雨乞い師と水龍|毎週ショートショートnote
――喉が焼ける。
ペットボトルの水を飲み干しても、それは砂漠に一滴の露を落とすようなもので、渇きを癒すには到底足りなかった。
記録的な猛暑と、百日を超える連続無降水記録。都内のダムは軒並み干上がり、アスファルトは太陽の暴力によってドロドロに溶け出しているのではないかと思えるほどだ。テレビのニュースキャスターは、これが異常気象のせいなのか、それとも何か別の「呪い」のせいなのか、曖昧な言葉で濁し続けている。
「水無瀬先輩、そろそろ始めますよ? これ以上待ったら私、暑さで発狂するかも……」
後輩の結月がタブレット端末を操作しながら言った。僕たちは新宿のとある雑居ビルの屋上にいる。照り返しが酷く、立っているだけで意識が遠のきそうになる。
僕の職業は「気象制御士」だ。とは言っても、業界の裏側では、もっと古臭い名前で呼ばれている。
――雨乞い師。
それが僕の、そして僕の家系が代々継いできた家業だ。
「結月、セッティングの方はどうだ?」
「バッチリです。周辺二キロのWi-Fi電波、及び携帯電話のトラフィックを儀式用のノイズとして変換済みです。スピーカーの配置も完了。計算上、このビルの真上が一番『龍の通り道』に近いですね」
「よし、上出来だ」
僕はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた。かつての雨乞い師は蓑を着て、太鼓を叩き、火を焚いたものだ。しかし、現代の水龍は木々の騒めきよりも、電磁波のノイズを好む。
僕は屋上の中央に立ち、特注のヘッドセットを装着した。視界にはARのインターフェースが広がる。
熱波に歪む新宿のビル群の合間に、黒い澱みのようなものが視えた。あれが水龍だ。いや、龍というよりは、水が枯れ果て、都市の排熱によって焼き付いてしまった大気の澱みと呼ぶべきか。
「先輩、心拍数上がってますよ。深呼吸して」
「ああ、分かってる。始めるぞ……」
僕はゆっくりと地面を蹴った。ダンスではなく、都市の拍動に僕自身の鼓動を同期させる作業だ。
結月が操作するスピーカーから重低音のノイズが響き出す。一見すると不快な機械音だが、一定の周波数を超えた瞬間、周囲の空気がピリリと帯電し始めた。
足元のコンクリートが生き物のように脈打つ感覚。
――僕は舞う。
右足を踏み下ろせば、それは地下を流れる下水道の水の流れを呼び覚ますイメージ。
両手を広げれば、それは排気ガスに隠れた大気中の僅かな水分をかき集めるイメージ。
(思い出せ。この街がかつて、湿った土と深い森だった頃を……)
脳裏に、かつての東京の姿がフラッシュバックする。神田川も、目黒川も、今はコンクリートの檻に閉じ込められているが、その源流にあるはずの水の意思はまだ死んでいない。
儀式がピークに達した時、僕の喉の渇きは頂点に達した。全身の水分が、この儀式のための供物として捧げられているような感覚に、軽いめまいがする。
「水無瀬先輩、見てください! 雲が、雲が形成されてます! 凄い……数値が跳ね上がっていく……」
結月の声が遠くで聞こえる。
見上げると、真っ青だった空の一部が、墨を零したようにどす黒く変色していた。それは猛烈な勢いで広がり、新宿のビル群を飲み込んでいく。
ふと、風が変わった。熱風ではない。湿り気を帯びた、重く、涼しい風。死んでいた大気が、大きく深呼吸をした。
ポツリ、と鼻先に冷たいものが当たった。次の瞬間、世界は轟音に包まれた。バケツをひっくり返したような、という形容すら生ぬるいくらいの、数か月分の溜まった鬱憤を晴らすかのような、猛烈な雨だった。
「……っはあ!」
僕はその場にへたり込み、天を仰いだ。雨粒が容赦なく顔を打ち、スーツを瞬時に重い布へと変えていく。
アスファルトに叩きつけられる雨が、独特の匂いを立ち昇らせる。乾いた土、いや、乾いた都市がようやく潤いを得たときの歓喜の匂いだ。
「成功ですね、先輩。降水確率ゼロからの、大どんでん返しです」
結月が傘もささずに、タブレットを守りながら笑っている。僕は返事をする代わりに、口を大きく開けて雨を飲み込んだ。水道水よりもずっと野性的で、鉄の味がする雨。
周囲のビルからも、人々のどよめきが聞こえてくる。窓を開けて叫ぶ者、傘も持たずに通りへ駆け出し、ずぶ濡れになりながら笑う者。この街全体が、一つの大きな「喉」になって、雨を飲み干しているようだった。
僕は濡れたまま、コンクリートに背中を預けた。
現代の神様は気まぐれだ。Wi-Fiの電波と一人の男の不格好なダンスを捧げなければ、重い腰を上げてくれない。
「……なぁ、結月。次の仕事は?」
「明後日、砂漠化が進んでいる千葉の臨海工業地帯です。場合によっては追加報酬も見込めますよ?」
「ちゃっかりしてるな。それよりも、次はもう少しマシな靴を用意してくれ。この革靴、もうダメだ」
僕は笑って、重くなった体を起こした。
降り続く雨の向こうで、新宿の街が少しだけ柔らかく見えた。
アスファルトの龍は、ようやく眠りについたらしい。
(了)
たらはかにさんの企画「毎週ショートショートnote」に参加しています。
お題は「雨乞い難民」です。
他の人とネタが被ってしまったので、雨乞いという古臭い響きに、Wi-Fi、AR、トラフィックデータなどの現代的なテクノロジーをかけ合わせてみました。最近、ちょっとSFチックな長編を書いているもので…。
それにしても、全然雨が降りませんね…。冗談抜きで、水不足が心配です。
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