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「傷」から始まる介護 ―「訂正可能性」の介護2―爺のお勉強note

 心とは自我と超自我の間のズレ、ねじれ、矛盾、葛藤、揺れ動きですが、よく「心が折れる」と言ったりします。
 こうあるべきという超自我と現実の自我との間で、未来に向けて葛藤し揺れ動いている心から、急に未来が奪われ、それ以上揺れ動くことが不可能となり「もうだめだ」と判決が下ってしまうことを「心が折れる」というのではないでしょうか。
 そして、心が折れてしまうと人は「傷」つくのです。
 それは、大切にしていたことが大切にされなかったから、または大切にすることができなかったからに相違ありません。


2.介護における「大切なもの・こと」

(1)多様な「大切なもの・こと」

 その人を理解するということは、その人の「大切にしているものや、大切なこと」を理解するということではないでしょうか。そして、その大切なものは自分と他者ではもちろん異なります

「あなたが大切にしているものは、私の大切にしているものと異なる。」

近内悠太 2024「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社p53

 「大切にしているもの・こと」がお互いに違うからこそ、それを理解することが大切なのです。
 現代は多様性の時代だといわれますが、それは「大切にしているもの・こと」の多様性ということでしょう。

 当事者(お年寄り)一人ひとりの「大切なもの・こと」を把握することは介護するうえでも大切だと思います。

(2)大切なものは目に見えない

 確かに当事者の「大切なもの・こと」を把握することは大切なことだとは思われますが、この「大切なもの・こと」は、なかなかわかりません、見えてきません。
 近内悠太(教育者、哲学研究者)さんは、「大切なもの・こと」がなぜ見えづらいのか、それは、「大切なこと・もの」が関係性だからだと次のように説明しています。少々長くなりますがご容赦下さい。

 『例えば大切にしている時計。時計自体はたしかに目に見えます。ですが、その時計が「祖父が残したもの」という、時計と祖父と私の関係性は目に見えません。
 AとBそれ自体は見えたとしても、「AとBの関係性」は目に見えない。
 それは、ちょうど星は見えるけれど星座が見えないのと同じです。夜空には星と星を結ぶ線は存在しない。星を結ぼうとする意志がなければ星座は存在しない。
 では、その3者を結ぶ星座は何によって立ち現れるかというとその時計をめぐる「物語」においてです。そして、その物語は他者から問われ、応答するときに語られる。「この時計はさ、僕のおじいちゃんから貰った時計で、今日みたいな大切な日にはれを着けるんだ。」という言葉の中に、私、時計、祖父、そして、今日という大切な日、という星々が線で結ばれ、星座を成す。そして、その星座を見たものは、他者の星座を見せてもらうことのできた者は、その星座を組成する、新たな星としてその星座に加わる。なぜなら、その物語はまっすぐに、あなたに向けられて語られた物語だからだ。』

 『・・・だとするならば、大切なものが織りなす星座は、あなたと私の<あいだ>にある。・・・』
 
 『大切にしているものは、モノとしては存在していない。それは、関係性だからです。』

近内悠太 2024「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社p58,59

(3)傷つくことで見える「大切なもの・こと」

 近内悠太さんは、「大切なもの・こと」が大切にされなかったとき、人は傷つきますが、その傷つくときに「大切なもの・こと」に気づくことができると次のように指摘しています。

 大切にしているものは見えないが、大切なものが大切にされなかったことは目に見える。
 なぜなら、大切なものが大切にされなかった時、ひとは傷つくからです。
大切にしているものそのものは確かに見えないが、傷は見える。

近内悠太 2024「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社p60

 大切なものは目に見えない。・・・なぜなら、大切なものとは、その対象と主体との関係性のことだからです。関係性それ自体は見えない。
しかし、傷は見える。傷ついた時の振る舞いは、行為の中に、言葉の中に顕れる。

近内悠太 2024「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社p63

 「大切なもの・こと」は見えにくいのですが、それは、大切にされなかった時に、明確にわかるのです。
 「大切なもの・こと」を大切にされなかった時に、その「大切なもの・こと」が遡及的にわかるということです。
 もちろん、傷つかなくても普段の当事者の様子から「大切にしているもの・こと」に気づくことは可能だと思いますが、傷ついた場合、端的に、しかも劇的に理解できるということではないでしょうか。

(4)「傷」とは? 

