Le Perchoir (ル・ペルシュ)日和【5】
第五話
陶子さんの背骨をそっと指先でなぞる。
「んん。」
ぐったりとして、背を向けてすぅすぅと今にも眠りに落ちそうな陶子さんの脊柱の配列は綺麗だ。肩甲骨の羽、腰の湾曲、股関節の可動域…。悠里はそのすべてを、思う存分たっぷりと時間をかけて堪能して、柔らかな肌に口づけて、甘い余韻とともに、平穏な眠りにつこうとしている。
悠里と陶子さんは、このシェアハウスでひとつ屋根の下で暮らす同性カップルなのだけれど、他の住人もいることだし、お互いのプライバシーの尊重のためにも、平日はそれぞれの部屋で寝起きしていて、週末だけは、1階のリビングの奥にある陶子さんの部屋で過ごすというのが、二人の(他の住人たちにも)暗黙の了解となっている。
それにしても、沙織さんだ。
今日の午後イチのお客さまの、沙織さんはスラリとモデルのような素敵な方で、そしてなぜか悠里へのスキンシップや話し方に、明らかに色を含んでくる。プライベートなお話はあまり聞いていないけれど、現在は夫と離婚し、一人娘も独立し、この近くのマンションに一人暮らしだと言っていた。人恋しい、にしては、悠里への甘い視線や距離感は大いに気になる。
「悠ちゃん…ちゃんと私を見てて。」
一糸まとわぬ姿で、悠里の首に両手でしがみつきながら、耳元でそんなことを言う陶子さんは、今夜はとても積極的で、抑えきれずに洩れる声と、その蠱惑的な瞳にすっかり煽られて、明日は銭湯にも行けないほどあちこちに情熱的な痕をつけてしまった。
甘い吐息が次第に深くなり、堪えきれず、陶子さんが手の甲を噛んで口を覆いはじめると、たっぷりと焦らすつもりが、いつの間にか悠里も余裕をなくしてしまい、反対の手でシーツを掴みながら、陶子さんの腰は何度も美しい湾曲を描いた。指先まで突っぱらせる足の間で、溺れそうになりながら、陶子さんでいっぱいになって、悠里はただただ夢中になっていた。
こんなふうになりふり構わず気兼ねなく陶子さんに夢中になれたのは、やはり、気がかりだった同居人のこと、早智の朝帰りの謎が解けたことも大きい。
そのきっかけをくれたのは、ここシェアハウス『Le Perchoir』のムードメーカー、未来だった。話は夕方にさかのぼる。
「おわったぁ…。お腹すいた…。陶子さーん…。」
と、夕方、前髪をちょんまげに結って階段を降りてきた未来は、ゾンビのようにキッチンへずるずると入っていった。
新しいクライアントさんからの仕事に、この時間までぶっ通しで手こずっていたようで、それでもなんとか納品までこぎつけ、ホッとひと息ついたら急激にお腹がすいてきたということらしい。
「なんか、新しい銭湯できたじゃん?『月見湯』とかっていう。あのサイトのイベントデザインの依頼でさぁ。」
夕飯の前に、陶子さんに軽く韓国風おにぎりを作ってもらったのを頬張りながら、未来は偶然にも本日二度目の話題『月見湯』の話をしはじめた。
「アウフグース?ってあるじゃん?ちがうちがう、悠里ちゃん、動物の名前じゃなくてさ。なんか、サウナとかでやるやつ。」
「あぁ、熱波を仰ぐっていう?」
「そうそう!陶子さん、さすがサウナー。あれの有名な熱波師が今度来るんだって。」
「有名な?熱波師?」
「熱波師…サウナ施設で、熱したサウナストーンにアロマ水をかけて発生した蒸気をタオルなどで扇ぎ、熱波を送るパフォーマンスを行う人。ほぉほぉ。」
悠里がスマホで検索した画面を読み上げる。
「そう、その熱波師が音楽とかかけてパフォーマンスするアウフグースってのがあって。今大人気の『風間炎』って人が、『月見湯』の専属でしばらくいるんだって。」
