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Le Perchoir (ル・ペルシュ)日和【3】

                                               

第三話

チュンチュンと表で鳥が鳴いて、カーテンを開け、縁側から庭におりると、朝露にしめった涼しい空気が心地よい。庭の青じそは、乳児の手のひらのようにあどけなく開いて、瑞々しい緑で誘ってきた。朝ごはんの卵焼きの下に飾るため、摘んでおく。

ガラガラガラと引き戸の音がして振り向くと、リビングを通っていく早智と目が合った。
「あら、おはよ。さっちゃん。」
「あ。お、おはようございます。」
「おかえり。朝ごはんは?食べるでしょう?」
「ただいま。えっと…はい。」
「はいっ。」

陶子さんは笑顔で答え、一つ大きく伸びをしてから、キッチンへ朝ごはんの支度をしにいく。朝帰りの早智の足音は控えめに、月島さんでさえ気が付かないくらい、そぉっと、二階の自分の部屋へと上っていった。

卵を四つ、溶きながら陶子さんは思う。
さっちゃんだって、お勤めに出て、ちゃんとした社会人なんだし、もう立派な大人なんだし。年頃の女性が、外食をして外泊をしたって誰もなにも思わないでしょう?悠ちゃんは(未来ちゃんも)基本、さっちゃんに対して過保護なんじゃないかしら。自分が25歳のときのこと、思い出したらどうなのよって…。悠ちゃんの若いころってどんなだったんだろう…元カノとかの話、あまり聞いたことないけど…、やっぱりいたんでしょうね。きっと、モテたんだろうし…。私と出会う前の悠ちゃん…。

じゅわん、とフライパンに卵を流し、ゆっくり揺らしながら、いやいや、さっちゃんの話よと思い直す。
眼鏡をかけて地味な印象の彼女だけれど、綺麗なストレートの黒髪と、トラブルのないスベスベしたお肌を見れば、素敵な女性を秘めているのはわかるから。あのお肌…、若いっていいなぁ。羨ましい。悠ちゃんのお肌もサラサラで好きだけど。ずっと触れていたくなっちゃう…。でも悠ちゃんだって、私のことも「ずっと触ってたい」って言って、ずっとサワサワして…。陶子さんは、思い出しながらお腹のあたりが、キュウと熱くなってきてしまう。

よいしょっと、きれいな黄色の玉子焼きを長角皿に乗せ、青じそをあしらう。いい感じ。
ピピーッと炊飯器が炊きあがりを教えて、たくあんとしば漬けをまな板で刻みながら、いやいや、だから、さっちゃんの話よ、と再び思い直す。

さっちゃんだってもう大人なんだもの。
まぁ、そうは言えども、やっぱり…。
「朝帰り、ねぇ…。」
と、陶子さんは沸騰するお湯に、刻んだネギと賽の目に切ったお豆腐をチャポチャポと落とした。

「いただきます。」
「はい、いただきます。」
いつも通りの様子で静かに箸をすすめる早智を、寝ぐせ頭のままの悠里がじっと見つめる。普段、朝が弱く、朝食の時間には間に合わないことが多い未来も、今朝はちゃんと起きてきていて、朝から珍しく全員そろっている。
小鉢に4つのマカロニサラダは、合わせたら一人分で、昨晩の早智の分をつつきながら、妙に静かな時間が流れる。

「早智…きの…」
と悠里が言いかけたとき、陶子さんの左足が悠里の右足をポンと蹴り、そして、
「悠ちゃん、今日はご予約はいってるの?」
と、さりげなく話題を変えられた。

「あぁ、えっと。二組はいってて。9時から小山内さんと、13時から沙織さん、です。」
「9時と13時ね。じゃあ、お昼前にお買い物すませておこうかな。」
「はい、お願いします。買い物は付き合うよ。」
「ありがと。未来ちゃんは?」
「私、今日は1日ひきこもりデーでーす。」
「お昼は?」
「あ、作業次第で、テキトーに。」
「そう。了解。」

早智が静かなのはいつものことで、全員そろっての朝食も珍しいとはいえあることだけれど、この微妙な空気感が落ち着かないのは悠里と未来だけだろうか。ただ、『お互いのプライベートにはズカズカ入らないこと』という陶子さんの教えを二人ともわきまえている以上、そして早智が何も言ってこない以上、だまってお豆腐のお味噌汁を、上目遣いにずずっと啜るしかないのだった。

「ナァーーン。」
月島さんがごはんを食べおわり、チリリと鈴を鳴らしながら縁側へ行き、ちょこんと座る。きれい好きな月島さんは、そのあと念入りに身体じゅうのあちこちの毛並みを整えるのにヨガ並のポーズをとりながら、丁寧に毛づくろいをする。

パシャ。パシャ。
「ツッキー、かぁわいいねぇ。」
未来のデザインした猫のイラストの大半は、この月島さんがモデルらしいけれど、そんなことはもちろん月島さんはご存知ない。知らないところでTシャツになったり、アイコンになったりしていても、月島さんがわかっているのは、早智の気配が変わったこと、そして、男と熱波の気配がする、ということだけ。湿気と汗の入り交じったムンとした匂いは、月島さんさえも落ち着かなくさせた。

白衣に着替え、施術用マットを敷きながら、悠里は「いってきます」と出かけていった先ほどの早智の顔を思い浮かべる。マットの反対側では陶子さんが膝をついてシーツの皺を丁寧に伸ばしている。
「ねぇ、早智さぁ。朝帰りだったんでしょ?」
「そうみたいね。」
「オールってわけじゃないよね?」
「男、でしょうね。」
胸元が大きく開いたTシャツから肩が出そうなのを、片手で引き上げながら、陶子さんはサラッとそんなことを言う。
「男!?マジかぁー…。早智ぃ。」
「肌ツヤが良くなってたものね。」
「私もさぁ、それ、思ったんだよなぁ。」
「さっちゃんのお肌、スベスベなのよ。お風呂上がりなんてホント、陶器みたいにきれいなの。」
「陶子…よく見てるね…。」
「あれに気付く男なら、目ざといわ。結構年上かも。それも長く一緒にいる人とか。あの素肌、私だって触れたくなっちゃうくらいだもの。」
「え?触ったの?」
「内緒。」
「え!?え!?なにそれ。」
「はい、9時になりますよ。」

時間どおりに小山内さんはやってきた。カランカランとグラスに黒豆茶を出してくれた陶子さんの指先を、悠里は複雑な思いで見つめていて、そんな悠里の視線を、陶子さんはこっそりと愛おしく味わう。
「おはようございます、小山内さん。ゆっくりなさってくださいね。」
「おはようございます。ありがとうございます。」
小山内さんは、両手で包むようにグラスを持って、コクンと一口飲み、はぁーっと息を吐く。
「ここに来れるっていうだけで、やっぱりホッとします。」
「それならよかったです。」

人の身体に触れながら、歪みや凝りや詰まりを解きながら、悠里は自らも穏やかになっていくのを感じる。目をとじて、深く深く入っていくのだ。
ゆっくりと、小山内さんの背中がほぐれ、緊張がとけていくのをじんわり感じていると、目を閉じていた小山内さんがふいに、起きて話しかけてきた。

「あ。そういえば、先生。ここに住んでる子、えっと信金の子…。」
「平野さんですか?平野早智。」
「そうです、そうです、平野さん。昨日、見かけましたよ。」
「昨日!?どこで、ですか?」
「それがね、先生。結構なイケメンと一緒に───。」
小山内さんは「見ちゃった」と、なにか秘密を暴露するみたいに話しはじめた。


つづく。



第四話



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