 近内悠太さんは、「傷」を次のように定義しています。

 「傷」をこう定義したいと思います。
 大切にしているものを大切にされなかった時に起こる心の動きおよびその記憶。
 そして、大切にしているものを大切にできなかった時に起こる心の動きおよびその記憶。

近内悠太 2024「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社p63

 「大切なもの・こと」を他者が大切にしなかった場合にも、また、自らが大切にできなかった場合にも「傷」つくのです。つまり、「傷」には他者による「他傷」と、自分による「自傷」があるということでしょう。
 
 例えば、公衆の面前で失禁した時、大切な自尊心を自らが傷つけてしまうということになるでしょうし、その時、周囲の人たちから馬鹿にされると、それに輪をかけて他者による傷も受けてしまうことになるでしょう。

 また、その「傷」は当事者の様子、振る舞いから明確に読み取れるものだと近内悠太さんは次のように指摘しています。 

 たとえば、傷の記憶を触発するある場面に遭遇した時、ひとは思わす目を背ける。
 たとえばある一言に傷ついた時、僕らは次の言葉を言いよどむ。そして表情が曇る。さっきまであんなに明るかったのに、突然、今日は帰るね、と言ってしまう。

近内悠太 2024「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社p48 

 介護の世界で言えば、認知症の方の自尊心(大切なこと)が傷つけられたとすると、その傷はその当事者の表情、振る舞いに必ず現れます。
 介護ではこのような当事者の様子、表情、振る舞いに気づけるかどうかがとても大切なことなのです。

(5)個性とは多様な「傷」

 介護の世界では、「入居者・利用者一人ひとりの個性を大切に」とか「個性に合わせた介護」とか強調され奨励されています。
 それでは、その「個性」とは何でしょうか。
 
 近内悠太さんは、「個性」は「大切にしているもの・こと」、「傷」の多様性のことだと指摘しています。

 個性とは、「大切にしているものたち」の多様性のことだとするならば、それは「傷」の多様性ともいえます。もう一度「傷」の定義をみてください。傷とは、大切なものが誰かによって大切にされなかったり、自分自身がそれを大切にできなかったときに生ずるものでした。

近内悠太 2024「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社 kindle版 p94

 個性とは個々のADL、IADL、要介護度、認知症日常生活自立度で測れるものではありません。
 介護で配慮すべき個性とは、その方が「大切にしているもの・こと」であり、その「大切にしているもの・こと」が大切にされなかった、または、大切にできなかったという「傷」なのです。

(6)「傷」から始まる介護

 近内悠太さんは、「傷」の把握、理解から介護が始まるとしています。

 どのような傷なのかを把握することからケアは始まると言えます。価値観の多様な現代とは、大切にしているものが多様である時代のことであり、それゆえ現代は傷の多様性の時代となるのです。個性とは「能力」のみによって規定されるものではありません。個性とは「傷の多様性」であり、傷の記憶がその人を形作る。
そして、過去の傷たちが星座のように結び直されて、星座のように結び直されて、一つの個性となる。一人ひとり星座が違う。

近内悠太 2024「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社p118

 確かに、介護施設に入居される方は、身近で大切な方々との別離という「傷」を有しながら、見慣れぬ施設という異次元の新参者しんざんものになることが多いと思います。
 入居者、利用者は何らかの「傷」があるから介護サービスが必要となるのです。
 介護施設に入居する方々は既に「傷」ついていることが多いのです。

(7)介護は負の需要への応答

 そもそも、介護サービスは「負の需要」への応答です。
 この「負の需要」とは心弾こころはずむ欲求、喜ばしい欲求、嬉しい欲求・需要ではありません。止むに止まれない、仕方がない、諦観ていかんや悲しみを伴う欲求・需要です。
 
 ですから、介護サービスはホテルサービスやレストラン等の飲食サービスとは違うのです。

 普通、人々はホテルサービス等の利用を楽しみにして、心をワクワクさせながら喜んで利用するものです。
 しかし、医療サービスや介護サービスは、好き好んで、喜んで利用するサービスではありません。病気になったから、怪我したから、障害があるから、止むを得ず利用せざるを得ないサービスなのです。

 介護施設は障害老人の生活の場です。また、ほとんどの場合、入居者は自らが希望して入居するのではなく、家族への遠慮、配慮(非自発的同意)から入居するか、ご本人の意向などが無視されるかたちで無理やり入居させられることが多いのです。
 介護施設に喜びいさんで入居するお年寄りはほとんどいません。
 介護サービスが「負の需要」への応答であるということは、介護施設に入居する人達は、サービスの利用当初から既に「傷」ついているということです。
 このことを重く受け止めなければなりません。

 介護とは、この「傷」ついて困難を抱えている当事者(お年寄り)と介護職員との相互関係です。
 そして、この相互関係の中で当事者の「傷」が癒されていくという可能性があります。この「傷」を癒していく相互関係が介護だと言えるのかもしれません。


 負の需要への応答としての介護については以下のnoteをご参照願います。


 このnoteは3回連続シリーズです。前回もご参照願います。



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