恋文供養人 第四話「見届け人」
◇◇◇
毎日暑いですね。
私は相変わらず病院の中ですが、四角い窓から夏の世界が見えます。
ツバメは巣立ちの季節を迎えました。
病室の窓の近くの巣から、大きくなった雛たちが一羽、また一羽と飛び立って行きます。
でも、一羽だけずっと巣の中にいるのです。
いないことを願っていつも窓から巣を見るのですが、やっぱりその子だけポツンといるのです。
きっと見捨てられたんだ。
私は残された巣と雛を見て、毎日笑うことにしました。
親に捨てられた哀れな子。
お前は病院から巣立つことができない私と、ここで死ぬのだ。
でも、親鳥は来ました。
親鳥に導かれて、初夏の空に飛び立つ雛を見て、私は泣きました。
一人にしないで、と。
◇◇◇
二か月前、仕事中に偶然拾った、誰が誰に宛てて書いたのか分からない手紙。
――本当に偶然なのか?
この手紙が、全ての始まりだった気がする。
この手紙を拾った直後。
***
「話がなげーんだよクソが!」
高校時代の吹奏楽部の副部長、斉藤彩乃さんの結婚披露宴に呼ばれた僕は、居酒屋で怒りを爆発させていた。
「あんまり出席者のことを考えてない祝辞だったよな」
「オメーのやってる仕事内容なんぞに興味ねぇっての!? グダグダと御託並べやがって。マジ死ね!」
「声がデカいって! つーか飲み過ぎだから。酒の味なんて分からんくせに」
一緒に出席した友人が僕の頭を引っ叩く。
新郎は斉藤さんよりも十一歳年上の、東京の国立研究所で何かの研究をしている人らしい。で、その上司の祝辞が最悪だった。どんな研究をしているのかを延々と語り、「この国になくてはならない研究」とか「国策事業」とか「我々にしかできない使命」とか、やたらと大げさな言葉を使っていた。僕には「我々は選ばれたエリートだ」と自慢しているように聞こえて、とにかく胸糞悪かった。
「なんであんな奴と結婚したんだよ……とっとと別れちまえよ」
「お前、なんで斉藤さんに告らなかったんだ? 斉藤さんだって、お前のこと好きだったと思うぞ?」
「神奈川の大学に行くってのに、地元の俺が告ってどうするんだよ」
「そんなのは関係ないだろうが」
僕は斉藤さんのことが好きだった。吹奏楽部で一緒になった一年の時からずっと。でも、告白する勇気はなかった。仲のいい友人という関係を壊したくなかった。もしその関係が壊れれば、お互いに気まずくなる。結局のところ、全部言い訳だが。
「まぁ、俺みたいに作業服着て、毎日汗まみれになってゴミをいじってる底辺の人間とは大違いだよなぁ」
「だったら早くウェブデザイナーになれよ。わざわざ専門学校に行ったくせに。もったいない」
「うっせぇ」
居酒屋を出てからのことはほとんど覚えていない。目が覚めた時、一体自分はどこにいるのか、しばらく分からなかった。
「おお。ようやくお目覚めか。あんちゃん」
体を起こし、そこがバーの店内だと理解するのに一分近くかかった。マスターらしき人、そしてカウンターに座る男の後ろ姿が見えた。
「あの……」
「良くねぇなぁ、そういう酒の飲み方は。まぁ、好きだった女が結婚してヤケになる気持ち、分からなくねぇけどな」
「え? なんで……」
「寝言で全部喋っちまってたぞ? いい酒の肴になったよ」
頭がボーっとする。まだ酒が残っているせいかもしれないが、それとは違う気がした。なんかこう、ふわふわと体が浮くような変な感覚がする。
「それはそうと、人の手紙を勝手に読むのは、いい趣味とは言えねぇなぁ」
「は? 手紙?」
――あ。
目の前のテーブルの上に、三つ折りにした紙が置いてある。
「そんな!? 会社のデスクの引き出しの中にあるはずなのに……」
慌てて紙を広げて見ると、確かにあの手紙だった。
「この手紙は仕事中に偶然見つけたもので、その……どうしても捨てられなくて」
「分かってるって。それでいいんだよ」
男はこちらを振り向くことなく、ぷかぷかとタバコを吹かしている。男が何者なのか、なぜ自分はここにいるのか、たくさんの疑問が思い浮かんだが、一刻も早くここを出なければいけないような気がした。
「マスター、どうかな、このあんちゃん」
「どうかな、と言いますと?」
「見届け人だよ」
「またまた、ご冗談を」
僕に関係あるのかないのか、話の内容がさっぱり見えない。
「本気だよ。俺の後継者にぴったりだと思うぜ?」
「では、引退なさるおつもりですか?」
「ああ、潮時ってやつだよ」
「まぁ、止めはしませんが」
難しそうな話がいったん落ち着いたのか、男はくるりとこちらを向いた。四十歳前後だろうか。ハンサムだ。テレビで似たような俳優を見たことがある。
「なぁ、やってみないか? 見届け人」
「見届け人って、一体何ですか?」
「酒を飲みながら、どこかの誰かさんの手紙を渋いマスターと一緒に読むっていう、簡単なお仕事だ。そうだよな? マスター」
「非常にざっくりな説明ではありますが、大体その通りです」
やっぱり話の内容について行けない僕は、「はぁ」と間抜けな返事をした。
「僕はフルタイムで働く会社員なので、夜にバーの仕事はちょっと……」
「別にマスターの手伝いをするわけじゃねぇよ。来たい時にふらっと来て、カウンターに座って水割りを飲んで、手紙を読むだけ。君がお金を払うことも、もらうこともない」
僕は「うーん……」と首を傾げる。
「向いてると思うぞ? その手紙を託されたのが、何よりの証拠だ」
「託された? 偶然拾っただけですけど……」
「さて、偶然か、必然か」
男は鼻歌を歌っている。
徐々に頭がクリアになってきて、これは何かの勧誘じゃないかと警戒心が芽生えた僕は、出入口の方を見た。
「胸の内にいろいろ抱えてる、君のような人間にやってほしいんだ。考えといてくれよ」
「とりあえず、今日のところは失礼します」
荷物を持ち、足早に出入口まで歩いて力任せにドアを開ける。ギィと耳障りな音がした。
「またな」
背中に男の声が届いたが、聞こえないフリをした。
「Refrain ―リフレイン―」
立て看板には、そう書かれていた。やたらと看板が汚れているのが気になりながらも、階段を上る。
「なんだ。ここか」
自宅から最寄りの、再開発予定の駅前センターの一画だった。テナントは全部撤退したと思っていたが、バーがあって、しかも営業中とは知らなかった。
「他人の手紙なんて、見るもんじゃない」
もう少しで日付が変わろうとしている。自販機でペットボトルの水を買う。
「底辺は忙しいんだよ。いろいろと」
五百ミリリットルの水を一気に飲み干し、家路についた。
(第四話 完)
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