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表現の自由研究「文脈」

本企画『表現の自由研究』、しばらく休載しておりました。
毎月1回で連載しようとしていたのに。
文章書けない、本も読めない、なかなか抜け出せないスランプに陥っていたから。

ようやく最近になって色々復活してまいりました。
なので今のスピードを活かすべく再開いたします。
なぜなら中途半端は嫌いだから。

…文体を意識して書いてみたところで。
今回、この連載を始めてから私に付きまとい、時に苦しめた単語。
「文脈」をテーマに書き進めます。

今回のトピックス。
・芸術における文脈は、権威主義の象徴
・SNSの登場で権威と文脈は切り離された
・「見えない夜の月」なコンテンツをつくりたい

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前回記事はこちら。

ハブ記事はこちら。

1.辞書的な意味

文のすじみち。文章の流れの中にある意味内容の続きぐあい。文章の脈絡。
※修辞及華文(1879)〈菊池大麓訳〉凡例「彼れと我れとは素と文脈文情を異にせるを以て、之を訳するときは全然其妙を失ひ」
転じて、一般に、物事のすじみち、脈絡のことをいう。「政治の文脈の中でながめる」
※日本の思想(1961)〈丸山真男〉一「社会的文脈ぬきに思想の歴史的進化や発展を図式化することで」

引用①

2.意味の拡張:コンテクスト

「文脈」の本質は、辞書的な意味、もとい日本語だけに求めていては見えてきません。
何をするかというと、英語に訳します。

コンテクスト(英: Context)あるいはコンテキストとは、文脈や背景となる分野によってさまざまな用例がある言葉であるが、一般的に文脈(ぶんみゃく)と訳されることが多い。文脈により「脈絡」、「状況」、「前後関係」、「背景」などとも訳される。

引用②

英語に直しただけで、とんでもないところまで拡大解釈や展開されていくのです。
ここでは2つの意味を抜粋しますので、全部見たいよって方はWikipediaをご覧ください。

コンテクスト①:共通認識・共有情報

言語学におけるコンテクストとは、メッセージ(例えば1つの文)の意味、メッセージとメッセージの関係、言語が発せられた場所や時代の社会環境、言語伝達に関連するあらゆる知覚を意味し、コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのものを指す。例えば日本語で会話をする2者が「ママ」について話をしている時に、その2者の立場、関係性、前後の会話によって「ママ」の意味は異なる。2人が兄弟なのであれば自分達の母親についての話であろうし、クラブホステス同士の会話であれば店の女主人のことを指すであろう。このように相対的に定義が異なる言葉の場合は、コミュニケーションをとる2者の間でその関係性、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。

引用②

本稿の最初に「文脈」の意味を提示したのは、「文脈のコンテクスト」をあなたと形成するためです。
つまり共通認識ですね。

「あっ」という単語を見たとき、気付きや発見ととるか、それともインターネットミームととるか、小林製薬とみるか。
また友達同士や、長期継続しているコンテンツのリスナー同士など、特定のコミュニティ内だけで通じる単語の意味。
日常のあらゆるところで「コンテクスト」を駆使して、コミュニケーションを図っているのが我々なのです。

コンテクスト②:歴史的なすじみち

最近、渡部さとるさんの『2B Channel』をよく拝見していまして。
その中で「コンテクスト」が以下のような使われ方をします(注:筆者の要約です)。

芸術表現における歴史的なコンテクストに対して、自分の作品が歴史上のどの位置にポジションしているかを伝える必要がある。
過去の題材や表現、主張に対して、迎合なのか対立なのか、どの潮流に対するアプローチなのかを明確にすることが大事。

筆者要約

「物事」の意味を拡張して、歴史的なつながりをコンテクストと表現されています。
上で引用したWikipedia記事には記載がありませんでしたが、おそらく美術の界隈では「コンテクスト」で通じる語と思われます。

