カシモフの首【小説】 Ⅲ.草原の首都開発 ➁
厳しい寒さもようやく緩み、街路に残っていた雪が消えた。といっても、ただそれだけのこと。草木はいっこうに芽吹く気配がなかった。車の窓越しに眺める街の風景は、相変わらず灰色にくすんだままだ。
ある夕方、平和宮殿の現場からの帰りに、美智は共和国通りでランドクルーザーを停めさせた。
「私、今日はここでいいや。少し散歩でもしたい」
いつもなら真っすぐハミードフ邸の宿舎へ戻る。しかし、この日はどうしてもそういう気になれなかった。中心街なら安全だし、遅くなっても屋敷まで歩いて帰れる。
美智が歩道に滑り降りた時、後部座席に残されたナースチャはかすかに動揺したようだった。が、なにか異存でも? とばかりに車外から見返してやると、彼女はほおをふくらませてそっぽを向いた。例によって例のごとくだ。
走り去るテールライトを見送ってから、美智はコートの襟を立てて歩きだした。
通りに沿って、ソ連時代にプレキャスト・コンクリート工法で建てられた五階建てアパートが連なっている。一階部分にはレストランやバー、ブティック、食料品店などが入り、それらの明かりが幅の広い歩道をあかあかと照らし始めている。
旧市街きっての目抜き通りだけに、結構な数の人が行き交っていた。顔立ちからすると、おおかたはカザフ人とロシア人、時折見かける彫りの深い黒髪の男たちはコーカサス人だろう。ヨーロッパ系とアジア系がほぼ半々。ユーラシアとはよく言ったものだ。
ゆっくりと足を運びながら、美智はため息ばかり漏らした。どうせ屋敷に帰ったところで、ナースチャは目を合わせることすらしてくれない。彼女のことを思うたびに心は乱れ、気分が落ち込んだ。また、宮殿の現場ではコンクリートの補修が始まっていたが、ワイヤーブラシで不良部分をはつり取る作業を見るのがつらかった。それはまるで自分の肌を傷つけられるかのような痛みだ。
──ナースチャには徹底的に無視され、平和宮殿の建設は出だしからこのありさま。二十一世紀最初の春だっていうのに、私、ここでいったいなにをやってるんだろう?
ぶらぶら歩きつづけていると、ある建物の側面に ≪БИЛЬЯРД≫ のネオンサインが赤く浮かび上がっていた。そのキリル文字を声に出して読んでみる。
「ビ、リ……、ああ、ビリヤード・クラブか」
東京に留め置かれたまま、美智はひと冬を無為に過ごしたわけではなかった。世田谷のロシア語教室に通う傍ら、毎晩遅くまで机に向かい、馴染みのない異国の言葉と格闘した。結局、身についたのは、三十三個のアルファベットと日常生活に不可欠な単語、ごくごく簡単な文章を読み取ることくらいだったが。
それにしてもビリヤードなんて学生のとき以来だ、と美智は思った。のぞいてみたくなった。早く帰ってもやることはないし、ここでなにか飲めるかもしれない。
狭い階段を地下へ降りていくと、黒の合皮張りの扉があった。ずっしり重いそれを開いたとたん、大音量のご当地ポップが迎えてくれた。薄暗い中になにやら甘ったるい香りが立ちこめている。細く延びる、天井の低い空間。長手の壁に沿ってバーカウンターがしつらえてあり、若い男が何人か水タバコを吹かしている。
ビリヤードテーブルは全部で三台あった。奥の大きい二台はたぶんロシアン・ピラミッド用だ。そばへ寄ってみると、手前の一台がポケット・ビリヤード用だった。
「こっちの人間はそんなお子様向きのゲームはやらないぜ。僕と向こうのちゃんとした台で勝負しないか?」
不意に英語で話しかけられ、美智は驚いて目を上げた。
あとから入ってきたのか、それとも初めからそこにいたのか、テーブルの反対側に茶色のレザージャケットを着た男が立っていた。天井から吊り下がった照明の向こうで、その顔は人懐っこい笑みを浮かべている。おそらくロシア系。年齢は三十代半ばといったところ。背はそれほど高くないが、干し草色の短い髪がきれいな、美男と言ってよい目鼻立ちだった。
男は壁に立てかけてあるキューを二本取ると、美智に向かってまた親しげにほほえんでみせる。
それから二人は奥のテーブルへ移り、美智は初めてロシアン・ビリヤードに挑んだ。十五個の白い的球をラックで組む。一個の赤い手球を使い、番号に関係なく白球をポケットへ落としていく。半数以上、つまり八個の白球を先に落としたほうが勝ちだ。
ブレイクショットからして美智はぶざまだった。テーブルは広大で、ボールは直径七センチ近い大玉だ。重さもあって、どうにも球筋が定まらない。
──ち、ちっちゃ! こんなの、ほんとに入るの?
