まどろみのアイマスク|毎週ショートショートnote
そのアイマスクは街角の古道具屋の隅で、埃をかぶってひっそりと横たわっていた。生地は深い紺色のシルク、縁には銀色の糸で、見たこともない星座が刺繍されている。
店主は「これは眠るためのものではなく、目覚めるためのものだ」と奇妙なことを言ったが、連日の残業で泥のように疲れていた私は、それがただの安眠グッズにしか見えなかった。
その日の夜、私は期待を込めて自室のベッドでそのアイマスクを装着した。視界がふっと完璧な闇に包まれる。普通なら、ここでまぶたの裏に広がる静寂を待つのだが、このアイマスクは違った。鼻をかすめるのは、潮騒と、焼きたてのパンと、それから遠い異国のスパイスを混ぜたような、不思議な風の匂い。
――暗くない。
驚いて目を開けようとしたが、まぶたはアイマスクに優しく押さえられている。しかし、私の視覚は確かに何かを捉えていた。
真っ暗なはずの視界に、ぽつり、ぽつりと火が灯る。それは電気の明かりではなく、青白い燐光を放つ魚たちが、空を泳いでいる光だった。
私はベッドに横たわっているはずなのに、背中の感触は柔らかな芝生へと変わっている。アイマスクの下で、私は視ていた。街の喧騒の下に隠された、もう一つの世界の姿を。
そこには、昼間の現実とは似ても似つかない、重力から解放された都市が広がっていた。時計台は砂糖細工のようにねじれ、道行く人々は影のような透き通った姿で、互いに言葉ではなく、鈴を振るような音色を交わして笑っている。
「新入りさん、いい夜だね」
頭上で声がした。見上げると、銀色の翼を持った郵便配達員が私の横を通り過ぎていく。私が答えられずに固まっていると、彼は悪戯っぽく笑って付け加えた。
「そのアイマスク、大切に使いなよ? それはこの街の住人が、あまりに眩しすぎる現実から避難するために使うシェルターなんだから」
気がつくと、私は朝の光の中で、アイマスクを握りしめたまま座り込んでいた。窓の外では、いつもの灰色のビル群と、急ぎ足で駅へ向かう人々の群れが見える。何の変哲もない、退屈で、少しだけ息苦しい日常だ。でも、私の指先にはまだ、あの青白い燐光の温かさが残っている。
私は鞄の奥に、紺色のアイマスクを忍ばせた。世界がどうしても灰色に見えてしまう時、私はまた、このアイマスクを着けるだろう。
ほんの少しだけ、この退屈な現実を愛するための「まじない」として。
(了)
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お題は「ネタバレアイマスク」です。
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