さて。
これなのです。
これこそが。
冒頭で「時に苦しめた単語」と評したのは、「歴史的文脈」にほかなりません。

3.美術の歴史的文脈:基礎知識や教養としてのコンテクスト

何をもって美術とするのか、素人にはさっぱりですが。
古代エジプトの壁画を含めてしまえば、だいたい5000年分くらいの歴史が積み重なっています。
ちょっと追いきれません。

もう少し期間を絞って、例えば私が関わりのある写真の登場前後から追ってみましょう。 最初の実用的写真とされる「ダゲレオタイプ」の登場が1839年ですので、ざっくり200年くらいの歴史です。 その間に何があったでしょうか(読み飛ばしOK)。

まず絵画の世界では、古典主義に対するロマン主義が勃興(18世紀後半~19世紀前半)。
さらにロマン主義に対して写実主義などが勃興。
そして写実主義の一部グループからバルビゾン派が出現、のちの印象派につながります。
そして印象派はポスト印象派などへ形態を変えていきます。

一方20世紀に入り第一次世界大戦に突入、ダダ宣言シュルレアリスム宣言がなされ、抽象表現主義の系譜へと繋がっていきます。
また別の系譜として、1917年にデュシャンの「泉」が発表され、現代アートの幕開けを告げます。
同時期(19世紀末~20世紀初頭)には、ミュシャをはじめとしたアール・ヌーヴォーも流行しており。。。

また写真で言えば、有名どころではマン・レイのシュルレアリスム的表現ブレッソンの「決定的瞬間」ベッヒャーのタイポロジー、カラーネガの登場によるソール・ライターの作品、などなど。

国内に目を向ければ土門拳深瀬昌久森山大道など、数々の巨匠が名を連ねており、特に中平卓馬らの写真同人誌「provoke」の登場による「アレ・ブレ・ボケ」ムーヴメントは近代日本写真史における転換点であり…

はい。
まぁ、このあたりは教養なので知ってて当たり前ですね。
理解できていないと意思伝達に齟齬が出ますので、イコールコミュ障です。
ちなみに私は理解できてません(特に写真史)。申し訳。

私が調べた限り、この200年くらいの歴史動向は基礎知識すなわち「美術の歴史的コンテキスト」は「言語学的コンテキスト」なのです。
美術の文脈のなかで、自分の作品がどのポジションにいるのか、どのような主張に根差しているのか、明確にしなさいと言っているのです。

これがまぁ難しい。
どこまで深堀りすればいいのか分からないし、深堀ったつもりなのに知らない事実をさも前提知識のごとく話されたりと。
調べれば調べるほど、自信を無くしていきます。

4.”文脈”はインテリ層の権威保持

なぜコンテキストが必要なのか。
かつて印象派が出現してきた背景を参考に考えます。
※拙作 『表現の自由研究「絵画」』もご参照ください

印象派の出現は1870年ごろ。
当時のフランス芸術アカデミーが展覧会を独占しており、彼らの評価を受けなければ大衆に作品を発表することはままなりませんでした。

アカデミーで評価をされるには、宗教的なテーマを扱う必要があります。
〇〇の福音書の△△の逸話からとか、この◇◇の形は聖書に出てくる××を表しているとか、鑑賞・評価するのに知識を要求されるもの。
なぜこんなことをするかといえば、美術がインテリ層のインテリたるハイレベル知的娯楽であり、インテリ層の矜持(=権威)を保つためのツールだからでした。

そこに印象派(もうすこし遡って自然主義・写実主義・バビルゾン派など)が対立する形で出現します。
一部の人間にしか興じることが許されなかった美術を、一般大衆も手にできるようにしようという運動の一端でもあったのです。
「パッと見綺麗」な感想で十分じゃないか、と。

時代は進み現代。
新古典派(美術アカデミーの作品)も印象派も現代アートも、鑑賞するにはコンテクストをある程度必要とします。
特に現代アートにおいては、環境や人権といったイデオロギーをコンテクストに組み込むことがスタンダードです。
一言で表せば「インテリが喜びそうなテーマ」。