驚くのはポケットの幅だ。ボールがぎりぎり通るかどうかという狭さ。丁寧に撞いても、たいていは入り口のクッションにはじき返されてしまう。
一方、男は体全体を使い、目の覚めるような強烈なショットをした。かと思えば、球の上下を撞き分けるような細かい芸もお手の物。次元が違う。まるで別の競技としか見えない。
あぜんと見守る美智の前で、白いボールが次々とポケットに吸い込まれていく──。
「僕の故郷のロシア中南部ではね、建設会社も設計事務所もアスタナの開発ブームに興味津々なのさ。ほら、地理的にはモスクワなんかよりずっと近いから」
三回続けてゲームに勝ったところで、男は美智をバーカウンターへ誘っていた。彼の名はドミトリー。ロシア・シベリア地域の主要都市、ノヴォシビルスクから長期出張で来ている建設業界紙記者だという。
スツールごと美智のほうへ体を向け、ドミトリーはくだけた調子で続ける。
「ちなみに、知ってる? アスタナは旧ソ連時代にはツェリノグラードと呼ばれていた。で、その都市計画はレニングラード、今のサンクト・ペテルブルグで行われたんだ」
店内にはほかの客の姿はすでになく、彼ら二人だけの貸し切りのようになっていた。美智はレモンサワーのグラスに軽く口をつけてから、
「知ってるよ、国営設計会社レンゴルプロエクト。表の共和国通りも含めて、イシム川右岸の既存市街地は、彼らが一九六二年に作成したマスタープランにもとづいて整備された」
「ふーん、ずいぶん勉強したんだな、君は」
「世界平和宮殿をやることになってから、ひととおりはね」
ドミトリーは感心したようにうなずくと、さらに身を乗り出してきた。
「でも、この町とペテルブルグの因縁はもっと前、十九世紀にまでさかのぼる。『カシモフの首』って聞いたことあるかい?」
「首? カシモ……? 初耳だけど」
「ケネサリー・カシモフ。昔のカザフ遊牧民の首領だよ。今や独立国家となったカザフスタンにとっては、国父ともいえる存在だろうな」
その歴史上の人物について、ドミトリーはかいつまんで話した。
十九世紀前半、カザフ遊牧民を束ねる大首長として登場したケネサリー・カシモフ。中央アジアの植民地化に抗い、帝政ロシアを相手取った彼の戦いぶり。キルギス族の裏切りにあい、捕らえられて処刑されるまでの流れ。その首は戦勝記念物として、サンクト・ペテルブルグのクンストカメラへ送られたとされていること。
「それで、そのカシモフが攻撃したロシアの砦の一つがこの町の起こりとなったわけさ。当時はアクモリンスクと呼ばれて──」
「ちょっと待って! クンスト……、クンストカメラ?」
美智は目を大きく見開いた。その名前をたしかにどこかで聞いた覚えがあった。頭を絞り、記憶を呼び出す。そうだ、昨年末にネットで読んだニュース記事、サンクト・ペテルブルグの博物館で強盗が起きたとする憶測記事だ。
おやっという顔で美智を見返しつつ、ドミトリーが言い添える。
「クンストカメラ、正式名称は『ピョートル大帝記念人類学・民族学博物館』。ロシア帝国の皇帝ピョートル一世によって建てられた我が国最古の博物館だよ。カシモフの首は少し前までクンストカメラに秘蔵されていたと言われてるんだ。ロシアは一貫して否定してきたけど」
「少し前までって、じゃあ、今はそこにはないの? そのカザフ人首領の首は」
美智の脳裏を東京事務所の家宅捜索の場面がよぎった。たしか柴田と名乗ったか、あの警察庁の係官はこう告げた。アナスタシアさんにかけられた容疑は、サンクト・ペテルブルグでの美術品窃盗となっております──。
ドミトリーが目をそらし、指先でこつこつとカウンターの天板をたたく。
「うーん、これ、言っていいものかどうか……」
「もう半分言ったんだから、最後まで話しちゃいなよ」
美智がひざを詰め寄せると、彼はほおを緩めて白い歯並みを見せた。
「それじゃ、こういうのはどうだい。君にペテルブルグの件について教える代わりに、平和宮殿の工事現場を取材させてくれないか? アスタナの首都開発について連載記事を書いてるんだが、ここへ来てさすがに新鮮なネタが尽きてきたんだ」
