生理痛体験マシンは何を再現し、何を欠くのか。痛みの医学とフェムテック政策の接続点
腹部にパッドを貼り、電気信号で無理やり筋肉を跳ねさせる。 そのあまりの痛みに、体験した男性たちは顔をしかめ、脂汗を流してうずくまる。
「女性は毎月、仕事中にこれに耐えているのか」
その驚きと敬意は、間違いなく本物だろう。
だが、彼らの腹筋が激しく痙攣しているその瞬間、子宮が酸欠で悲鳴を上げているわけではない。
同じ「生理痛」という言葉を使いながら、そこで起きている現象は、実は食い違っている。
ここで考えたいのは、単なる痛みの強さ比べではない。
なぜ、医学的には「別物」であるはずの痛みが、これほどまでに日本の企業研修や国の事業として歓迎され、急速に広まっているのか。そこには、痛みそのものの性質と、それを「研修」として消費したい社会のニーズが、皮肉なほど綺麗に噛み合った事情が見え隠れする。
置き去りにされた痛みの正体と、それを巡る大人の事情について、少し立ち止まって考えてみたい。

1. 強さは似ていても、質は別物
まず、医学的に実際の生理痛とマシンの痛みが「別物」であると、いうところから話を始めよう。
体験装置がイジめているのは「腹筋」だが、月経痛(一次性月経困難症)で苦しんでいるのは「子宮」だ。
体の中で何が起きているのか。
臓器が酸欠で悲鳴を上げる
主犯は「プロスタグランジン」という物質だ。こいつが子宮の筋肉を収縮させ、経血を外へ押し出そうとする。
しかし、出過ぎると収縮が強くなりすぎて、子宮の壁を通る血管をぎゅうぎゅうに締め上げてしまう。
すると血流が止まり、子宮は一時的な「虚血(Ischemia)」状態、つまり酸欠に陥る。
血流が途絶えて臓器が痛む。メカニズムとしては心筋梗塞に近い。月経痛とは、単なる腹痛ではなく、「酸欠になった内臓が発するSOS(内臓痛)」なのだ。
電気で筋肉を無理やり釣らせる
一方、話題の体験装置(ピリオノイド等)の多くは、EMS技術を使っている。ダイエット器具でおなじみのあれだ。
電気で腹部の筋肉(腹直筋など)を強制的に収縮・痙攣させる。
確かに「筋肉が収縮して痛い」という現象は似ているし、出力を上げれば、大の大人がのたうち回るほどの「強さ」も再現できる。
だが、どれだけ強さを似せても、その痛みの「性格」まではコピーできない。

2. 再現できない「内臓痛」の不快感
痛みには「どれだけ痛いか(強度)」と、「どれだけ不快か(不快感)」という二つの顔がある。
体験装置が再現できたのは前者(強度)だけで、後者(不快感)には深い溝が残ったままだ。
「場所がわからない」という恐怖
マシンの痛みは、切り傷や筋肉痛と同じ「体性痛」だ。「痛いのはここだ」と指でさせるし、原因もはっきりしている。 対して、本物の月経痛は「内臓痛」だ。
研究によれば、同じ強さの痛みを与えた場合、人は皮膚への刺激よりも内臓への刺激に対して、より強い「不快感」や「不安感」を覚えるという(Pain, 2002等)。
内臓痛は神経が複雑に入り組んでいて、痛みの場所がぼんやりと広がる。
「お腹の奥の、どこかわからない場所がねじれるように痛い」
この得体の知れない感覚は、本能的な不安をかき立て、逃げ場のないストレスを生む。
指の怪我なら「指が痛い」で済むが、内臓痛は「自分の中の何かが壊れている」という根源的な警報として響くのだ。
吐き気と冷や汗の波状攻撃
さらに厄介なのが、自律神経の巻き添えだ。
痛みが体の奥からせり上がるとき、それは腹だけで終わらない。強い内臓痛は、冷や汗、吐き気、顔面蒼白、血圧低下といった症状を引き連れてくる。
痛みそのものに加え、「気持ち悪くて立っていられない」「血の気が引いていく」という全身の不調が襲ってくる。
これが「体験としてのつらさ」の正体だ。
実際、電気刺激の研究でも、痛みの強さは再現できても、「痛みの深さ」や「質感」は本物の半分程度しか再現できていないという感想が出ている(Journal of Robotics and Mechatronics, 2021)。
マシンは「激痛」を作ることはできても、内臓痛特有の「終わりの見えない、正体の掴めない不快感」までは再現できていない。

