責任論 前編|気持ちを大事にする人、意志を大事にする人
これまで
責任感の構造
非暴力不服従の構造
について図解してきた。
それらを通して見えてきたのは、
私たちがあまりにも雑に「責任」という言葉を使っている
という事実だった。
今回は、そこから見えてきた
社会における責任の構造について整理してみたい。
※なお今回は、
いつもの因果ループやシステム図ではなく、
マトリクス表という形式で図解している。
その点だけ、あらかじめ了承いただきたい。
はじめに|「無責任」という言葉の雑さについて
「無責任な人だ」
私たちはこの言葉を、とても雑に使う。
成果が出ない人、空気を読まない人、期待通りに動かない人。
だがその多くは、本当に「無責任」なのだろうか。
私はむしろ、
無責任はもっと地味で、日常的な形をしている
と感じている。
1. 反応と応答は、まったく別物である
まず、言葉を定義したい。
反応(Reaction)
情動的・自動的に返す
空気・圧力・期待に流される
主体は自分ではなく外部
「される」「してしまう」
これは行動ではあるが、責任とは言えない。
応答(Response)
一度立ち止まる
何を引き受けるかを考える
自分の判断で返す
「私はここまで引き受ける」
これが、責任の最小単位である。
責任=Responsibility=応答すること
責任とは、
失敗したときに罰を受けることでも、
頭を下げることでもない。
責任(Responsibility)とは、
状況に対して適切に「応答」することだ。
※ここは重要なので明確にしておく
「適切に反応する」ではない。
反応ではなく、応答である。
語源的にも、組織論的にも、
かなり成熟した定義だと思っている。

2. 応答には2つの型がある
応答には、少なくとも2つの型がある。
応答①:秩序の中での応答(フォロワーシップ)
役割
権限
判断範囲
が定義されている状況で、それに即して引き受ける。
これは組織や社会を維持・更新する、基本的な責任。

応答②:秩序を越える応答(リーダーシップ)
役割には含まれない
しかし必要だと判断して踏み出す
新しい選択肢や秩序を生む

重要なのは、
どちらも正しいということだ。
問題は、この2つが混同されることにある。
3. 役割・権限が明確なときの「無責任」
役割と権限が明確な場面では、
その範囲で応答すること
フォロワーシップを発揮すること
が責任である。
このときに応答しない態度は、
はっきりと 無責任 だ。
典型例はこうだ。
「知りません」
「聞いていません」
「わかりません」
「できません」
メールやチャットを完全に無視する
これらは一見、正直で事実を述べているように見える。
しかし実態はすべて、責任を外に出す反応である。

なぜなら、その人には 応答できる余地があった からだ。
「知らない」
→ 調べることはできた「わからない」
→ 考える時間を取る、確認する余地があった即答できない
→「次回までに整理して答える」と引き受けられた「できない」
→ 一度やってみる、改善点を探る余地があった
ここで重要なのは、
完璧な成果を出せたかどうかではない。
「自分が引き受けられる最小単位の応答をしたかどうか」
が問われている。
それをしないのは、
能力の問題でも
忙しさの問題でも
立場の問題でもない
応答する意志を放棄したという一点において、
それは無責任なのである。
4. 人は常に他人に「期待」する
組織でも家庭でも、
人は無意識に他人へ期待を投げる。
期待に対して、
反応しても
応答しても
期待した側は一時的に満足する。
だが、ここに大きな落とし穴がある。
5. 役割・権限が曖昧なときに起きること
多くの組織は、
慣性
善意
空気
で、なんとか回っている。

しかし本質的な課題が出ると破綻する。
判断の先送り
マネジメントの放棄
部下への暗黙のリーダーシップ要求
「君が頑張ってくれるよね」
ここで起きているのは、
リーダー側の責任放棄である。
6. 「無責任」というレッテルの正体
役割も権限も合意されていないのに、
期待だけが飛んでくる
応えないと非難される
これは責任論ではない。
支配の言語である。
7. 秩序は、評価の基準である
人をフェアに評価するには、
役割
権限
判断責任
という秩序が必要だ。
秩序がない世界では、
誰かが自己犠牲的にリーダーシップを取らざるを得ない。
それは健全ではない。

そして、
超えるべき線が存在しない以上、
本当の意味で超えることもできない。
超えるべき線が引かれていない状態で、
こちらが自己犠牲的に頑張ったとしても、
相手にとっては
「期待している通り」の出来事でしかない。
そこに
驚きも、
感謝も、
評価の更新も
起きない。

8. 真のリーダーシップは構造的である
真のリーダーシップとは、
無秩序な環境に、
役割を定義し
権限を配分し
判断を引き受け
秩序をつくることである。

その秩序がフォロワーシップを育て、
育ったフォロワーシップが、
やがて役割を超えていく。
そして、次の秩序をつくる。
この循環こそが、
生きたバトン渡しとなる。

おわりに|すべては応答の連鎖のはずだった
本来、社会も組織も、
それぞれが役割に応答し
それぞれが責任を引き受け
ることで循環する。
しかし誰かが、
自分の気分や得だけに反応し始めると、
その循環は崩れる。
これが、
日常に潜む本当の無責任である。
後編では、
「秩序に応答しなかったにもかかわらず、
最も深い責任を引き受けた人物」
ガンディを題材に、
責任のもう一つの姿を考える。
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