「ふむ、ギブ・アンド・テイクってことだね。わかった。ピラミッドの鉄骨の組み立てが終われば、なんとかできると思う」
「よし、決まった。いいかい、これはあくまで記者の仲間内だけの未確認情報だ。他言は無用だよ? 実は、ごく最近になってカシモフの首がクンストカメラから持ち出されたんじゃないかってうわさがある。何者かによって、不法な手段でだ」
ドミトリーがひと息つき、美智の目をじっと見つめた。サワーのグラスの中で氷がからりと音をたてる。短い沈黙のあと、美智はしごく平静に言った。
「へええ、興味そそるね。それ、いつの出来事?」
「たしか去年の秋の初めごろ、という話だったかな」
やはり、柴田の言葉どおり、そして例のネット記事のとおりだと美智は思った。が、今ここであの記事に触れるのはまずい。深入りすれば、どこでどうナースチャの国際手配の件とつながるかわからない。業界紙の記者といえども、相手はロシアのジャーナリストだ。
「そのうわさ、確認をとることはできないの?」
「裏付けを得ようにも、どこから手をつけるべきかすら……。そもそも博物館側は首の存在自体を認めていないわけだし。なにかとっかかりが見つかるといいんだが」
「必ず私に知らせて。もし新しい事実が出てきたら」
「オーケイ! 宮殿の取材許可のほうもよろしく頼むよ。しかし、すごい好奇心だね。そんなにこの町が気に入ったのかい?」
だってそれは、と言いかけ、美智は言葉を詰まらせた。ナースチャのあのひと言が耳の奥によみがえる。
──美智、あなたはこれっぽっちもわかっていない。私のことも、私の国のことも、何一つ!
「……だっておもしろいじゃない。ここにはなにかしら私の想像を超えるものがある。もっともっと知りたいんだ。あっちこっち、根掘り葉掘り、尋ねまわってね」
精いっぱい楽しげに言うと、美智はカウンターへ向きなおった。が、声が震えるのをどうにもできず、しまいには唇を深くかんだ。隣ではドミトリーが感じよくほほえんだまま、のんびりとグラスを傾けている。
*
世界平和宮殿の工事現場では、ピラミッドを形作る鉄骨の組み立てが目まぐるしい勢いで進んでいた。
タワークレーンが赤茶色に塗装された円形鋼管を吊り上げ、コンクリート躯体の最上段へと運ぶ。鋼管はスラブ表面に設けられたアンカーボルトに固定され、巨大なV字型の柱となる。あるいはそれら柱の上に掛けわたされて梁となる。こうして毎日、下から少しずつ斜め格子状のフレームが姿を現していく。3フロアごとに組まれるそのトラス構造は、非日常的なスケール感であたりの空気を支配した。
施工監理でどれほど忙しかろうと、ケネサリー・カシモフのことは片時も美智の頭から離れなかった。仕事の合間を見つけては、ネットでカシモフについて調べた。いくつかの記事に目を通したが、どれも断片的な情報ばかり。いまひとつ全体像がつかめない。
「ケネサリー・ハン報恩会」というNPO法人のことを知ると、美智は旧市街にあるその事務所を訪ね、一冊の本を借りてきた。題名は『草原のいしぶみ──十九世紀カザフ民族史──』。著者はバフティヤール・シャハノフというソ連時代末期の歴史家・作家だった。
カシモフについて書かれた部分を拾い読みする。文中に出てくる「アクモリンスク」というのが、ツェリノグラードよりさらに前のアスタナの旧称だ。
ケネサリー・カシモフは、カザフ史上の名君アブライ・ハンの孫として生まれた。スルタンと呼ばれる支配階級のなかでも、とびきり誉れ高い家柄に育ったわけだ。ノブレス・オブリージュ──「高貴な身分には義務が伴う」。その格言どおり、彼は長く苦しい戦いに率先して身を投じていく。カザフ遊牧民の自由と独立をめぐる戦いである。
時は十九世紀前半、カザフ草原はすでにきわめて困難な状況にあった。北からはロシア帝国による植民地化が進み、南からはコーカンド・ハン国やヒヴァ・ハン国の圧迫を受けた。特にロシアは草原に多くの要塞を建設し、伝統的な遊牧ルートを分断して地元の民を苦しめた。
ケネサリーが表舞台に出る一八三七年までは、父の指揮のもと、二人の兄が抵抗運動を率いていた。兄たちが、そして父までもがコーカンドに討ち取られると、ケネサリーはおのずから彼らの跡を継ぎ、運動の指導者となった。