3. 不完全だからこそ、企業に売れた
ここで素朴な疑問が湧く。医学的に「別物」なら、なぜシャープや日本板硝子、JERAといった名だたる大企業や自治体が、こぞって導入しているのか。
実のところ、この「不完全さ」こそが、普及の最大のエンジンになっている。
体験装置の価値は、月経痛の完全再現ではなく、「会議室で実施できる形に痛みを加工した」点にあるからだ。
「扱いきれる痛み」への書き換え
もし仮に、マシンが内臓痛特有の「正体の掴めない不快感」や「激しい吐き気」まで完璧に再現してしまったらどうなるか。
それはもはや研修ではない。業務時間中に社員を再起不能にする、ただの傷害行為だ。
「激痛ではあるが、場所ははっきりしていて、スイッチを切ればケロリと治る」
この「扱いきれる痛み(体性痛)」になっているからこそ、企業の会議室で、適度な緊張感と一体感を生む「体験型研修」として成立する。
「理解は示したいが、社員が業務不能になるリスクは困る」
そんな企業側の本音に、このマシンの仕様はあつらえたようにハマったのだ。
「フェムテック」という国のお墨付き
そして、この流れを決定づけたのが、経済産業省の「フェムテック等サポートサービス実証事業」だ。
国は今、女性特有の健康課題による労働損失を「年間約3.4兆円の経済損失」と弾き出している(経済産業省, 2024)。
「個人の体調不良」を「国力の低下」という経済用語に翻訳し直したわけだ。しかし、現場の企業は何をすればいいか分からない。
そこに、この体験マシンが渡りに船とばかりに現れる。
「大阪大学発ベンチャー」や「奈良女子大との共同研究」という看板は、稟議書を通すための強力な武器になる。ただのイベントグッズではなく、「アカデミックな研究成果」として扱えるからだ。
さらに、国の実証事業に採択されれば、導入費用の補助まで出る。企業にとってはコストを抑えつつ、「うちは女性活躍推進に本気です」という対外的なアピール(健康経営銘柄の取得など)にも使える。
令和7年度の予算案額は約1.5億円(経済産業省, 2025)。来年以降どうなるかわからない予算だ。
「今のうちに国の金で実績を作っておこう」
ベンチャー企業と導入企業のそんな思惑が一致する、一種のボーナスタイムが今なのだろう。
医学的な完全再現よりも、「男性社員に衝撃を与え、議論のきっかけを作る」という研修ツールとしての使い勝手において、この装置は実によくできている。

体験の後に残すべき「慎重さ」
もちろん、電気刺激による体験が無意味だとは言わない。
「これほどの衝撃が腹部に走るのか」と身をもって知ることは、想像力の入り口としては悪くない。
座学でスマホをいじっている管理職の目を覚まさせるには十分な威力がある。
ただ、入り口で「わかった」と満足してしまうことほど危ういものはない。
マシンで体験した痛みは、あくまで「皮膚と筋肉」の痛みであり、「酸欠になった臓器」の痛みではない。そこには、こみ上げる吐き気も、いつ終わるかわからない不安も、明日も続くかもしれないという絶望感も欠けている。
体験の後に残るべきは、「痛みがわかった」という達成感ではない。
「同じ強さの痛みを味わってもなお、まだ想像しきれない領域がある」という、ある種の降参と慎重さだ。
その謙虚な「わからなさ」を手放さないことこそが、この体験を一過性のイベントで終わらせないための、最低限の作法ではないだろうか。

