぶのは止めよ」
優待道楽左近: 「言葉遊びではないか! わしは現に、食うに困らぬ!」
十億右衛門: 「遊びではない。 自由とは、幕が下りても残るものだ」
十億右衛門: 「左近。お前の勝ちは、企業が配る『施し』に依存している。 彼らが方針を変えれば、その紙はただの紙屑だ」
(黒衣が、ふっと優待の包みを持ち上げ、軽く揺らす。包み紙がカサリと鳴る)
十億右衛門: 「鋭敏。お前の勝ちは、常に市場の顔色をうかがう『分析』という名の隷属だ。 相場という主人が暴れれば、吹き飛ぶ小屋よ」
(黒衣が世界地図を少し傾ける)
十億右衛門: 「母御前。お前の勝ちは、お前が板に張り付く『労働』で支えられている。 目を離せば崩れる城だ。 お前たちは、少し豪華な檻に移ったに過ぎぬ」
(黒衣が家計簿の端をつまむ。ページがひらりとほどける)
十億右衛門: 「俺が欲しいのは、俺が動かなくても回る世界だ。 俺が眠っていようと、死んでいようと、 金が金を呼び、万物が主を慕って集まる。 その『引力』を持つ者だけが、真にこの劇場から出られるのだ!」
(十億右衛門、扇子を一閃。甘い書き割りがすっと引き、舞台が暗転する)
(脳内メモ) えぐい。でも、腑に落ちた。 Kがたまに見せる、あの「他人に興味がない目」の正体がこれだ。 冷たいんじゃない。「正確」なんだ。 優待も節約も、結局は誰かの作ったルールの上での「お行儀の良さ」でしかない。 私が若さと顔面偏差値でマウント取ってるのも同じ。三十過ぎたら終わるゲーム。 十億右衛門が言ってるのは、その「出来レース」を強制終了するための「違約金」の話だ。
【大詰:所有者への転換】
(轟音と共に回り舞台が動く。労働のセットが消え、抽象的な「権利」の光が満ちる)
(舞台中央には、豪奢な椅子に座る十億右衛門。彼は扇子を膝に置き、微動だにしない)
十億右衛門: 「見よ! これぞ権利の景色! 汗を流すな! 知恵も絞るな! 金を動かして増やそうなどという『投資』すら、ここでは小細工に過ぎぬ! この舞台の『役者』を降り、舞台そのものの『主』となれ!」
(突如、舞台の床がギギギと音を立てて傾斜し始める。十億右衛門のいる場所が最も低く、そこへ向かって全てが滑り落ちる角度になる)
壱億之助: 「う、うわぁぁ! 足元が……!」
(壱億之助が必死に抱えていたそろばん、帳簿、小銭が、手からこぼれ落ちる。それらは重力に従い、音を立てて十億右衛門の足元へ吸い込まれていく)
壱億之助: 「待て、待ってくれ! わしの血と汗の結晶が! 三十年かけて積み上げた石垣が、勝手に崩れていく!」
(壱億之助、必死に床にしがみつくが、体ごとズルズルと十億右衛門の方へ引きずられる)
壱億之助: 「おお……見えた。理屈ではない、これは物理か! わしは今まで、必死に水をかき集めようとしていた。 だが違う! あやつは、水を汲まぬ。 あやつは、ただそこに『大穴』として空いているだけじゃ!」
壱億之助: 「穴になれば、雨も川も、泥水さえも、 すべて勝手に己の中へ流れ込んでくる! 努力も、工夫も、投資さえも要らぬ! ただそこに巨大な質量として『在る』だけでよい、それが十億の重力であったか!」
(十億右衛門、足元に溜まった財宝に目もくれず、ただ静止している)
十億右衛門: 「左様! 動くは貧乏人、止まるは富豪! 引力を持たぬ者は、一生走り続けねばならぬ。 だが引力を持つ者は、寝ているだけで世界が貢物を運んでくる! これぞ資本主義の極地、絶対なる『静止』なり!」
(壱億之助、ついに抗うのを諦め、脱力して十億右衛門の足元へ滑り落ちる。その姿は、敗北というより、重力への帰依に見える)
(ここで壱億之助、着ていた地味なスーツの衣装を一気に引き抜く「ぶっ返り」。下から十億右衛門と同じ、豪奢な金襴の着物が現れる)
竹本(語り): 「十億欲しいと嘆くより、十億の引力を知るが近道か。 怠け者の言葉と侮るなかれ、そこには資本主義の真理が隠れん。 金は天下の回りものにあらず、重き場所に沈むものなり。 壱億之助改め、重力左衛門。 これよりの人生、何もしない、何も足さない、完全なる『支配』の夢舞台〜、夢舞台〜」
(全員で見得を切る。Kが隣で、安堵とも自嘲ともつかない深い息を吐いた)
終演後
歌舞伎座を出ると、銀座の夜風が生ぬるい。 Diorのコートの下で、肌がじわりと汗ばんでいるのがわかる。 喉が渇いた。水が欲しいんじゃない。もっと濃い何かが欲しい。
Kが、ふと足を止めて銀座のネオンを見上げた。 「……時々浴びないと、鈍るな」
独り言のような、低い声。 その一瞬の横顔を見て、私はゾッとした。 いつもの「余裕のあるパパ」の顔じゃない。 獲物を仕留める前に、ナイフの切れ味を確かめるハンターの目だ。
あぁ、そうか。 彼にとってこの歌舞伎は、娯楽じゃない。 世間の「情」とか「常識」とかで錆びつきそうになる自分の感覚を、無理やり削ぎ落としてメンテナンスするための「砥石」なんだ。
彼のポケットの中でスマホが震えている。 ブー、ブーと何度も鳴っている。 でも、彼は見もしない。眉一つ動かさない。
その時、分かった。 1億の小金持ちが「守りだ」と言うとき、彼らが守っているのは生活じゃなく「椅子」だ。 だから、大事な取引先や誰かの機嫌を損ねないように、必死で即レスする。 でも、この人は違う。 誰の都合も、彼の体温を動かせない。 あれが「降りる切符」の、本当の使い方だ。 お金の話じゃない。権限の話だ。
私は、乾いた唇を舐めて、彼の腕に指を這わせた。 営業スマイルはもう作らない。 これは、同じ戦場に立つ共犯者への合図だ。
「……勉強になった」 「私が今までKさんに請求してたのって、私の価値に対する対価だと思ってたけど違ったね」 「あれは、私がこの『檻』から出るための、『身請け金』だったんだ」
Kの目が、初めて丸くなる。 まるで、退屈な水槽の中に、自分と同じ種類の魚を見つけたような目だ。 そして、今日一番の深い笑みを浮かべて、私の腰を引き寄せた。
「檻を出たければ、もっと高くつくぞ」
背筋に電流が走る。 この人は「降りる切符」を持ってる。 でも、それをただで渡すような甘い男じゃない。 だからこそ、興奮する。
「……払ってよ。高くても」
私は彼の耳元で、媚びるように、けれど挑戦的に囁いた。 「私をここから連れ出して。Kさんの共犯者にしてよ」
ハリー・ウィンストンはもらう。それは手付金だ。 でも、明日からは戦略を変える。 この男から搾り取るのは「小遣い」じゃない。「種銭」と「支配者側のルール」だ。 消費される商品から、重力の一部へ。 さようなら、可愛いだけの私。 これからは、私が食う番だ。
