ウメは、もう季節じゃなかった | #風まかせ文芸部
「今度、お花見しよう」
その一言が、思っていたよりも長く残った。
帰り道の信号待ちでも、
コンビニでお釣りを受け取るときでも、
ふとした瞬間に、その言葉だけが浮かんでくる。
お花見。
ただの季節のイベントのはずなのに、
「一緒に」という言葉がついただけで、
少しだけ意味が変わった気がした。
前日の夜、
クローゼットを何度も開けては閉めた。
特別すぎないけど、
ちゃんとして見える服。
春らしくて、
でも浮きすぎない色。
鏡の前で一度だけ袖を通して、
すぐに脱ぐ。
当日まで、取っておきたかった。
簡単なお弁当も用意した。
冷めても味が落ちないように、
少しだけ味を濃くして、
崩れないように詰め方も工夫する。
頼まれたわけでもないのに、
気づけば、そうしていた。
当日。
待ち合わせの場所は、
思っていたよりも人が多かった。
遠くからでもすぐにわかるくらい、
あなたはその中心にいた。
「サクラちゃん、こっち」
「モモも来たんだ」
「ユリ、久しぶり」
名前が、軽く弾むように呼ばれていく。
笑い声が、
思っていたよりも少し遠い。
一歩だけ近づけば届きそうなのに、
その一歩が出なかった。
袋を持つ手に、
気づかないふりをした力が入る。
ここにいてもいいはずなのに、
どこに立てばいいのかが、わからない。
その中で、
自分の名前を呼ぶタイミングを、
ひとつずつ数えていた。
呼ばれないまま、
ひとつ、またひとつと過ぎていく。
枝の先には、
花よりも、やわらかい緑が多かった。
風が吹いても、
ひとひらも落ちてこない。
「まだ花見、できるよね」
誰かがそう言って、
みんながうなずく。
あなたも、笑っていた。
その輪に、
入ろうと思えば入れる距離にいて、
でも、
入らないままでいた。
少し遅れて、
あなたがこちらに気づく。
「あれ、来てたんだ」
一拍だけ、間があって、
「……ウメも」
その呼び方が、
さっきまでの軽さとは、
ほんの少しだけ違っていた。
私は、うなずいた。
用意してきたもののことは、
何も言わなかった。
袋の中で、
まだ温度が残っている気がしたけれど、
確かめることもせずに、
そのまま持ち続ける。
もう一度だけ、
枝のほうを見る。
そこにはもう、
花と呼べるものは、
ほとんど残っていなかった。
それでも、誰かが笑っているあいだは、
ここはきっと、お花見なんだと思う。
私はその外側で、
静かにそれを見ていた。