美術の歴史は繰り返し、インテリ(=権威者・出資者)からの評価から逃れ自由に活動することは困難なのでした。
皮肉なことに、印象派たちが権威主義に反発した歴史や思想自体もコンテクストとなり、鑑賞するうえで必要な知識と化してしまったのです。

5.SNSの出現で文脈と権威は切り離された

ここからは私の考察です。

SNSでバズる作品、特に絵や写真って、大衆的でわかりやすいものが割合として多いです。
その上で独自性や新規性、各SNSの特色や時の運などで、バズって行くものが出現してきます。

ここで考えるべき点は、評価する主体が権威者から一般大衆に移ったことです。
バズればニュースサイトなどのメディアに取り上げられ、権威者の眼に映ることとなります。
逆に有名人が取り上げたことで、瞬間的にヒットすることもあります。
しかし一般大衆も評価側に回ったことで、従来的な順序やパワーバランスは破壊されました。

一方、文脈も全く不要になったかというと、そんなことはありません。
例えば「インターネット老人会ネタ」や「クソデカ羅生門」など、前提知識があるからこそ楽しめるコンテンツもバズっています。
ただ、日常ネタや日常の発見のような、知識が必要でないコンテンツもバズる機会を得られました。
ここから判るのは「文脈や知識の含意が、評価に直結する要素でなくなった」こと。

導かれるのは、「文脈と権威が切り離された」という結論。
SNSにおいては権威主義から全員参加の評価へ、文脈はあってもなくても各々評価される、という動きです。

ここから、私なりの写真表現の考えにつなげてみます。

6.写真表現における文脈の私見:「見えない夜の月」

写真における歴史的背景については、後々材料を集めて述べようと思います。。。

さて、ここまでの論をもとに私見を。
「文脈を知らなくても直感的に楽しめるし、文脈や背景を知ることでより楽しめる作品」
それが求めるテーマです。
例えば以前掲載したこの写真。

知里香澄さん
https://twitter.com/K_CHiRi_

写真そのものだけでも、笑顔がステキだなとか、光綺麗だなとか、シンプルに見て楽しめる。
一方、『役者さん紹介Vol.5』で書いたように「1年、撮りたいと待ちわびた笑顔」についてのストーリーを知ったうえで見たときに、少し印象が変わります(ぜひ読んで…)。
知識を入れることで、より撮影者たる私の立場に移入させる効果がでるかと。

一方、私が主張している「可愛いだけで終わらない写真」
これは日本国内における撮影会・撮影会写真に対してのアンチテーゼ(※)、という文脈を持っています。
少なくとも作品撮りさせて頂いている役者さんには、考えに共感いただいて制作に臨んでいます。
※撮影会や撮影会写真が悪であるとする主張ではなく、自分が同じ撮影をしたくないという主張です

また「役者さんをポートレートの評価の俎上に乗せない」もテーゼとしてもっています。
写真を評価する人々にとって、その人が役者ないし表現者としてどのような人格をもって、どのような考えをもって活動しているのかは理解に及びません。
写真は特に権威主義的な傾向が強い領域ですから、印象派の人々に倣ってはみ出してみようと(私はモネが好きです👍)。

ここで障壁となるのが、多くの人が考えなんかに興味を抱かないということ。
現代人は忙しいですから。
当然ながら直感的な第一印象を重視しなければなりません。
そこで両方のバランスを保った写真を、と考えています。

そこで登場するのが「見えない夜の月」

サカナクションの歌詞は全般的に抽象的で語彙が少なく、考察の余地が多分にある「噛めば噛むほど美味しい曲」。
それでいて旋律や歌声がキャッチ―で、深く見なくても楽しめます。
アイデンティティ』や『ミュージック』なんかおすすめ。

