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とき子さんのエッセイ三部作

私が勝手に「とき子さんのエッセイ三部作」と呼んでいます。
5月の文フリ東京で買った、
とき子さんのご本のうちのエッセイ集、
『なけなしのたね』
『にじいろの「はなじ」』
『さよならあの日のロッテンマイヤー』
の3冊を読了しました。

既にとき子さんのnoteで読んだことのある文章も、本の中で出会うとまたその世界が深まります。
自分の手の中で大事に勿体ぶってページをめくったり戻ったりしながら、自分だけの味わいの中で、とき子さんワールドにゆっくり浸ることが出来ました。
なにより紙の上の文章は、言葉がひらひらすぅっと届くような気がして、
とき子さんのエッセイを本で読んでみたい!と思ったのはやっぱり正解でした。

この感覚は、つる・るるるさんのエッセイ『「おじゃまします」が「ただいま」になった日』と『羽ばたく本棚』をネットから購入して読んだ時にも真っ先に感じたもので、
これらは今も私の大事な2冊として本棚で異彩?を放っています。
そもそも、つる・るるるさんの書く文章が以前から好き過ぎたので、いつか絶対るるるさんととき子さんのお店(文学フリマのブース)に行って直接ご本人達から本を買いたい!と思っていました。
それが叶った今年の5月。
その節はおじゃましました。


とき子さんは、転勤族の妻になったばかりの初めての北の地で、ふわふわ漂うような自ら見失いそうな毎日に、
「何もない」と思っていた自分の中から「なけなしのたね」を見つけました。 
その中身には実は、思い出と妄想力と今を楽しく生きる力が詰まっていることに気づくのでした。
その時から、文章で自分を表現すること、それを楽しむことがはじまったそうです。

そこから花咲いたのが、エッセイ集『なけなしのたね』であり、『にじいろのはなじ』そして『さよならあの日のロッテンマイヤー』と続き、
とき子さんエッセイ三部作(と私がまんま勝手に言っています)にもなるのですね。

私が、とき子さんのnoteで1番好きなエピソードは「梅ソーダカントリーロード」でした。
文章を書くこと、自分の思いや思い出を言葉で文字で表すことで、気持ちがスッキリ晴れやかになって、どこから湧いてくるのかわからないけど、生きるチカラみたいのがふつふつもりもり(そんな力強くじゃないけど染み渡るように)と心身にみなぎってくるのは、私も身に覚えがあります。
素敵な思い出がよみがえってきた時に、思い出供養じゃないけど(そんなお線香臭いものじゃなく)ひとつのお話(あくまでも実話)にまとめられたらこんな楽しいことはありません。

でも、私には「梅ソーダカントリーロード」みたいな体験も思い出も無かったので(ずっと女子校)、この話にはとても新鮮な感動と胸きゅんとが起こりました。もう還暦過ぎてますけど。
こんなに頑張った部活とドキドキな思い出があって、それをあんなふうな文章に綴れることにも憧れを隠せません。いいなぁ。
と思いつつ、実はちょっと照れていますけど。

このお話を、コミニティラジオ放送からとき子さんの朗読で聴いた時には、あの新海誠さんの「秒速5センチメートル」の、夕陽に染る空と自転車の風景が思い浮かびました。
そして今回、本になった「梅ソーダカントリーロード」を読んで、またその余韻に浸っていたらば、新たに驚いたことに、なんと!
つる・るるるさんもか!!

つる・るるるさんの寄稿文「エクセレントなネクター」が、私の胸きゅんに更に輪をかけてリボンで結んでくれました。
きゃー。
「梅ソーダカントリー」と、るるるさんの「エクセレントなネクター」は『にじいろのはなじ』に収録されています。

こんな思い出、あんな出来事、とき子さんのエッセイからは、自分にもあったこと、無かったことや、今まで気づかなかったことが見つかります。

「2005チリンチリンの乱」(『なけなしのたね』)では、
思わず本を叩いて爆笑してしまいました。
こんな漫才みたいな夫婦、ホントにいるんだ!(失礼)…素敵です!!

こうやって知らず知らずの内に、夫婦は絆が深まっていくのかしらん。
そして、うちのチリンチリンは、はて?何だったんだろう?とか、ちょっと思い出そうとしてみたり、
大なり小なり何処の家にもきっとあるんだよねチリンチリン、と思いめぐらせています。


「あの時、私はモモとトモダチになれなかった」(『さよならあの日のロッテンマイヤー』)。
実は私も、モモとトモダチになれませんでした。
35歳くらいの頃(遅!)読書家の友達におすすめされて初めて読んだのだけれど、
登場人物と長いお話を追うのが精一杯だったので、読了という感動しか覚えていません。
やっぱり、本には読み時というものがあるのかしらん。

当時の倍近く生きている今なら、私もとき子さんのように何かわかるかもしれません。
私の読書体験は20代頃から、ホソボソと始まって大変遅咲きなので、座談会に出たとしたらレトルトカレーにも及ばないでしょう(「あの時、私はモモとトモダチになれなかった」参照)。
1番いろいろ読みたいのは今です。
「モモ」もまた読んでみたい。


少し衝撃?だったのは、
「セミが叫んでいることは」(『なけなしのたね』)。
昔、私も
「今生きているこの時間や出来事は全部夢の中のことで、いつか本当に目が覚めたらそこは全然違う世界なのかもしれない?」と、
うまく説明が出来ないけど漠然と思っていたことがありました。大人になるうちに、しばらく忘れていましたけど。
前世も来世もあるのかもしれない…とは今も時々思います。

そしてとき子さんの文章を読むと、
積み重なった魂の重みを、セミが叫ぶように最後に全部出し切ったあとに、その先へと行けるのではないか?という、新しい発見がありました。
なんという目からうろこ!


とき子さんのエッセイ三部作(私が勝手にそう呼んでいる)には、ほかにも読みごたえのある文章がたくさんあります。
感想をこんなにダラダラと書いていたら、ただの長い自分用まとめ語りになってしまいましたが、今のこの新鮮な気持ちを忘れないように。

短編小説もゆっくり読み進めていこうと思います。

とき子さん、ありがとう。