早くも翌一八三八年の春、ケネサリーはアクモリンスクにあったロシアの砦を一週間にわたって包囲している。砦を占領することはかなわなかったものの、外から火を放って木造部分に大損害を与えた。この戦果を目の当たりにして、民衆はおおいに勇気づけられたようだ。彼のまわりに人が集まり始め、その軍勢はいっとき二万に達した。
ケネサリーは軍規を定め、百人単位および千人単位で部隊を編成した。また、イスラム法シャリーアにもとづいて法廷を開き、ザカートと呼ばれる昔ながらの財産税をよみがえらせた。こうした施策を通し、ハンを頂点とする君主制国家の復興を推し進めたのだ。一八四一年、カザフの三つのジュズ(部族連合体)による代表者会議が開かれ、その席で彼は初めて全部族を束ねるカザフ・ハンの称号を名乗った。
もちろん、ケネサリーに従おうとしない者もいた。ロシアによる統治を受け入れ、その仲介役となっていたスルタンたちだ。世間への見せしめのため、これら反対派は親族ともども情け容赦なく弾圧された。
さて、ケネサリーは西シベリア総督府の追討をかわし、いつも大きな戦いに巻き込まれることなく姿をくらましていた。しかし一八四四年、ロシアと親露派カザフ・スルタンの連合軍が派遣され、ついに大規模な衝突が発生した。夜間の戦闘のすえ、ケネサリー軍は傀儡スルタンの部隊を打ち破った。ロシア兵は「仲介者」たちを見捨てて退散した。
この対露戦と相前後して、ケネサリーはコーカンド・ハン国を攻撃し、その砦をいくつか占領している。父と兄を殺された恨みは深く、かの南方の敵と手を組んでロシアに対抗するという考えは、ケネサリーの頭にはみじんもなかったようだ。しかし、そんな断固たる姿勢が、むしろ彼の行く末に暗い影を投げかけることになる。
実際、ケネサリーがコーカンドに気を取られている間に、中ジュズの地──現在のカザフスタンの中央部と北東部──では情勢が悪化しつつあった。ロシアは戦術を変え、より多くの砦を建設することで、抵抗運動を締めつけるようになっていた。そこでケネサリーは故郷を離れ、南東部の大ジュズの地へ移ることを決意する。前もって使者が送られた結果、大ジュズのスルタンから遊牧地が融通される運びとなった。
大ジュズの領域へやって来たケネサリーは、新天地で足場を固めるべく、南東側で国境を接するキルギス族との交渉に乗り出した。同盟を結ぼうと持ちかけ、自らの対ロシア、対コーカンド戦線に加わるよう迫ったのだ。が、事の進め方が悪かったのだろう。この時、彼の配下の武将が殺される事件が起きる。怒ったケネサリーは一万の兵を率いてキルギスの支配地域に侵入し、村々を残酷に蹂躙した。するとキルギスはその何倍もの大軍をもってこれに応じ、ケネサリー軍との間で戦争が勃発した。
著しく不利な状況を前にして、味方のスルタンの中には早々に撤退し、敵に寝返る者まで出た。しかし自軍の兵がわずか数百を残すのみとなっても、ケネサリーはけっして降伏しようとしなかった。カザフ・ハンともあろう者がここでひざを屈したら、先祖はもちろん子孫に対しても申し訳が立たぬ──そう言って戦いつづけたのだ。
最終的にケネサリーは捕らえられ、捕虜としてしばらく過ごすことになった。ある言い伝えによれば、キルギスは四十夜にわたり、彼のところへ次々と美しい娘を送ってよこした。女たちが知恵と勇気を兼ね備えた男の子種を宿すことを期待してだ。処刑の当日、サラート(イスラムの礼拝)を行ったあと、ケネサリーは屋外の広場へと引き立てられた。カザフ人捕虜たちが見守る中、大首領はとうとう首をはねられた。一八四七年のことだった。
かくしてケネサリー・ハンは、おのれの信念の命ずるまま、輝かしくも悲劇的な人生をたどった。その首は、キルギス族のロシア帝国への恭順のあかしとして、西シベリア総督に献上されたという。以来、長い長い歳月が過ぎたが、それが故国の地に戻ることはなかった。最後のカザフ・ハンの遺骸は、いまだにこのユーラシアのどこかをさまよっているのである──。
☞ 次回へつづく
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