そんなサカナクションの曲『ルーキー』のコーラス。

見えない夜の月の代わりに引っ張ってきた青い君

『ルーキー』自体、彼らの曲のなかでも特に抽象的で、いろんな資料から情報を引っ張ってこないと、むしろそれでも理解できない歌詞です。
さらに言うと、このコーラス部分は歌詞にも載っていません。
自分で聞いて、調べて、考察する必要があるのです。
一節ですら難解ですが、こう解釈します。

見えない夜の月:新月、存在すると分かっているのに見えない目標あるいは道筋、希望
月の代わり:道標がない道を、代わりに導いてくれる存在
引っ張ってきた君:自分に手を差し伸べてくれた存在
青い君:『目が明く藍色』からするに、幼い頃の純粋な感情をもった思い出の中の存在、もしくはそれを落とし込んだ音楽・歌詞
⇒故郷や幼い頃の思い出・感情が、希望を見失った自分を導く存在=ルーキーだったあの頃の自分や音楽

これは公式な見解ではなく、私が調べた限りで勝手に想像した結果です。
深読みおじさん。
この勝手な深読みこそが、サカナクションの楽曲の楽しみであって、深読みしてもらえることが作品としての到達点なのです。
そんなコンテンツが、現代においては必要ではないでしょうか。

役者さん一人一人の物語
私のテーゼ
一葉一葉の裏側で考えた文章

それを内包しつつ、表面的にも深掘っても何か発見があるコンテンツ。
せっかく物書きしてるのだから、鉱脈のような文脈を紡いでいきたい。
そう願うのでした。

7.まとめ

①文脈=コンテクストがあることで、知識・教養のある人物が価値基準をつくる権威主義構造が成立

②かつて印象派が大衆でも楽しめる美術として権威主義からの離脱を成したが、現代においてはその歴史自体がコンテクストとなっている

③SNSの登場によって、権威と文脈は切り離して評価できるようになった

④「深読みおじさん」できるコンテンツが、現代において必要なもの

8.感想

昨年10月に盛大なスランプへ突入、その後眠らせていた企画でした。
どうにか書けましたが、未だに「顧客が求めているもの」が見えてない未熟さを実感しています。
果たして読んだ方にvalueを提供できているのか…

これは「顧客が本当に必要だったもの」
引用④

私をスランプに陥らせた要因のひとつな「文脈」と相対して、あらためて手強さを実感しました。
私自身こうしてnoteでアレコレ書いてきたうえで、「お前の考え、全然浅ェから!!!」と突きつけられるのがストレスでたまらないのです。
なんせ現代アートの写真は、写真という枠組みから逸脱するフェーズに来ていて、真面目に撮っているだけでは見向きもされないと知ったので。
この辺はのちのち書くとします。

しかし過去最長の記事にまで膨れ上がって、どこかスッキリしたなと。
これまで溜めてきたドス黒いヘドロを放流した、もしくは池の水全部抜くした気分。
クオリティの良し悪しは抜きにして、苦しみつつ楽しんで書けました。

そして何より、この連載の目標ができたことも多いです。
まだ参加者の発表はないですが、以前から出展したいと考えてた写真展が開催決定しまして。
11月開催なので、それに向けて『表現の自由研究「写真」』を書きあげます。

がんばるます(スパイファミリーおもしろかった)。

次回はどんなことを書きましょうか。
お暇なときにお付き合いくださいませ。

それでは。

引用・参考

引用

①コトバンク 「文脈」 精選版 日本国語大辞典「文脈」の解説
https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E8%84%88-23024

②フリー百科事典Wikipedia 「コンテクスト」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%88

③Artsape アートワード 「アレ・ブレ・ボケ」https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%B1

④ニコニコ大百科「顧客が本当に必要だったもの」
https://dic.nicovideo.jp/a/%E9%A1%A7%E5%AE%A2%E3%81%8C%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AB%E5%BF%85%E8%A6%81%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE

参考


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