「風間炎って、なんか、テレビで見たことあるかも。世界大会か何かで入賞したとか…なんとか。」
「そうなんですよーっ!超有名人らしくって。その界隈では、華麗に舞うワイルドイケメン、みたいな感じでかなりの人気で、整理券とか並ぶみたいなんですよー。」
「へぇ〜、すごい。見てみたいね。」
興味津々な陶子さんに、悠里も未来も思わず、
「え?パフォーマンスを?イケメンを?」
「え?陶子さんって…男性でも大丈夫だったりするんですか?」
とツッコミを入れた。
と、そこへ
「ただいま〜。」
と今日はいつも通り、定時でまっすぐ帰宅した早智がタイミングよく入ってくる。
「あ、おかえりなさい。さっちゃん。」
「ただいま。ねぇ、未来ちゃん?今、『風間炎』って言ってた?」
いつにない食いつきぶりで話題に参加する早智。
「あ、うん、え?サッチー、知ってんの?『風間炎』。」
陶子さんも悠里も未来も、一斉にじっと早智を見る。
「知ってる…。『風間炎』!」
いつも物静かな早智が、興奮しているのがわかる。
「え?ファン、とか?あ…、早智。もしかして…やっぱり、ワイルド系が好きなの!?」
昼間聞いた、小山内さんが見かけたという早智とワイルド系彼氏を彷彿させて、思わず悠里が口走る。
「ワイルド系?え?やっぱりって?」
今度は、早智と未来が不思議そうに悠里を見る。
「あ…、まぁ、その。いや、あのね。」
どうにも悠里という人は、隠し事ができない体質なようで、昼間、小山内さんから聞いた話を「この際、言うけど…」と、当の本人に話してしまった。
陶子さんの教えであり、ここ『Le Perchoir』の暗黙のルール、『お互いのプライベートにはズカズカ入らないこと』をついつい、破ってしまう。
「早智だって、お年頃の女の子なんだし…。そりゃさ、好きな男くらいいたってさ、ありだよ?
うん、わかる。わかってる。けどさ…、急展開すぎるっていうかさ。そんな気配とかあんま無かったじゃん?その…朝帰り…とか?さ。それも、陶子のロールキャベツの日にだよ。いや、いいんだよ?いいんだけどさ。銭湯に男と…、そのワイルドなイケメンと…って。早智の男の趣味に、とやかく言うのはナンセンスだって、そりゃ、わかってる。それはいいの。そこはいいんだけど。だから、大丈夫なんだけど。いや、大丈夫じゃないのか。何言ってんだ…私。」
ショートヘアの少し伸びた後ろ髪をイジイジとつまみながら、自問自答しながら迷路に入ってしまい混沌として、ついには1人頭を抱えてしまった。
「え?え?悠里さん??」
「悠里ちゃん…。」
早智も未来も、いまいち話が掴めずに、ハテナでいっぱいになっていて、見かねた陶子さんが口を開く。
「さっちゃん、あのね。言いたくなければ言わなくていいのよ。ただ、悠ちゃんは、さっちゃんが悪い男について行っちゃって、一夜を遂げてしまったんじゃないかって心配してるのよ。真面目で堅実なさっちゃんが、ワイルドなイケメンと銭湯に入ったっていう目撃情報を聞いてから、ずーっと、あぁでもないこぉでもないって。ぐるぐるぐるぐる心配しちゃってたの、この人。そういう人なの。心の温かい人なのよ。けどね、さっちゃんが誰と付き合おうと、私たちは全然かまわないのよ?ただ、さっちゃんが幸せならそれで。」
そう、ふんわりとゆっくりとした口調で陶子さんが話すと、早智はようやく事態を把握したようにうなづいて、そして、話しはじめた。
「そんなにご心配いただいてたんですね。ごめんなさい。見られてたんですね。でも、私、実はあの日───。」
つづく。
第六話
